078.幕間「ノルンの独白」
今回は初めてのミハネ以外の視点になります。
主人公の視点だけでは届かない心情を補うため、幕間としてノルン視点の描写を挟みました。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
——光の祝祭は、私にとって「憧れ」と「祈り」が混ざる日だった。
けれど、今年は少し違った。
ミハネ様と出会い、この日、確かに私の心は静かに——けれど深く、動き出した。
開会の鐘が鳴ったとき、空は雲ひとつない蒼だった。
女神ルーメリアを称える聖歌が響き、光が降り注ぐ中で、私は祈りの列の中にいた。
いつもなら聖句を唱え、心を空にして神の光を感じる——はずだった。
でも今年は、視線の先に見えたあの人に、どうしても心が引き寄せられてしまった。
祭典のあと、人々が広場にあふれ、笑顔と声が空を満たした。
私は思わず駆け出していた。
「ミハネ様!」
息を弾ませて呼ぶと、彼は振り返り、少し驚いたように、それでも穏やかに笑ってくれた。
あの瞬間、胸の奥がふっと温かくなった。
私の力だけではないけれど、共に作った“虹”を見て、ミハネ様は言ってくださった。
「綺麗だった」と。
民衆の歓声よりも、その一言がずっと心に残った。
あの人の笑顔が、光よりも眩しく見えた。
——その笑顔が、心に焼きついた。
屋台を巡るとき、ミハネ様はまるで“特別な人”ではなくなっていた。
焼き菓子の香ばしい匂い、果実飴の甘い香り、風に踊る光の飾り。
彼はひとつひとつに目を向け、時折小さく笑っていた。
その笑みが、信じられないほどやさしかった。
一緒に蜜果包みを食べたとき、
蜜が口についてしまい、彼がそっと布で拭ってくれた。
その指先が頬をかすめた瞬間、息が詰まるほど胸が鳴った。
「ノルンも子どもっぽいところがあるな」
そう言って笑った声が、耳の奥に残った。
その声音に宿るあたたかさが、胸の奥で何度も反響した。
その全てが、私を締めつけて、苦しくて、けれど幸せだった。
その笑顔を見ているだけで、世界がやさしく見えた。
——この人も、遠い存在なんかじゃない。ちゃんとここにいて、笑うんだ。
いつも少し遠くから世界を見ているようなその人が、今はただ「一人の人」として、隣で笑っている。
その姿を見た瞬間、胸の中の何かが静かにほどけていくのを感じた。
気づいたときにはもう――”憧れ”は“恋”に変わっていたのだと思う。
魔法組合の催しで、光の火の鳥が空に舞った。
群青の空を羽ばたく炎の軌跡が、美しくて、息を呑むほどだった。
火の粉が流星のように散り、見上げる人々の顔が淡い光に照らされている。
その隣で、ミハネ様は静かに空を見上げていた。
燃える光を映すその瞳は、どこか遠くを見つめているようで、
私はその横顔から目を離せなかった。
——この瞬間が、ずっと続けばいいのに。
胸の奥で、そんな願いがふと芽生えた。
けれどその願いは、祈りに似ていて、どこか苦しかった。
この時間が永遠に続くことなどないと、わかっていたから。
それでも願わずにはいられなかった。
この人と過ごす今が、あまりにも穏やかで、あまりにも眩しかったから。
けれど——。
その幸福の影に、小さな棘のような不安が芽を出した。
舞台へ誘われたとき、子どもたちがミハネ様の手を掴んで笑った。
その瞬間、あの人の口元に浮かんだ微笑みが、やさしくて、けれど、どこか遠く感じた。
“あの優しさは、きっと私だけのものじゃない。”
誰にでも分け与えられる光。
その当たり前のことが、胸の奥をちくりと刺した。
心のどこかで「私もその中の一人なのだ」と分かっているのに、なぜか涙が出そうになった。
そして——気づいてしまった。
ミハネ様の左手を握ろうとした子どもの手が、空を切った。
袖の先には、何もなかった。
息が詰まった。
ずっと気づかなかった。
ずっと、見ようとしなかった。
袖の中に隠しているだけ、冒険者だから事情がある——そんな都合のいい言い訳を、心のどこかでしていた。
修道女として多くの傷を見てきたはずの私が、もっとも近くにいたこの人の痛みに気づけなかった。
その事実が、胸の奥深くに突き刺さった。
あの人はいつも平然としている。
誰かを支える側で、決して自分の弱さを見せない。
……そんな人が、どうしてあんなふうに笑えるのだろう。
その笑顔は優しいのに、どこか痛々しく見えた。
きっとあの人は、笑うことで痛みを隠しているのだ。
誰にも見せない悲しみを、静かな微笑みに変えている。
——どうして、気づけなかったのだろう。
胸の奥が熱くなり、次の瞬間には、氷のように冷たくなった。
