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【第三章開始】異世界人間師  作者: 白黒 シろ
2.5章.光の祝祭をあなたと共に
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075.貧民街の希望

 聖句劇が終わり、広場の空気がゆるみ、祭りのざわめきが再び流れ込んできた。

 

 「……かわいかったですね」

 ノルンが胸の前で手を合わせ、目を細めて微笑んだ。

 「ああ。あんな小さな子たちが、ちゃんと人を笑顔にしてる。すごいな」

 「ふふっ、あの子たちも、きっと今日見た光を忘れませんね」


 彼女の言葉に頷きながら、俺はふと祭りの喧噪の向こうを見た。

 陽はまだ高く、屋台の列はさらに伸び、通りのあちこちから笑い声と鉄板の焼ける音が響いている。

 人々の影が長くなり始め、石畳に反射した光がちらちらと揺れていた。


 「さて、次はどうしましょうか?」

 ノルンが顔を上げて問いかける。

 「ちょっと寄りたいところがあるんだけど、いいかな。楽しくはないかもしれないけど」

 「ミハネ様となら、どんなところでも大丈夫ですよ」

 ノルンはそう言って微笑んだ。

 「ありがとう」

 小さくそう告げて、俺は南へ向かって歩き出した。

 

 ◆


 中央区を抜け、庶民街へ入ると、先ほどまでの華やかな喧噪とは違う人の流れがあった。

 通り沿いには大きな鍋と長机が並び、神官たちが忙しなく動いている。

 香草と肉の匂いが入り混じり、湯気の向こうで人々が笑い合っていた。


 「……炊き出し?」

 「はい。教会が主導しているんです。年に一度、祝祭の日だけは誰でも腹いっぱい食べられるように」

 ノルンの言葉どおり、そこでは庶民街だけでなく、貧民街の者たちも混ざっていた。

 子どもたちは両手にパンを抱え、汁をこぼしながら走り回っている。

 老女が笑いながらその背を追い、若い神官が慌てて止めに入る。

 どこを見ても笑顔ばかりで、悲しみの影が見当たらなかった。


 「貧民街の人も、年に一度は思う存分食べられるって聞いていたけど……なるほど、教会で炊き出しをしているのか」

 「ええ。全員に配るとなると大変なので、普段はとてもできません。でも、この日だけは特別です。お肉の入ったスープや甘いパン、温かい薬草茶を出すんですよ」

 「……ミハネ様は、それを見に?」

 「ああ。貧民街でいろいろあってな。みんながちゃんと祝祭を楽しめているか、気になったんだ」


 ノルンは少し目を伏せてから、静かに言った。

 「やはり、ミハネ様はお優しいですね」

 「いや、気になっただけだよ。俺にできることなんてたかが知れてる。……でも、こうして誰もがしがらみなく食べられる機会を作れる教会はすごいと思う。たとえ年に一度でも、この日のためにまた頑張ろうと思えるだろうから」


 言葉を交わしていると、不意に背後から声がした。

 「——あっ、お兄ちゃん!」

 振り向くと、炊き出しの列の向こうから駆けてくる小さな影があった。

 あの少年だ。以前、井戸の件で父親が倒れ、ルミエルに助けを求めてきたあの少年。

 両手には果実水の入ったコップを持ち、光に透けた橙色がゆらゆらと揺れていた。


 「おお、こんにちは。祝祭は楽しめてるか?」

 「うん! 楽しいよ! 食べたいもの好きなだけ食べれるんだ! すごいよね!」

 その笑顔は、あのときの不安げな表情とはまるで別人のようで、思わずこちらまで笑みがこぼれる。

 「良かったな」


 少年は嬉しそうに頷いたあと、俺の横に立つノルンに目を向けた。

 「ねえ、お兄ちゃん。今日は、あのお姉ちゃんは一緒じゃないの?」

 その言葉に、一瞬ルミエルの面影が脳裏をよぎる。

 光の中で人々を癒やしていた、あの穏やかな微笑み。

 「あのお姉ちゃんは、今日はここにはいないんだ」

 「そっかぁ……」

 少年は少しだけ寂しそうに俯き、それでもすぐに顔を上げて笑った。

 「でも、また会えるよね! あんな綺麗な真っ白な服着てたんだもん。遠くからだってすぐわかるよ!」

 「そうだな。また会えるさ。ちゃんとお姉ちゃんにも伝えておくよ」

 「うん!」

 少年は満足そうに頷くと、両手で果実水を大事そうに抱えながら、群衆の中へと駆けていった。


 その背を見送っていると、隣のノルンが小さく首を傾げる。

 「……綺麗な真っ白な服って、もしかして……ルミエル様のことですか?」

 その声音には驚きと、ほんの少しの確信が混じっていた。

 この前、俺とルミエルがこっそり聖女院に顔を出したとき、ノルンは同席していた。

 察しのいい彼女なら、すぐに気づくだろうと思っていた。


 「まあ……な。ただ、他の神官とかに聞いたら怒るから、これは秘密だ」

 「秘密……」

 ノルンは一瞬だけ目を丸くし、それから小さく頷いた。

 「わかりました。誰にも言いません」

 「それに……あのとき、ちょっと危険な目にもあったからな。あの子たちの様子が気になって、見に来たんだ」

 「危険な目に……?」

 ノルンの表情が強ばる。

 頬の血の気が引いて、白い肌にわずかな影が落ちた。

 「でももう大丈夫だ。アルシエルとルミエルに癒しを施してもらったし。こうして元気に祝祭を楽しめてるからな」

 俺がそう言うと、ノルンは小さく息を吐き、ぎこちなく微笑んだ。

 「……よかった。ほんとうによかったです」

 そう呟く声は、安堵というより祈りに近かった。

 そして、何かを守るように胸の前で手を組むと、少し照れたように言葉を継いだ。

 「も、もちろん誰にもお話ししませんので、ご安心ください!」

 「ありがとう」

 そう返すと、ノルンは顔を赤くして、そっと視線を落とした。

 頬にかかった髪が風に揺れ、指先をもじもじといじっている。

 そして、少し間を置いてから、ためらうように口を開いた。


 「あ、あの……ミハネ様……」

 「ん?」

 「も、もしよかったら……手をつないでもいいですか?

