031.慈善団体の懐
冒険者組合に戻ると、バルザークが組合長室で待っていた。
机に薬瓶を置くと、部屋の空気が一段重くなる。
「……匂いがきついな。薬草を煮詰めたような、だが鼻を刺す刺激がある。普通の治療薬じゃないな」
バルザークは眉をひそめ、瓶を凝視した。
「倉庫の焼き印は“慈善団体”の名でした」
俺が報告すると、組合長は深く唸る。
「やはりか。貧民救済を掲げてはいたが、帳簿に不自然な空白があると以前から噂はあった……」
彼の合図で組合の書庫が開かれ、寄付や援助の記録が運ばれてきた。
ライが書類の束をめくり、声を上げる。
「これ、団体が孤児を引き取った記録と……同じ時期に出された“行方不明者”の届けが一致してる」
ライは紙を突き合わせ、顔をしかめた。
「名前も年も一致。引き取ったはずの孤児が、消息を絶ってる」
「……つまり“施し”という名目で人を集めていた、か」
ガルドの声が冷えた。
俺は羊皮紙をめくり、別の列に目を止める。
「こっちを見ろ。寄付の金の流れ……仕入れた物資の中に“薬草・樹皮”の記載がある。だが使い道が書かれていない」
バルザークが低く唸る。
「慈善のための薬かと思えば、実際はあの倉庫に積まれていたわけだな」
市井で聞き込みをすれば、慈善団体は市民に慕われていた。
炊き出し、孤児の保護、施しの配布。
だが受け取った施しの中には、時折“苦い薬瓶”が混ざっていたと貧民が口にする。
「体が熱くなった」「数日は眠れなかった」――そんな証言が散見された。
善意の皮の下に、毒が潜んでいた。
記録をさらに洗ううちに、一つの名が浮かび上がった。
慈善団体の後ろ盾として、寄付者の筆頭に記されている人物。
「……リュシアン・マルトレ子爵」
バルザークが低く名を読み上げる。
王都の貴族社会ではさほど目立たない、古い家系の一つ。
領地は小さく、影響力も大貴族には及ばない。
だが慈善活動には熱心で、市井には名が知れていた。
孤児院への寄付、施療院への援助。
人々は彼を“良き後援者”と呼び、街角では「困ったときはマルトレ子爵へ」と囁くほどだった。
しかし帳簿を洗えば、薬草の仕入れに多額の資金を注ぎ込み、そのまま倉庫へ流していた痕跡が出る。
孤児の名簿の欠落も、すべてこの家を通じて処理されていた。
「……こいつか」
ガルドが吐き捨てる。
ライが拳を握り、歯を食いしばった。
「街の連中からは“恩人”扱いだってのに……救うどころか、売り払ってたのかよ」
俺は唇を噛み、薬瓶を見下ろす。
揺れる緑の液体が、今やマルトレ子爵の偽善そのものに見えた。
「……だが証拠はまだ不十分だ」
バルザークが机を叩く。
「この薬瓶と倉庫の印だけでは、リュシアン子爵を法に引きずり出すことはできん。……裏付けが要る」
「裏付け……つまり、慈善団体か子爵本人を洗えってことですか?」
俺が問うと、組合長はうなずいた。
「団体の名義で薬を仕入れた記録、孤児の名簿の欠落。どれも断片だ。お前たちには、“繋がる証”を拾ってきてもらいたい」
ガルドが顎を引き、短く答える。
「……わかりました。尻尾を掴みかけてるんだ、このまま逃がさねぇ……!」
ライは吐息をつき、俺に目を向けた。
「ミハネ、お前が一番冷静だ。今回も頼むぜ」
俺は頷き、薬瓶を布に包み直す。
緑の液体が脈動するように揺れ、その光はまるで俺たちを次の戦場へと誘う灯火だった。
組合長室を出ると、夜の王都は静まり返っていた。
だが俺たちの胸には、リュシアン子爵の名が重くのしかかっていた。
「……まずは慈善団体の正体を暴く。やつらの懐にある、薬の匂いを探しに行くぞ」
ガルドの声に、俺とライは黙って頷く。
善意を掲げるその建物が、どれほどの闇を抱えているのか。
俺たちは確かめずにはいられなかった。
この事件の黒幕――。
慈善団体の仮面を操るその貴族。
倉庫で嗅いだえぐい臭気が甦る。
それは、善意の香油に塗り込められた毒の匂いだった。
◆
組合を出た俺たちは、夜の王都をそのまま歩き続けた。
灯火の絶えた石畳は冷え、靴音がやけに大きく響く。
