023.合同訓練
ガルドが歩いて向かったのは、騒がしい大衆食堂だった。
煤けた木の看板から漂うのは、直火で焼かれる肉の匂い。油が弾ける音と香ばしい香りが路地にまで広がり、自然と腹が鳴る。
昼時の店はすでに冒険者や労働者でごった返し、笑い声と皿を叩く音が渦を巻いていた。
ガルドは躊躇なく銀貨を数枚放り出し、低い声で店主に告げる。
「好きなもん頼め。今日は俺の奢りだ」
すぐにテーブルへと料理が並んだ。肉の串焼き、ぐつぐつと煮込まれたシチュー、香草を散らした黒パン。
皿から立ちのぼる湯気が、むせかえるほど濃い香りを漂わせ、胃を鷲づかみにする。
「……じゃ、いただきます」
黒パンをちぎり、シチューに浸す。吸い込んだ汁がじゅわりと染み出し、柔らかく煮崩れた肉と絡み合う。
一口噛めば塩気と旨味が舌に広がり、冷え切った胃の底へじんわりと熱が落ちていく。
思わず息が漏れた。
「どうだ? 悪くねぇだろ」
「……ああ」
素直にうなずくと、ガルドはにっと歯を見せて笑う。
その笑顔は昨日の血気立った姿とはまるで違っていた。
「こうして飯食ってりゃ、昨日のことなんざ嘘みてぇだ」
「俺もそう思うねぇ」
ライは豪快に串をかじり、骨の隙間を歯でしゃぶりながら肩をすくめる。
「喧嘩した相手と酒と飯――これ以上の和解の儀式はねぇよ」
ガルドは呆れたように息を吐いたが、その目はどこか楽しげだった。
やがて食事を終えると、ガルドが真剣な眼差しで俺を見やった。
「……でだ。訓練も一緒にやらねぇか?」
「一緒に?」
「ああ。剣を振るうのは一人でもできる。だが実戦は違う。仲間の動きに合わせて動けるかどうか……それが生き残る鍵だ」
ガルドは拳を握り、軽く机に置いて言葉を続ける。
「それにな。自分じゃ気づかねぇ動きの癖も、誰かに見てもらわなきゃ直せねぇ」
言い終えると、ガルドはばつが悪そうに頭を掻いた。
「……それに俺自身、頭も冷やしたい。昨日みたいな馬鹿な真似は、もうごめんだ」
その言葉に、不信感がようやく氷解していくのを感じた。
昨日まで敵意しかなかった相手と、今こうして飯を食い、訓練を共にする。
それが思っていた以上に心強く思えた。
「……わかった。やろう」
答えると、ガルドは満足げに頷き、ライは口元をにやりと歪めた。
「面白くなってきたな。俺も混ぜろよ」
ライはにやにやと笑いながら、空になったジョッキを机に置いた。
その軽口に、ガルドがわざとらしくため息を吐く。
「お前は最初から混ざってんだろ。……けどまあ、悪くねぇか」
杯が触れ合い、小さな音が響いた。
騒がしい食堂の喧騒の中で、それは妙に鮮やかに耳に残った。
◆
訓練場の広場は昼の陽に照らされ、砂埃と鉄の匂いが入り混じっていた。
冒険者たちの掛け声、剣戟の響き――絶え間なく続く音が、ここが日常の戦場であることを告げている。
「二人まとめてかかってこい」
ガルドが木剣を肩に担ぎ、挑発するように笑った。
「俺が相手をしてやる」
「ふっ、言ったなぁ」
ライが剣をくるりと回し、にやりと口元を吊り上げて俺の隣に立つ。
「負けても泣くなよ、ガルド!」
「調子に乗るな兎紋。……実戦は二対一、三対一なんざ当たり前だ」
冗談めいた口調とは裏腹に、その眼差しは真剣そのもの。
俺は木剣を握り直し、砂の匂いを含んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「――始め!」
最初に動いたのはガルドだった。
巨体から繰り出される一歩は地面を揺らし、振り下ろされた木剣は大木が倒れかかるかのような威圧感を放つ。
「っ……!」
咄嗟に剣を合わせる。瞬間、骨を震わす衝撃が腕を貫き、足元の砂がはじけて舞った。
「ほらよっ!」
ライが横から鋭い突きを放つ。
だがガルドは俺の剣を押さえ込んだまま、片手でライの木剣を弾き飛ばした。
「甘ぇ!」
返す一撃がライの肩を強打し、鈍い音が響く。ライが呻き声を上げて後退した。
「くそっ、やっぱ重ぇな……!」
俺は息を荒げながら木剣を構え直す。
――正面から力で挑めば、勝てるはずがない。
ガルドの木剣が再び唸りを上げる。
正面から受けるな――直感が叫び、俺は横へ跳んだ。
「ミハネ、右だ!」
ライの声が飛ぶ。次の瞬間、彼がガルドの死角へ潜り込み、素早い横薙ぎを繰り出した。
ガルドは振り返りざまに腕で受け止める。
鈍い音とともに木剣が弾かれ、ライが後退する。
「っ……全然効かねぇ!」
歯噛みしながらも、ライはすぐ俺の隣に並んだ。
互いに目を合わせる。打ち合わせなんてしていない。
だが、ここで連携しなければ勝ち目はないことだけはわかる。
「一回俺が受ける。ライ、隙を突け」
「言ったな。すぐ逃げんなよ?」
短い言葉を交わすや否や、ガルドが踏み込んできた。
巨大な影が覆いかぶさる。
俺は木剣を正面に構え、全身の力で受け止める。
ガンッ!!
