007.魔力
「いや、それより先にやることがある。――修練場を借りるぜ」
ヴァンはそう言って俺の背を押し、受付の奥へと連れていった。
「わかりました。ミハネさん、これからよろしくお願いしますね」
「はい。こちらこそ、これからお世話になると思いますので」
「じゃあな、セリナ」
手を振るセリナを後にし、冒険者組合の一階奥にある扉をくぐる。
さらに廊下を抜けると、まぶしい光が差し込んできた。
そこは運動場のような広々とした空間だった。天井はなく、空は解放され、陽射しが石畳に反射している。
練習用の木人形が何体も立ち並び、木樽にはさまざまな種類の木製武器が突き刺さっていた。
周囲では十代前半ほどの若い冒険者たちが額に玉の汗を浮かべ、必死に剣を振るったり、弓を射ったりしている。
金属のぶつかる音、木剣の乾いた打撃音、そして若者たちの気合いの声。そこはまさに“戦いを学ぶ場所”だった。
「よし――」
ヴァンは腕を組み、練習場を見渡した後、俺へと視線を戻す。
「まずはミハネの基礎体力を確認する。それから武器の扱いについてもな」
まずは走れ、とヴァンに命じられ、修練場を三周ほど走らされた。
石畳の上を足音が響く。だが、二周目に入る頃にはもう胸が苦しくなり、三周目には足が鉛のように重くなる。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
膝に手をつき、肩で息をする。喉が焼けるみたいに熱く、汗が背中を伝って落ちていく。
「おいおい、もう息上がってんのか」
ヴァンが呆れたように眉をひそめた。
「思ったよりも体力がねぇな……走り込みは必須だな、こりゃ」
俺は息を整えるのに必死で、返事をする余裕すらなかった。
次に木剣を握らされる。
樽から抜き出した木剣は意外と重く、構えただけで腕がぷるぷる震える。
「構えてみろ。……そうだ、そのまま人形に斬りかかれ」
言われるまま振り下ろしたが、力が入らず、木剣は人形の肩をかすっただけだった。乾いた音とともに木剣が弾かれ、俺はよろめく。
「……なんだ今のは。棒切れで叩いてんのと変わらねぇぞ」
ヴァンは額を押さえ、ため息をついた。
もう一度振るうが、今度は足の運びが遅れてバランスを崩し、危うく前につんのめる。
その様子に、練習場の端で休んでいた若い冒険者たちがくすりと笑ったのが耳に入った。
恥ずかしさで顔が熱くなる。
必死に握り直して振るうが、腕が重くて人形にまともに当たらない。
「……はぁ。武器の扱いも全然だな」
ヴァンは苦笑しつつも、真剣な目で俺を見た。
「こりゃ、剣や槍でやっていくのは現実的じゃねぇ。少なくとも今のままじゃ、魔物相手に一太刀も入れられねぇぞ……よく磔兎を倒せたな」
「俺がいた場所では、こんなに動くことは全然なかったんだよ……悪かったな」
肩で息をしながら木剣を握る手を見下ろす。
ただの木製の剣。それなのに、まるで鉛の塊を振り回しているみたいだ。
――この世界で生きていくのは、やっぱり甘くない。
しばし沈黙が落ちた。練習場の奥からは、若い冒険者たちの掛け声と木剣の打ち合う音が響いてくる。
俺の息遣いだけがやけに大きく耳に残った。
「……まあ、落ち込むな」
ヴァンがぽんと俺の肩を叩いた。
「元の世界じゃ、戦う必要もなかったんだろ。なら、力も技もなくて当然だ」
彼は少し間を置き、にやりと笑った。
「だが、ミハネには別の可能性がある。……次は魔法を試すぞ」
「魔法は誰でも使えるわけじゃない。火、水、風、土の四系統に始まり、光や闇といった特殊系統もある。だが、素質がなければ詠唱しても発動しない。逆に素質があっても鍛えなきゃ、使い物にはなねぇ」
「そうだ、確かヴァンが俺を助けてくれた時は《熱掌》って魔法使っていたよな」
「ああ。掌に熱を宿す初歩だの魔法だ。便利だろ? 神官が使う神聖魔法も、分類上は光魔法になる。だが便利さに溺れりゃ命を落とす。魔物を侮るやつは、すぐに死ぬ」
ヴァンは真剣な目でこちらを見る。