向かう先は、リュシアン子爵が後援する孤児院――慈善団体の拠点。
昼間は孤児を抱え、施しの場として市民に開かれている。
だが今は夜。門は閉ざされ、建物は暗い影に沈んでいた。
「……やるなら今だな」
ガルドが低く呟く。
俺とライは頷き、三人で壁を乗り越えた。
中庭はひどく静かだった。
昼には子供たちの笑い声が響いていたはずだが、今はどこからも聞こえない。
代わりに鼻をかすめたのは、かすかな薬の匂い。
倉庫で嗅いだあのえぐい臭気に似ているが、もっと薄く、壁の隙間から滲み出しているようだった。
「感じるか?」
ライが小声で問う。
俺は頷く。
「……確かにある。だが強くはない」
俺たちは足音を殺し、建物の裏へ回った。
そこには荷車の轍が残っていた。
雨も降っていないのに、土が固く抉れている。
最近まで繰り返し車が出入りしていた証だ。
「夜間搬入……か」
ガルドが低く呟く。
「慈善団体が夜に荷を受け取る必要はねぇ。少なくとも表向きは、な」
裏口の扉をこじ開け、内部に忍び込む。
廊下は真っ暗で、壁に灯されたはずのランプは外されていた。
俺たちは灯りの魔道具を掲げ、慎重に進む。
棚や机には、炊き出しに使う鍋や食器が整然と並んでいた。
だが不自然に目立つものはない。
「……派手な証拠は残してないな」
ライが唇を噛む。
「当たり前だ。こんな場所に山のように薬を置くはずがねぇ」
ガルドの声は冷静だった。
それでも諦めず、奥の部屋を探る。
古びた書類棚を開くと、名簿があった。
だが――
「……抜けてる」
俺は息を呑む。
孤児の名簿。
入所の記録はあるのに、退所の欄が白紙のまま放置されていた。
それどころか、紙ごと引きちぎられた痕跡まで残っている。
「都合の悪い部分を削ったか……」
ガルドが指で跡をなぞり、低く唸った。
決定的な証拠ではない。
だが、倉庫で消えた孤児たちと帳簿の欠落が重なっている。
「これ以上は危険だ。長居すれば見張りに気づかれる」
ガルドが撤退を告げる。
俺とライは頷き、名簿の断片だけを持ち帰ることにした。
孤児院を出ると、夜風が頬を冷たく撫でた。
善意の看板を掲げる建物。
その奥に潜んでいたのは、確かに毒の匂いだった。
「……やっぱり繋がってるな」
俺の呟きに、二人は黙って頷く。
慈善団体の孤児院に忍び込んだが、決定的な証拠は見つからなかった。
薬の残り香、削られた名簿、搬入の轍――どれも確かに黒だ。
だが“断罪の刃”として振り下ろすには、まだ弱い。
「……結局、本元を押さえるしかねぇな」
ガルドが低く吐き捨てる。
ライが名簿の断片を握りしめ、苛立ちを隠さずに言った。
「孤児院に置いてあるのは痕跡だけ。中身はぜんぶ、もっと深い場所に隠してやがる」
俺は夜風に冷えた薬瓶の匂いを思い出し、唇を噛んだ。
「……なら次は、リュシアン・マルトレ子爵の屋敷だ」
その名を口にした瞬間、三人の間に重苦しい沈黙が落ちる。
子爵邸は王都北区、石造りの街並みの奥にある。
白壁と鉄柵に囲まれ、昼間は慈善の来客で賑わうが――夜は警備が張りつめる。
「危険だぞ。孤児院とはわけが違う」
ガルドが険しい目で言う。
「だが、そこしかない」
ライが唇を歪め、握った拳を緩めない。
「奴の懐に踏み込まなきゃ、何も暴けやしない」
俺は深く息を吐き、頷いた。
「決定的な証拠は、必ず屋敷にある。――帳簿か、薬の在庫か、あるいは……消えた孤児の名簿の原本だ」
ガルドはしばし黙し、やがて剣の柄に手を置いて言った。
「……よし。やるなら一気だ。このまま夜明けまでに潜り込み、痕跡を掴んで抜ける」
俺たちは闇に紛れ、王都の北区へ足を向けた。
街灯の灯りが遠ざかるにつれ、石畳は冷たく光を失い、屋敷の白壁が月明かりに浮かび上がる。
鉄柵の向こうには整えられた庭。
だが美しい景観の奥に潜むのは、孤児を喰らう偽善の影。
背筋に冷たいものが走る。
だが、ここを越えなければ真実は掴めない。
「――行くぞ」
ガルドの声を合図に、俺とライは身を低くして鉄柵へ取りついた。
月の下、子爵の屋敷が沈黙の牙を剥いていた。




