006.冒険者組合
「じゃあ、あらかた話すことも話したし……早速、冒険者組合に行ってミハネの身分証を作るか」
ヴァンは残っていた飲み物をカップごと傾け、一息に飲み干した。
半分ほど残っていたケーキも、豪快に一口で平らげる。
「わかったけど……そんなに一気に食べなくても」
苦笑しながら言うと、ヴァンは肩をすくめて笑った。
「これから新しい旅が始まるってんなら、じっとしてられねぇんだよ」
フォークを置きながら、彼は言葉を続ける。
「もっとも……常識を教えてるって言っても、実際に口で説明できるのはほんの一部だけだ。どんなことまで教えりゃいいか俺もわからん。だから他に知りたいことがあったら、その都度聞いてくれ」
「ああ、わかった」
俺も自分の皿を片づけると、ヴァンがすっと立ち上がり、リディアに声をかける。
「じゃあな、また来る」
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「はーい、ありがとうございました。また来てね」
ヴァンは銅貨を二十枚をリディアに渡し、俺たちは店を後にした。
「店の代金まで払ってくれて……ありがとう」
「気にすんな。俺が誘ったんだからな」
そうは言ってくれたが、この世界で生きるには金が要る。
衣食住を全部ヴァンに頼るのは、やっぱり心苦しい。
「そうだ。これ……売れないかな」
俺はエコバッグの中から、一本の瓶を取り出した。
店で買った帰りにバックの中へ入れていたラムネの瓶だ。
透き通った青みを帯びた硝子。
その首には、炭酸の気泡を封じるように硝子玉が嵌め込まれている。
「おお……これは硝子か?」
ヴァンが目を丸くする。
「すげぇな。ここまで澄んだ硝子は見たことがねぇ。しかも中に収まった玉……宝石だと言われても信じちまうぞ」
ただのラムネ瓶。それなのに、この世界では明らかに特別なものらしい。
「……そんなに価値があるんだ」
「あるさ。職人に見せりゃ法外な値をつけるだろうし、下手すりゃ貴族がコレクションに欲しがるかもしれねぇな」
ヴァンは瓶を手に取り、光に透かして感心したように唸った。
「この国でも硝子は使われている。だがな、一般的な製品は曇りや気泡ありが当たり前だ。透明な硝子となると、貴族の屋敷や教会の窓に使われるぐらいの代物だ」
「それが……こんなに澄んでいて、しかも均一に成形された容器となると話は別だ。特に中の硝子玉――これはやばい。完璧な球体だぞ。魔術組合や教会なら、魔道具の核に欲しがるに決まってる。しかもそれを持ってきたのが黒髪黒目の人間となれば、“稀人の証”として厄介ごとに巻き込まれるかもしれねぇ」
軽い気持ちで取り出しただけのものが、とんでもない意味を持ちうることを悟り、思わずごくりと息を呑んだ。
「だが……まあ、金がないっていうのもわかる」
ヴァンは瓶をもう一度光に透かしてから、こちらへ差し戻した。
「二本持ってたよな? 一つは俺のつてで、ミハネが巻き込まれねぇ経路で金に換えておいてやる。信頼できる職人や裏の商人に流せば、貴族や組合に勘づかれる心配は少ねぇ」
「……そんなことまでしてもらっていいのか?」
「気にすんな。稀人の証なんてもんを抱えたまま素人が動き回る方がよっぽど危ねぇからな」
ヴァンは肩をすくめ、気楽そうに見せながらも、その声音には真剣さがにじんでいた。
手の中の瓶を見下ろす。
日本ではどこにでもあるただのラムネ瓶。
それがこの世界では、宝とも火種ともなる。
「……わかった。ヴァンに任せる」
「ああ、それが良い。売れたらまた知らせる」
ヴァンは瓶を受け取り、自分の袋へと仕舞い込んだ。
◆
しばらく街道を歩くうちに、人通りが次第に増えていった。
石畳の道は広がり、露店や行商人の声が飛び交う。
やがて視線の先に、灰色の石で築かれた重厚な二階建ての建物がそびえ立った。
扉の上には「剣と盾をかたどった紋章」が掲げられ、そこからは笑い声や怒号が絶え間なく漏れてくる。