罪悪感と哀しみが混ざり合い、その痛みが、まるで自分のもののように広がっていった。
貧民街の炊き出しでは、あの人の優しさがまた光っていた。
少年に声をかけ、元気な姿を見て心から嬉しそうに笑っていた。
その笑顔があまりにも美しくて、だからこそ、私は怖くなった。
——私が見ていなくても、この人は、どこかで誰かを助けている。
そう思った瞬間、足元がぐらついた。
——また、危険な目に遭うのではないか。
——また、あのときのように血を流してしまうのではないか。
あの人は、きっと止まらない。
誰かが助けを求めれば、迷わず手を伸ばしてしまう。
そのたびに傷つき、いつかもう、戻れなくなってしまうのではないか。
その想像が、胸を締めつけた。
そして、私は理解してしまったのだ。
——あのときの“危険な目”というのが何だったのか。
ルミエル様と話していた内容の中に、わずかに聞こえた言葉があった。
貧民街の井戸、病に伏した者、そして“お願いします”という言葉。
それが、ミハネ様のことだったのだ。
あの日、あの人は全身傷だらけで、今にも倒れそうな姿で教会へ運び込まれてきた。
私が祈りながら見守るしかなかったあの光景が、脳裏によみがえった。
息が詰まった。
——また、あんな思いはしたくない。
だから、私は言った。
「……手をつないでもいいですか」
“はぐれないように”なんて、ただの口実だった。
本当は——この人を、もう二度と離したくなかった。
「もう、離したくない……遠くへ行かないで」
言葉にはできない思いを、ただ手のひらに込めた。
その手の温もりが、確かにそこにあるのに、
心の奥では、もうすぐ失われてしまうような不安が渦を巻いていた。
——怖かった。
その温もりを、もう二度と感じられなくなるのが。
前に見た、血に濡れたあの姿。
壊れていくように倒れていった背中。
その光景が、幻のように目の前に重なった。
“私が、繋ぎとめなくちゃ——”
そう思った瞬間、私は無意識に力を込めていた。
ギュッと、手を握る。
綻ばないように、切れないように、
まるで祈りを結ぶ糸を、必死に握りしめるみたいに。
ミハネ様は少し驚いたようにこちらを見たけれど、
何も言わなかった。
ただ、そのまま歩き続けてくれた。
その沈黙が、優しさなのか、それとも拒絶なのか——
私には、もう分からなかった。
そのあと、街でリディアという女性を見かけた。
彼女は友人らしい二人と肩を並べ、笑いながら祝祭を楽しんでいた。
明るい声が風に溶け、金の髪飾りが髪に揺れている。
ミハネ様がその姿を見て、一瞬、声をかけようとして——やめた。
ほんの短い沈黙。けれど、私にはその刹那が永遠のように長く感じられた。
なぜか胸が痛くなった。
私の知らない時間が、この人の中にある。
あの女性との中に、私の知らないミハネ様との“日常”があるのだと思った。
——その笑顔に、私は入り込めない。
その現実に気づいた瞬間、胸の奥がざわついた。
喉の奥に、小さな棘のような感情が刺さった。
それが“嫉妬”なのだと気づくのに、時間はかからなかった。
けれど、気づいたあとも、その痛みは消えなかった。
街の喧騒を離れて、私が案内した丘の上へと向かった。
そこは、風がやさしく吹く静かな場所。
街の灯が一面に広がり、遠くの光がまるで星のように瞬いていた。
金糸草が夜風に揺れ、花弁が光を反射して淡くきらめく。
ミハネ様は静かにその光景を見つめ、何かを考えているようだった。
その横顔を見ながら、私は息を潜めて祈った。
——どうか、この人が無事でありますように。
——どうか、来年もこの光を、一緒に見られますように。
言葉にはできない想いが胸の奥であふれて、
それを押し込めるように、小さく呟いた。
「……また来年も、一緒に……見られたらいいですね」
自分でも驚くほど声が震えていた。
風がその言葉を攫い、夜の静けさに溶けていった。
けれど、あの人は確かに、小さく頷いてくれた。
その頷きが、ただの優しさだとわかっていても、
“まだ一緒にいられる”という事実だけで、胸の奥が少しだけ救われた。
あの夜風の冷たさよりも、その小さな仕草のぬくもりのほうが、ずっと深く心に残った。
広場に戻ると、アルシエル様とルミエル様がいた。
人々の祈りと夜の帳の中に生まれる黄金の光、二人の姿はまるで女神そのもののように見えた。
その光を見つめるミハネ様の横顔は、穏やかで、どこか遠くを思うような静けさを湛えていた。
その後、立ち寄ったお土産屋で、ミハネ様は私に小さな贈り物をくれた。
教会にあるガラスのようなのような模様の小瓶。
