081.羽
アルシエルの冗談めかした声と、ルミエルの伺うような視線を受けて、俺は肩をすくめた。
「それには、まずお互いにちゃんとした休暇が必要だな」
「はい……そうですね」
ルミエルは素直に頷く。
「私たち、休みって……取れるのかしら?」
アルシエルが首を傾げると、ルミエルは少し考えてから答えた。
「祭事の後ですから、短期間なら調整はできると思います。教皇様も、無理はしなくていいとおっしゃっていましたし」
「それでも、別の国に行くには全然足りないわよね……」
「巡礼の一環や、見聞を広める名目であれば、足を運ぶことは可能かもしれませんが……」
そんな二人のやり取りを聞きながら、俺はカップをテーブルに置いた。
「とはいっても、俺のほうも近いうちに少し王都を離れる予定があってな」
「えっ……そうなんですか?」
ルミエルの声が、わずかに揺れる。
「ああ。ナウガウ交易市ってところに行く話が出てる」
「交易市へ……?」
「ああ。ちょっと買いたいものがあるのと、冒険者としてこの先遠出することも増えそうだから、その練習も兼ねてな」
迷宮のことは伏せ、できるだけ軽い調子で続けた。
「危険な場所ってわけじゃない。護衛依頼を受けながら向かうつもりだし、様子を見てすぐ戻るよ」
ルミエルは少し息を吐き、胸の前で手を重ねた。
「……そうですか。それなら、よかったです」
「ミハネは本当に無茶ばっかりするんだから」
アルシエルが呆れたように言い、けれど視線はどこか心配そうだった。
「私たちがそばにいないと、大きな怪我をしたとき癒せないの、忘れないでよね」
その言葉に、今まで何度も助けられてきたことが胸に浮かぶ。
「ああ。本当にいつもありがとう」
そして、言葉を選ぶように続けた。
「冒険者だから何があるかわからない。でも……必ず無事に帰ってくる」
その一言に、二人は顔を見合わせた。
小さく頷き合ってから、アルシエルが外套の内側に手を入れる。
「これ。無茶するミハネに」
「もしよろしければ、受け取ってください」
差し出されたのは、羽の形をした小さなペンダントだった。
淡い光を帯びた金属で、羽脈の一本一本まで丁寧に刻まれている。
「これは……?」
「祭事で王都を回っているとき、たまたま見かけたのよ」
アルシエルは少し照れたように肩をすくめる。
「ほら、ミハネって名前に羽が入ってるでしょ。ちょうどいいかなって」
ルミエルが、ふふっと小さく笑った。
「それだけではありません」
彼女は指先でそっとペンダントを示す。
「私たち、アルシエルとルミエルという名前には“光の女神の翼”という意味が込められています。
両親が、二人で一対の翼として支え合い、女神の名の下で人々に光をもたらす存在になれますようにと、そう願って名付けてくれました」
言葉を区切り、静かに続ける。
「だからこの羽は、ただの飾りではありません。
立ち止まったときに、独りではないと思い出すための印。
進むことに迷ったとき、誰かがそばで支えていると感じるための印。
そして……私たちが、同じ羽としてあなたの歩みに寄り添うという祈りの代わりです」
アルシエルが腕を組み、少しだけ気恥ずかしそうに言った。
「私たちはいつも一緒にいられるわけじゃない。でも、これを身につけてる限り、あんたは一人じゃないってこと」
俺は、手のひらに収まる羽を見つめた。
軽いはずなのに、胸の奥には確かな重みが残っている。
それは祈りの重さであり、託された願いの温度だった。
「……ありがとう。大切にするよ」
そう言ってから、俺は懐に手を入れた。
先ほどの祝祭で買い求めた、小さな包みを取り出す。
「それに……先に出されちゃったな」
包みを解くと、女神の羽を模した二つのペンダントが姿を現した。
ひとつは右の羽、ひとつは左の羽。
金の縁取りに守られ、片方には深紅の宝石が、もう片方には澄んだ蒼の光石が嵌め込まれている。