出入りするのは剣を背負った男、杖を抱えた女、鎧を鳴らす兵のような連中――誰もが“戦い”を日常にしている顔だった。
ヴァンが口元を吊り上げる。
「――あれが冒険者組合だ。俺たちみたいな連中が集まる場所だな」
重い扉を押し開けた瞬間、むっとした熱気と人いきれが押し寄せた。
中は広い広間で、正面の壁一面に据えられた掲示板には羊皮紙がびっしりと貼られ、冒険者たちが群がって依頼を吟味している。
片隅では長椅子と大きな木の机を囲んで酒や食事を取る者たちが大声で談笑していた。
机の上には骨付き肉の残骸や黒パンのかけら、半分飲み干された杯が乱雑に転がり、まるで酒場のようなざわめきだ。
そして広間の奥には分厚い木の台を構えた受付があり、職員たちが帳簿を繰りながら冒険者たちの報告を処理している。
ヴァンはそんな光景を見回し、にやりと笑った。
「どうだ? 活気あるだろ。ここがこの国で一番、命のやり取りが日常に溶け込んでる場所だ」
剣を磨く若者。
戦利品を分け合う女戦士。
酒に酔って床に突っ伏す老人。
その雑多さに圧倒され、俺は思わず息をのんだ。
そのとき、酒盛りの卓から声が飛ぶ。
「よう、ヴァン! 今日は遅い出勤じゃねぇか!」
「この前は世話になったな! 骸鐘鳥から助けてくれた礼だ、俺たちのおごりで飲もうぜ!」
朗らかな声に広間のあちこちが振り向いた。
ヴァンは手を上げて応じ、苦笑混じりに首を横に振る。
「悪いな。今日は別の用事だ。酒の席は、また今度ご相伴にあずかるよ」
そのやり取りを見ていた俺は、思わず口にした。
「……ずいぶん慕われてるんだな」
「まあな」
ヴァンは肩をすくめる。
「鳳紋持ちの冒険者はそう多くねぇ。しかも俺みたいに誰とも組んでねぇ奴は、なおさら目立つ」
「……なんでヴァンは、誰とも組まなかったんだ?」
その問いに、ヴァンの表情がわずかに陰った。
視線を横に逸らし、掲示板を見つめながら低い声で答える。
「ああ……俺の目的が“伝承”の探求だからだ。命を懸けて追う覚悟がある奴ならいい。だが、話半分で付き合うような連中と組んだら、互いに不幸になるだけだ」
その声音に、先ほどまでの軽口はなかった。
受付の前に立つと、そこには栗色の髪を後ろでひとつに結んだ女性がいた。
背筋をすっと伸ばし、帳面や羊皮紙をきちんと揃えている。指先の動きは丁寧で無駄がなく、それだけで誠実な人柄が伝わってきた。
「よう、セリナ」
ヴァンが声をかける。
「こんにちは、エルヴァンさん。今日はどのようなご用件ですか?」
落ち着いた声音が返ってきた。耳に心地よい、澄んだ声だ。
「こいつの登録だ。新しく冒険者になる」
ヴァンは俺の肩を軽く叩き、前へ押し出す。
「そうでしたか」
セリナはふわりと微笑み、手を広げる。
「ようこそ、冒険者組合へ」
「よ、よろしくお願いします。弥羽と申します」
慌てて頭を下げると、彼女は柔らかな笑みを崩さずに頷いた。
「ミハネさんですね。こちらこそ、よろしくお願いします」
セリナは親しみを込めた目を向け、机の下から一枚の紙を取り出した。
それは色鮮やかな挿絵が描かれた説明書だった。
剣を構える戦士、呪文を唱える魔法使い、弓を引く狩人――冒険者の姿が絵解きのように並んでいる。
「ではまず、冒険者というものについてご説明しますね」
そう言ってセリナは紙を差し出し、落ち着いた声で説明を始めた。
セリナは一枚の紙を机に置き、指先で色とりどりの紋章を示した。
冒険者には等級があります。最初は“無紋”。ここから始まります」
彼女の指が、何も刻まれていない赤銅色の絵をなぞる。
「ではまず、冒険者というものについてご説明しますね」
彼女は紙を机に広げ、指先で色とりどりの紋章を示した。
「冒険者には等級があります。最初は“無紋”。ここからの出発です」
セリナの指が、何も刻まれていない赤銅色の絵をなぞる。
「無紋から始まり、依頼を達成したり討伐の証を提示することで昇格していきます。等級は大きく六段階――兎、狼、獅子、鳳凰、竜、そして神獣の紋です」
