表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界人間師  作者: 白黒 シろ
1章.初まり街、沈む影
31/76

031.慈善団体の懐

 冒険者組合に戻ると、バルザークが組合長室で待っていた。

 机に薬瓶を置くと、部屋の空気が一段重くなる。

「……匂いがきついな。薬草を煮詰めたような、だが鼻を刺す刺激がある。普通の治療薬じゃないな」

 バルザークは眉をひそめ、瓶を凝視した。

「倉庫の焼き印は“慈善団体”の名でした」

 俺が報告すると、組合長は深く唸る。

「やはりか。貧民救済を掲げてはいたが、帳簿に不自然な空白があると以前から噂はあった……」

 彼の合図で組合の書庫が開かれ、寄付や援助の記録が運ばれてきた。

 ライが書類の束をめくり、声を上げる。

「これ、団体が孤児を引き取った記録と……同じ時期に出された“行方不明者”の届けが一致してる」

 ライは紙を突き合わせ、顔をしかめた。

「名前も年も一致。引き取ったはずの孤児が、消息を絶ってる」

「……つまり“施し”という名目で人を集めていた、か」

 ガルドの声が冷えた。

 俺は羊皮紙をめくり、別の列に目を止める。

「こっちを見ろ。寄付の金の流れ……仕入れた物資の中に“薬草・樹皮”の記載がある。だが使い道が書かれていない」

 バルザークが低く唸る。

「慈善のための薬かと思えば、実際はあの倉庫に積まれていたわけだな」

 市井で聞き込みをすれば、慈善団体は市民に慕われていた。

 炊き出し、孤児の保護、施しの配布。

 だが受け取った施しの中には、時折“苦い薬瓶”が混ざっていたと貧民が口にする。

「体が熱くなった」「数日は眠れなかった」――そんな証言が散見された。

 善意の皮の下に、毒が潜んでいた。

 記録をさらに洗ううちに、一つの名が浮かび上がった。

 慈善団体の後ろ盾として、寄付者の筆頭に記されている人物。

「……リュシアン・マルトレ子爵」

 バルザークが低く名を読み上げる。

 王都の貴族社会ではさほど目立たない、古い家系の一つ。

 領地は小さく、影響力も大貴族には及ばない。

 だが慈善活動には熱心で、市井には名が知れていた。

 孤児院への寄付、施療院への援助。

 人々は彼を“良き後援者”と呼び、街角では「困ったときはマルトレ子爵へ」と囁くほどだった。

 しかし帳簿を洗えば、薬草の仕入れに多額の資金を注ぎ込み、そのまま倉庫へ流していた痕跡が出る。

 孤児の名簿の欠落も、すべてこの家を通じて処理されていた。

「……こいつか」

 ガルドが吐き捨てる。

 ライが拳を握り、歯を食いしばった。

「街の連中からは“恩人”扱いだってのに……救うどころか、売り払ってたのかよ」

 俺は唇を噛み、薬瓶を見下ろす。

 揺れる緑の液体が、今やマルトレ子爵の偽善そのものに見えた。

「……だが証拠はまだ不十分だ」

 バルザークが机を叩く。

「この薬瓶と倉庫の印だけでは、リュシアン子爵を法に引きずり出すことはできん。……裏付けが要る」

「裏付け……つまり、慈善団体か子爵本人を洗えってことですか?」

 俺が問うと、組合長はうなずいた。

「団体の名義で薬を仕入れた記録、孤児の名簿の欠落。どれも断片だ。お前たちには、“繋がる証”を拾ってきてもらいたい」

 ガルドが顎を引き、短く答える。

「……わかりました。尻尾を掴みかけてるんだ、このまま逃がさねぇ……!」

 ライは吐息をつき、俺に目を向けた。

「ミハネ、お前が一番冷静だ。今回も頼むぜ」

 俺は頷き、薬瓶を布に包み直す。

 緑の液体が脈動するように揺れ、その光はまるで俺たちを次の戦場へと誘う灯火だった。

 組合長室を出ると、夜の王都は静まり返っていた。

 だが俺たちの胸には、リュシアン子爵の名が重くのしかかっていた。

「……まずは慈善団体の正体を暴く。やつらの懐にある、薬の匂いを探しに行くぞ」

 ガルドの声に、俺とライは黙って頷く。

 善意を掲げるその建物が、どれほどの闇を抱えているのか。

 俺たちは確かめずにはいられなかった。

 この事件の黒幕――。

 慈善団体の仮面を操るその貴族。

 倉庫で嗅いだえぐい臭気が甦る。

 それは、善意の香油に塗り込められた毒の匂いだった。

 