「だけど、俺がいた場所では魔法なんてなかった。どうやって発動させればいいのか……」
「ああ、大丈夫だ。策は考えてある。背中向けろ」
言われるままに背を差し出すと、ヴァンは俺の背に両手をかざした。
「魔法とは、この世界に漂う魔力、そして体内に宿る魔力を媒介に現象を起こす術だ。まずは――その“流れ”を掴め」
次の瞬間、ヴァンの掌からなにかが響いた。
胸の奥に重く沈む感覚が走り、次いで、自分の中に見知らぬ“液体”を感じる。
温かいようで冷たい。血液よりも濃く、鉄よりも重たい。
全身の血管に絡みつき、骨や筋までも舐めるように巡っていく。
「今、俺の魔力をミハネの体内に押し込み、響かせている。どうだ、わかるか?」
「ああ……これが……魔力か」
喉を震わせる声が自分でもかすれているのが分かった。
「確かに、俺の中を……流れてる」
「よし、じゃあ実際にやってみろ。――頭ん中に魔法を思い描け。その姿を詠唱で固めて、魔力を外へ放つんだ。想像をぶらすなよ。俺に続け」
ヴァンが手のひらをかざし、はっきりと詠唱する。
「この掌は灼熱。触れるものを焼き焦がせ――《熱掌》」
俺も必死に声を張った。
「こ、この掌は灼熱。触れるものを焼き焦がせ――《熱掌》」
……だが、俺の掌には汗がにじむばかりで、炎の気配ひとつ生まれなかった。
静かな風が吹き抜け、修練場のざわめきがやけに遠くに聞こえる。
「……おかしいな」
ヴァンは腕を組み、じっと俺を見据えた。
「詠唱も悪くねぇ。声も通ってた。なのに――魔力がまるで外に出てねぇ」
顎に手を当て、目を細める。
「伝承にある“稀人は魔法を使えない”って話……あれに近いのかもしれねぇ。迷い込むときに空間の歪みで魔力の流れが捻じ曲がったのか。それとも――異邦人はそもそも、そういう体質なのか」
胸がずしりと重くなる。
俺は思わず拳を握りしめた。
「せっかく魔力の感覚をつかめたと思ったのに……やっぱり俺には、無理なのか」
「基礎体力もない。魔法も使えない……か。だが、本番はこれからだ」
落ち込んでいた俺に、ヴァンは口の端をつり上げて笑った。
「稀人がこの世界で偉業を残したのは、稀人だけが持つ特別な力――異能によるところが大きい。お前を見ていて思ったが、魔力の放出の代わりに、別の何かがあるかもしれねぇ」
「異能……?」
「ああ。稀人に備わる力は人によって違う。初代国王が持っていた《言霊の力》もそうだ。けど――そういう力は、窮地に追い込まれたときにこそ表に出るもんだ。磔兎とやり合ったとき、何か思い当たることはないか?」
その言葉に、胸の奥がざわめく。
――思い出したくない。あの時の痛みと恐怖は、今でも喉を焼くように生々しい。
だが必死に記憶を掘り起こす。
「……そうだ。あの時、角が掌を貫いて腹に刺さるはずなのに――刺さらなかった。その直後、気づいたら手に……白い欠片を握っていたんだ」
慌ててエコバッグを探る。だが、どこにもない。
「ヴァン。俺を助けたとき、俺が何か握ってなかったか?」
息を詰めて問うと、ヴァンは少し考え込んでから頷いた。
「ああ、あれか。落ちてたな。白い欠片っていうか――骨だな」
「……骨?」
思わず声が裏返る。喉がひりつくように乾いた。
「ああ。磔兎が獲物を食った食い残しかと思って捨てちまったが……重要なものだったのか?」
「……あ、いや……」
否定の言葉を吐きながらも、胸の奥で冷たいものが這い上がる。
――俺が握っていたのは、確かに“欠片”だった。なのに骨だと? ならば、あれは一体……。
俺は磔兎との戦いで起きた現象を、かいつまんでヴァンに話した。
彼は腕を組み、眉間に皺を寄せる。
「……なるほどな。腹に刺さらなかったってのは確かに妙だ。骨を出す力? いや、それだけじゃねぇ」
琥珀の瞳が鋭く細められる。
「お前自身から“何かが抜け落ちた”……その結果、骨が現れた。そんな気がする」
空洞感。
あのとき脚にから広がる全身の痛みと一緒に、確かに何かが欠け落ちるような感覚があった。
――まさか、本当に俺の体の中から骨が抜け出したのか?