傾けるたびに光粉が流れて、淡い虹を描く。
「案内してくれたお礼だよ」と言って手渡してくれたとき、胸が熱くなった。
この世界で“私に”贈り物をくれた人は、ミハネ様が初めてだった。
その優しさが嬉しくて、同時に、ほんの少しだけ怖かった。
——この温かさを知ってしまえば、もう祈りだけでは足りなくなる。
けれど、次の瞬間。
ミハネ様が棚から手に取ったのは、女神の羽を象った金の縁飾りだった。
左右でひとつの翼を形作る、一対の装飾品。
光の下で金が淡く輝き、まるでアルシエル様とルミエル様そのもののようだった。
ミハネ様はその羽を見つめ、そっと自分の耳飾りに手を触れた。
その仕草が、遠い記憶を思い出しているようで——。
その顔を見た瞬間、胸がざわめいた。
あの人たちは、やっぱり特別なんだ。
光を持つ人たちに囲まれて、誰かを照らす人。
私は、祈ることしかできない。
力も地位もない。
たとえミハネ様を守りたいと願っても、何ひとつできない。
……それでも。
もしこれが女神の導きなら——。
私はこの出会いを、運命だと信じる。
信仰ではなく、確かな“願い”として。
だから、私は最後に言葉を贈った。
「ミハネ様と出会えて……本当によかったです。
きっと、これもルーメリア様のお導きで……だから、私は——」
――あなたを護りたい。
――私に、あなたをお護りをさせてください。
その一言は、群衆の声にかき消えた。
けれど、口にした瞬間、胸の奥が熱く震えた。
それが“恋”なのか、“祈り”なのか、自分でもわからなかった。
ただ、もう止められなかった。
あのときの私は、きっと怖い顔をしていたと思う。
瞳の奥で、恋と恐れと祈りが混ざり合い、
どうしようもなく強く——“護りたい”と願っていた。
ミハネ様が「……ああ、また」と優しく答えたとき、
その声があたたかくて、余計に胸が痛くなった。
きっとこの人はまた、誰かを救うために傷ついてしまう。
それでも、止めることはできない。
——だから、私があなたをお護りします。
女神の導きで、私たちが出会ったのなら。
私のこの願いは、きっとルーメリア様に届いているはず。
どうかこの手で、あの人を護らせてください。
……修道女として、それはきっと傲慢な願いだろう。
けれど、それでも構わない。
もう二度と、あの血まみれの姿を見たくない。
もう二度と、あの痛みに沈む顔を見たくない。
あの笑顔と、手の温かさを失いたくない。
ミハネ様——。
あなたは、私に“祈りの形”を教えてくれました。
それは、ただ漠然と誰かを癒したいというものではなく——
ひとりの人を想い、あなたと共に明日を願いたいという祈り。
だから私は、あなたのために祈ります。
あなたを護ります。
——私には、あなたを癒せる力はありません。
二人のように圧倒的な光を放つこともできません。
けれど、それならそれでいい。
あなたの歩く影であればいい。
どんな脅威が迫ろうとも、後ろからそっと寄り添い、支えて、護ります。
——そして、あなたのためなら、どんな影にもなりましょう。
どうか、この願いが女神に届くのなら。
“来年も、この祝祭を——ミハネ様と共に迎えることができますように”
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
次回からいよいよ第3章が始まります。
ただ、現実の都合でしばらく更新がゆっくりになってしまうかもしれません。
申し訳ありません。
再開後も毎日投稿を続けたい気持ちはあるのですが、難しければ少なくとも2日に1話 のペースで継続していきたいと思っています。
更新再開の目安は 1月中旬ごろ になりそうです。
少し間が空いてしまいますが、その間も少しずつ物語を綴っていきます。
第3章では、これまでの経験を経て少し成長したミハネが、ついに王都を離れて旅へと踏み出します。
物語も世界も大きく動き始める大切な章でもあるので、構想をしっかり練りたいところでもあります。
そして、更新が止まっている間は、
これから登場するキャラのイラストや、短い幕間的なお話を毎週土曜日に投稿する予定です。
内容を調整する可能性もあるため、これらは第3章が始まるまでの期間限定にしたいと思います。
少しでも次章を楽しみにしていただけたら嬉しいです。
「不定期でも読みたい」と思っていただけましたら、ブックマークや★評価で応援していただけると、とても励みになります。
これから始まる物語を、一緒に見届けてもらえたら嬉しいです。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。