 その……少し、不安になってしまって……それにこの群衆の中ですから、はぐれてしまってはいけないと思うので……」

 声は小さく、消え入りそうだった。

 人のざわめきや楽師の笛の音にかき消されてしまいそうなくらいに。

 それでも確かに届いたその願いに、俺は一瞬だけ言葉を失った。

 どうするべきか迷いながらも、彼女がそう感じた理由はわかっていた。

 さっきの話で、余計な不安を与えてしまったのだろう。

 俺は小さく息をつき、ゆっくりと頷いた。

 「ああ……はぐれないように、な」

 手を差し出すと、ノルンはおそるおそる、その指先を重ねてきた。

 彼女の手は驚くほどあたたかくて、少し震えていた。

 その温もりが掌を通して伝わるたび、俺の胸の奥のざらついた感情が少しずつ溶けていくようだった。

 「……ありがとうございます」

 ノルンは小さく笑い、指をギュッと強く握った。


 ◆


 炊き出しの列をしばらく眺めていると、香草と肉の匂いが腹にしみ込んできて、少しだけ小腹が空いていることに気づいた。

 「……なんだか、見てるだけでお腹が空いてきますね」

 ノルンが頬に手を当て、苦笑する。

 「だな。あれだけ湯気と香りを浴びれば仕方ない」

 笑いながら腹を押さえると、ノルンも小さく笑った。

 「もう少し静かで、落ち着ける場所に行きましょうか?」

 「そうだな……」


 頭に浮かんだのは、《金色の羽亭》だった。

 祭りの喧噪から少し離れた、温かな灯りと静かな空気の店。

 「少し歩くけど、いいところがある。甘いものでも食べながら休めるはずだ」

 「ふふっ、ぜひ案内してください」

 ノルンの笑みを背に、俺たちは人の波を抜けて北通りへと向かった。


 ◆


 金色の羽亭に着くと、扉には「本日、祝祭のためお休みします」と札が掛けられていた。

 いつもなら灯っている窓のランプも消えていて、通りの喧騒から切り離されたように静まり返っている。

 「閉まってるな」

 「残念です……でも、こういう日ですからね」

 ノルンは扉の取っ手に手を添えて、そっと笑った。

 「店主の方もきっと、今日は光を見に行かれているんでしょう」

 「ああ。ゆっくり休んでるといいけどな」


 仕方なく引き返しながら、近くで休めそうな場所を探して歩く。

 通りは相変わらず人で賑わい、屋台からは香ばしい匂いと音楽が絶えない。

 その人の波の向こう、ふと見覚えのある髪の色が目に留まった。


 「……あれは」

 群衆の中に、リディアの姿があった。

 彼女は友人らしき二人の女性と肩を並べ、果実酒を片手に笑い合っている。

 普段の店内で見せる少し落ち着いた彼女とは違い、無邪気に笑うその顔は年相応で、祭りの明るさによく似合っていた。


 声をかけようかと思ったが、足が止まる。

 楽しそうなその輪の中に割って入るのは、どこか違う気がした。

 そのまま一歩だけ後ろへ下がり、視線をそっと逸らす。

 「……知り合いの方、ですか?」

 ノルンが静かに尋ねた。

 「ああ。でも今は、水を差さないほうがいいだろう」

 笑い合うリディアの姿を横目に見ながらそう答えると、ノルンは何も言わず、そっと俺の手を強く握った。

 指先が少し震えているのが伝わってきた。


 やがて人の流れが落ち着き、喧噪が少し遠のく。

 夕陽が建物の隙間を縫うように差し込み、街全体が金色に染まり始めていた。

 露店の灯りが一つ、また一つと灯り始め、風が香草と甘い果実の匂いを運んでくる。


 そのとき、ノルンがぽつりと口を開いた。

 「もしよかったら……おすすめの場所があります」

 「おすすめ?」

 「はい。祝祭の日の夕方だけ、一般にも開かれる場所なんです。光がよく見える、とっておきの場所で」

 「どんなところなんだ?」

 「ふふっ、行ってからのお楽しみです」


 ノルンはそう言って、夕風に揺れる花のように微笑んだ。

 瞳の奥に、これから向かう場所の光景を思い浮かべているのか、ほんのりとした期待の色が宿っている。

 「……わかった。じゃあ案内してくれ」

 「はい、こちらです」


 彼女に手を引かれながら歩き出す。

 街のざわめきが少しずつ遠ざかり、代わりに穏やかな風と鐘の余韻だけが残った。

 その先に待つ“とっておきの場所”を想いながら、俺はノルンと歩幅を合わせ歩いた。


まだまだ拙い部分も多い作品ですが、

ひとつでも心に残る場面があれば、ブックマークや★評価で応援してもらえると嬉しいです。

そのひと押しが巡り巡って、この物語を必要としてくれる誰かの目に届くかもしれません。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

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