 ◆


 組合を出た俺たちは、夜の王都をそのまま歩き続けた。

 灯火の絶えた石畳は冷え、靴音がやけに大きく響く。

 向かう先は、リュシアン子爵が後援する孤児院――慈善団体の拠点。

 昼間は孤児を抱え、施しの場として市民に開かれている。

 だが今は夜。門は閉ざされ、建物は暗い影に沈んでいた。

「……やるなら今だな」

 ガルドが低く呟く。

 俺とライは頷き、三人で壁を乗り越えた。

 中庭はひどく静かだった。

 昼には子供たちの笑い声が響いていたはずだが、今はどこからも聞こえない。

 代わりに鼻をかすめたのは、かすかな薬の匂い。

 倉庫で嗅いだあのえぐい臭気に似ているが、もっと薄く、壁の隙間から滲み出しているようだった。

「感じるか?」

 ライが小声で問う。

 俺は頷く。

「……確かにある。だが強くはない」

 俺たちは足音を殺し、建物の裏へ回った。

 そこには荷車の轍が残っていた。

 雨も降っていないのに、土が固く抉れている。

 最近まで繰り返し車が出入りしていた証だ。

「夜間搬入……か」

 ガルドが低く呟く。

「慈善団体が夜に荷を受け取る必要はねぇ。少なくとも表向きは、な」

 裏口の扉をこじ開け、内部に忍び込む。

 廊下は真っ暗で、壁に灯されたはずのランプは外されていた。

 俺たちは灯りの魔道具を掲げ、慎重に進む。

 棚や机には、炊き出しに使う鍋や食器が整然と並んでいた。

 だが不自然に目立つものはない。

「……派手な証拠は残してないな」

 ライが唇を噛む。

「当たり前だ。こんな場所に山のように薬を置くはずがねぇ」

 ガルドの声は冷静だった。

 それでも諦めず、奥の部屋を探る。

 古びた書類棚を開くと、名簿があった。

 だが――

「……抜けてる」

 俺は息を呑む。

 孤児の名簿。

 入所の記録はあるのに、退所の欄が白紙のまま放置されていた。

 それどころか、紙ごと引きちぎられた痕跡まで残っている。

「都合の悪い部分を削ったか……」

 ガルドが指で跡をなぞり、低く唸った。

 決定的な証拠ではない。

 だが、倉庫で消えた孤児たちと帳簿の欠落が重なっている。

「これ以上は危険だ。長居すれば見張りに気づかれる」

 ガルドが撤退を告げる。

 俺とライは頷き、名簿の断片だけを持ち帰ることにした。

 孤児院を出ると、夜風が頬を冷たく撫でた。

 善意の看板を掲げる建物。

 その奥に潜んでいたのは、確かに毒の匂いだった。

「……やっぱり繋がってるな」

 俺の呟きに、二人は黙って頷く。


 慈善団体の孤児院に忍び込んだが、決定的な証拠は見つからなかった。

 薬の残り香、削られた名簿、搬入の轍――どれも確かに黒だ。

 だが“断罪の刃”として振り下ろすには、まだ弱い。

「……結局、本元を押さえるしかねぇな」

 ガルドが低く吐き捨てる。

 ライが名簿の断片を握りしめ、苛立ちを隠さずに言った。

「孤児院に置いてあるのは痕跡だけ。中身はぜんぶ、もっと深い場所に隠してやがる」

 俺は夜風に冷えた薬瓶の匂いを思い出し、唇を噛んだ。

「……なら次は、リュシアン・マルトレ子爵の屋敷だ」

 その名を口にした瞬間、三人の間に重苦しい沈黙が落ちる。

 子爵邸は王都北区、石造りの街並みの奥にある。

 白壁と鉄柵に囲まれ、昼間は慈善の来客で賑わうが――夜は警備が張りつめる。

「危険だぞ。孤児院とはわけが違う」

 ガルドが険しい目で言う。

「だが、そこしかない」

 ライが唇を歪め、握った拳を緩めない。

「奴の懐に踏み込まなきゃ、何も暴けやしない」

 俺は深く息を吐き、頷いた。

「決定的な証拠は、必ず屋敷にある。――帳簿か、薬の在庫か、あるいは……消えた孤児の名簿の原本だ」

 ガルドはしばし黙し、やがて剣の柄に手を置いて言った。

「……よし。やるなら一気だ。このまま夜明けまでに潜り込み、痕跡を掴んで抜ける」

 俺たちは闇に紛れ、王都の北区へ足を向けた。

 街灯の灯りが遠ざかるにつれ、石畳は冷たく光を失い、屋敷の白壁が月明かりに浮かび上がる。

 鉄柵の向こうには整えられた庭。

 だが美しい景観の奥に潜むのは、孤児を喰らう偽善の影。

 背筋に冷たいものが走る。

 だが、ここを越えなければ真実は掴めない。

「――行くぞ」

 ガルドの声を合図に、俺とライは身を低くして鉄柵へ取りついた。

 月の下、子爵の屋敷が沈黙の牙を剥いていた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