俺は思わずごくりと唾を飲んだ。
「兎紋は白地に兎の印。小型魔物の討伐が主で、入門者向けです」
「狼紋は青灰色に狼の印。中堅の証とされ、小型から中型まで任されます」
「獅紋は黄金に獅子の印。より力ある者で、幅広い依頼を担います」
次に、鮮やかな朱色に塗られた紋を指差す。
「鳳紋。上位の冒険者です。空や火を象徴し、国や街の要請で大規模な討伐を請け負うこともあります」
「俺のことだな」
ヴァンが茶々を入れ、にやりと笑う。
場が少し和むが、セリナは苦笑を浮かべつつ、指先を深い蒼の紋に移した。
「そして竜紋――竜を冠するだけあって、巨大な魔物や危険な地を単独で渡り歩ける者です」
最後に、漆黒に近い板へと触れた。
そこには神々しい獣が浮き彫りにされている。
「神紋……黒地に神獣の紋。伝説の領域です。災厄と呼ばれる存在に立ち向かえる者。数百年にひとり出るかどうかの存在ですね」
胸が高鳴る。
けれど同時に、そこまでの道のりがとてつもなく遠いことも理解できた。
「ただし――」
セリナは声を落とし、真剣な眼差しをこちらへ向ける。
「上に行くほど、証を偽る者や、依頼だけを食い散らかす者も現れます。ですから昇格の審査は厳格ですし、組合は冒険者の働きを常に記録しています。依頼の達成数や失敗数、そのすべてが残ります」
「……つまり、無紋のまま放っておいたら?」
気づけば、喉の奥が乾いていた。
「組合からの信頼を失います。剥奪されなくても、依頼は誰からも回ってきません」
微笑みは崩さぬままの説明。だがその声色には、温かさの奥に冷たい現実が潜んでいた。
ヴァンが隣でくつくつ笑う。
「つまり、ちんたらしてる暇はねぇってことだな」
セリナは微笑み、さらに補足した。
「そんなに急ぐ必要はありませんよ。依頼は討伐だけではありません。組合では魔物の素材の買い取りも行っていて、一般の商人より高く買い取ります。解体も割安で請け負いますし、その“解体の仕事”自体が依頼として出ることもあります。戦うのが苦手な方は、そうした仕事で生計を立てている場合もあります」
なるほど……ただの戦い好きの集まりじゃなく、仕事と暮らしの基盤そのものを担っているのか。
「そして、組合は街ごとに拠点があります。隣国にも繋がっているので、旅をする冒険者にとっては、どこへ行っても“居場所”になるでしょう」
説明を終えたセリナが、机の引き出しから小箱を取り出した。
蓋を開けると、赤銅色の小さな板が整然と並んでいる。光を受けて鈍く輝き、ひとつひとつが未来を決める札のように見えた。
「では、冒険者としての証を作成いたします」
セリナはその中から一枚を取り出し、机の上にそっと置いた。
「この板に名を刻みます。それが今後、組合の帳に記録されます。偽りの名を申せば、そのまま一生を背負うことになります……お気をつけください」
静かな声に、背筋が粟立つ。試されているようで、胸がざわついた。
ちらりとヴァンを見ると、彼は短く顎をしゃくってみせる。
「大丈夫だ」
深呼吸をひとつ。俺ははっきりと名を告げた。
「……ミハネ・アマギ」
セリナが頷き、小さな鉄筆のような道具を取り出す。
赤銅の板に滑らせると、表面が淡く光り、音もなく文字が刻印された。
その手際は淀みなく、まるで祈りを刻む儀式のように厳かだった。
「はい、確かに刻みました。これであなたは“無紋”の冒険者です」
革ひもが通され、首から下げられる形に整えられる。
セリナが両手で差し出すと、ずしりとした重みが掌に伝わった。
ただの灰色の金属板――だが、まるで新しい世界で生きる責任そのものを託されたようだった。
「……これで、俺も冒険者に」
胸の奥で、不思議な高鳴りが脈打つ。
ヴァンが肩を叩き、にやりと笑った。
「ようやく一歩目だな。無紋だろうと、立派な冒険者だ」
セリナも頷き、帳面に記録を走らせながら柔らかく告げた。
「では、さっそく依頼を見てみますか? 初心者向けでしたら討伐だけでなく、荷運びや採集の依頼もございます」