二つを並べると、静かに、一対の翼が形を成す。
「これは……?」
アルシエルがそっと息を呑む。
「二人は祭事の側だったからな。祝祭として楽しむ時間は、ほとんどなかっただろ。
だから、これは俺からの礼だ。今まで助けてもらった分と……感謝を込めて。
女神の羽を模した二つの赤と青の首飾りを贈らせてくれ」
一拍置いて、続ける。
「それに、俺の名前にも……二人と同じような意味があるんだ」
二人の視線が、自然と俺に向いた。
「“羽”って言葉には、飛び立つとか、飛躍するとか、そういう意味がある。でも、それだけじゃないって……母親に言われたんだ」
言葉を選びながら、ゆっくりと思い出す。
「妹が生まれて、母親が亡くなる前にさ。『二人には、同じ“羽”という言葉が入っているでしょう』って」
ペンダントに視線を落としたまま、静かに続けた。
「『ただ飛ぶための羽じゃないのよ。二人で支え合うための羽なの。辛いときも、悲しいときも、二人なら大丈夫』」
喉の奥が、少しだけ詰まる。
「『弥羽は、お兄ちゃんとして澄羽を守ってあげて。澄羽は、弥羽の心の拠り所になってあげて。
どんな形でもいい――二人は、二人で一つの羽よ。支え合って、同じ空を飛べるように。幸せでいてくれることを、お母さんは祈ってる』……って」
言い終えて、ようやく顔を上げる。
「だから、この羽は……俺にとって“ひとりじゃない”っていう証なんだ」
そう言って、耳元の羽飾りへ指先を添えた。
そこに重なるように、澄羽の笑顔が胸の奥に浮かんだ。
「……そして、二人にも、そうであってほしいと思った」
それだけ告げると、俺は静かに手を下ろす。
胸元にかけて揺れる、二人から贈られた羽のペンダントにそっと触れ、次いで、今度は自分が差し出す二つの羽へと視線を移した。
「二人が、俺と同じ思いで、同じ意味を込めてこの羽を渡してくれたことも……そして俺も、同じ気持ちでこの羽を渡せることも」
一度、息を整えてから続ける。
「……本当に、嬉しいよ」
言葉は多くなかったが、それ以上に、胸の奥にあるものは確かだった。
その言葉を受け取って、しばしの沈黙が落ちた。
最初に動いたのは、ルミエルだった。
彼女はそっと両手でペンダントを包み込み、胸元へ引き寄せる。
羽に触れる指先は少し震えていたが、その表情は驚くほど穏やかだった。
「……ありがとうございます、ミハネさん」
静かな声。
「この羽が“支え合う証”だとしたら……私にとっては、これ以上ないほど大切な贈り物です」
続いて、アルシエルが小さく鼻を鳴らした。
「もう……そういう大事な話、急にするんだから」
そう言いながらも、彼女はしっかりとペンダントを受け取る。
深紅の宝石が、朝の光を受けてきらりと瞬いた。
「……でも、嬉しいわ」
一瞬だけ視線を伏せてから、いつもの調子で続ける。
「ミハネにとって大事な想いまで、一緒にくれるっていうんでしょ。そんなの……喜ばないほうが嘘よ」
アルシエルは、ルミエルの方をちらりと見た。
ルミエルもまた、わずかに微笑んで頷く。
二人の間に流れる空気は、言葉がなくても確かに通じ合っていた。
深紅と蒼の羽が、それぞれの胸元で静かに揺れる。
右と左。形も、色も違うのに、並ぶと不思議と欠けたところがない。
二つの影が、朝の光の中でひとつに重なる。
それを見て、俺は思った。
この世界で、俺が触れてはいけないはずだった“関係”は確かにある。
けれど——支え合う羽として寄り添うことまで、否定する必要はないのかもしれない。
少なくとも今は。
この静かな朝の中では。
まだまだ拙い部分も多い作品ですが、
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いつも読んでくださり、ありがとうございます。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。