「じゃあ、その時の感覚を思い出してやってみるか……と言いたいがな」
ヴァンは首を振り、重々しく吐き出した。
「そんな異能、下手に使えば洒落にならねぇ。骨は人体に不可欠だ。迂闊に消費できるもんじゃない」
「ああ……そうだな。けど、今こうして普通に動けてるってことは、特に必要のない骨が使われたのかもしれないけど……」
「いったん持ち越しだ」
ヴァンの声は断固としていた。
「もし骨に関わる異能だったなら、獣の死骸を使って実験すりゃいい。わざわざ自分の身を削る必要はねぇ」
そこで区切りをつけるように、彼は椅子の背にもたれ直した。
「異能は今後の課題として……次は魔力を用いた“身体強化”を試すぞ」
「でも……俺、魔法が使えないんだろ?」
疑問をぶつけると、ヴァンは首を振った。
「いや、身体強化は別だ。詠唱も発動もいらねぇ。体内にある魔力を巡らせて、筋肉や感覚を底上げするんだ。魔力の“放出”ができなくても、“内側で回す”ことさえできれば使えるはずだ」
「内側で回す……」
俺は自分の胸に手を当てた。
さっきヴァンに魔力を響かせられた感覚――温かいような冷たいような、血流に似たもの。
それが俺の中にも眠っているはずだ。
「まずは目を閉じろ」
ヴァンの低い声が響く。
「呼吸を整えて、体の隅々にまで意識を向ける。指先、足先、腹の奥……そこを巡っているものを感じろ」
言われるままに深く息を吸い、ゆっくり吐く。
何度も繰り返すうちに、体の奥にかすかなざわめきを覚えた。
血の流れとは違う――ぬるりとした別の何かが、静かに全身をめぐっている。
「……あった。これだ」
「よし、それが魔力だ。そいつを無理やり掻き立てろ。腕に集めるイメージだ」
集中すると、腕の奥がじんわり熱を帯び始める。
皮膚の下で脈動が早まり、筋肉がわずかに膨らむような錯覚。
木剣を握る手に力がみなぎっていく。
「今だ。そのまま木人形を殴れ!」
ヴァンの声に背を押され、俺は駆け出した。
木剣を振り抜いた瞬間、今までとは違う衝撃が腕を走る。
刃先が木人形の肩を叩きつけ、乾いた轟音とともに人形がぐらりと揺れた。
「……っ!?」
驚いて木剣を見下ろす。
ついさっきまで重くて仕方なかったはずなのに、今は自分の腕が軽く、力強く感じられる。
「よしっ! やっぱりな」
ヴァンが口角を上げた。
「魔力放出は駄目でも、体内の巡りを使う“身体強化”ならできる。これなら戦いようはあるぜ」
胸の奥が熱くなる。
剣の技術もない、魔法も駄目――そう思って絶望しかけていた俺に、一筋の光が差した。
「……まだぎこちねぇし、強化率も粗い。けど磨けば戦場で生き残れる力になる。あとは鍛錬あるのみだ」
ヴァンは真剣な目でそう告げた。