衝撃が肩から背骨まで駆け抜ける。
足裏の砂が削れ、膝が沈む。
――今だ、ライ!
「おらぁっ!」
俺が受け止めている隙に、ライが大きく跳び込み、ガルドの脇腹へ突きを叩き込んだ。
ガルドの身体がわずかに揺れる。
「効いたか!?」
「いや……まだだ!」
ガルドは片手で俺の剣を押さえ込んだまま、もう片方の腕でライを薙ぎ払った。
ライの体が砂埃を巻き上げて転がる。
「くそっ、怪物かよ……!」
それでも彼はすぐに起き上がり、再び木剣を構えた。
胸の奥で、熱がじわりと広がる。
俺ひとりじゃ無理だ。だが、二人なら――もしかしたら勝てるかもしれない。
「ライ、次は同時に行くぞ!」
「へっ、やっと息が合ってきたな!」
二人の声が重なると同時に、再び砂を蹴った。
俺は正面から切り込み、ライは低く身を滑らせて横から回り込む。
「同時か……いい判断だ!」
ガルドの目が獣のように光る。
振り下ろされた木剣を、俺は全力で受け止めた。
ガァンッ!
衝撃で腕が痺れる。歯を食いしばり、足を踏ん張る。
その一瞬、ライの木剣がガルドの足を狙って薙ぎ払った。
「っらああっ!」
ガルドは咄嗟に片足を跳ね上げる。
動きが乱れ、俺への圧がわずかに軽くなる。
「今だ、押せ!」
「ああ!」
息を合わせ、俺とライが同時に木剣を叩き込む。
ガルドの胴と肩に衝撃が走り、大きな体が二歩後退した。
「……っ!」
「悪くねぇ。だがまだ足りねぇ!」
ガルドが獰猛な笑みを浮かべ、木剣を大きく薙ぎ払った。
俺とライの剣がまとめて弾き飛ばされ、二人して後方へ転がる。
砂を吐き、木剣を握り直す。
腕も脚も痺れ、呼吸は荒い。
けれど、確かにさっきとは違う。
――二人で仕掛ければ、あの巨躯を揺らせる。
隣でライがにやりと笑い、肩を並べる。
「へへっ……今の、悪くなかっただろ?」
「……ああ」
俺も笑みを返す。
まだ勝てるわけじゃない。だが、不可能じゃない――そう思えた。
そこでガルドが剣をおろし、俺の右腕へと視線を落とす。
「ミハネ。さっきの一撃、昨日より大分弱かったぞ。……まだ腕が痛むのか?」
「ああ。訓練だから全身に薄くは魔力を回してる。けど、昨日みたいに右腕へ重点的に流し込んで相手を叩き伏せるやり方は控えてる」
答えた俺に、ライが首を傾げた。
「腕への重点的な強化……? なんだそりゃ」
その言葉に、ふとヴァンの助言を思い出す。
――全身を一気に強化するのは効率が悪い。踏み込むときは足、斬りかかるときは腕……そうやって部分ごとに強化すりゃ、持続も伸びるし力も無駄にしなくて済む。
――まあ、こんなこと意識してやってるのは上の等級の連中くらいだ。他の冒険者は力任せで終わりだな。
……やはり、ガルドもライも知らないらしい。
「二人とも、身体強化は全身じゃなくて部分的に行うんだ」
気づけば口から出ていた。二人が俺を振り返る。
「部分的?」
ライが怪訝そうに眉をひそめる。
「例えば……この前の決闘で、俺は右腕だけを強化して鉄剣と木剣を振った。全身を一度に強くしようとすると効率が悪い。けど、一部に集中すれば――木でも鉄でも、同じ重さで扱えるんだ」
俺は木剣を握り直し、右腕に意識を込める。
魔力を血流に沿って押し流し、筋肉を軋ませる。
振り抜いた木剣が、さっきよりも軽やかに風を裂いた。
「こうして“部分的に強化”するんだ。例えばガルドなら腕、ライなら脚。自分の得意な部位に集中させれば、一撃は鋭くなるし、魔力の無駄も減る」
ガルドは片眉を上げ、興味深そうに唸った。
「ほう……局所的に強化か。そんな発想はなかったな。確かに、俺の一撃はさらに重くなるかもしれねぇ」
「俺は脚か……なるほど、スピード強化ってやつだな」
ライはにやりと笑い、さっそく地面を蹴った。砂を散らし、一瞬で間合いを詰める。
「うっ……難しいな」
脚が空回りし、バランスを崩してよろめいた。
「こりゃ、俺も慣れが要るな」
ガルドも腕に力を流し込み、木剣を構え直す。握り締めた手がきしむ音を立て、次の瞬間、素振りの勢いで木剣がすっぽ抜けた。
「……ははっ、なるほど。おいおい、難しいぞ」
何度か手を振り直しながらガルドが苦笑する。
「まあ、何はともあれ実践が一番だ」
俺が言うと、二人は笑って頷いた。
再び三人の模擬戦が始まる。
ライは脚力を強化して翻弄しようとするが、途中で脚が空回りして転ぶ。
ガルドは思った以上に速くなった剣速に体がついていかず、豪快に体勢を崩す。
「……隙あり!」
互いにぎこちなさを抱えながらも、俺とライの連携でガルドの脇腹と背後に木剣を叩き込んだ。
「ぐっ……!」
ガルドは苦悶の声を上げ――次の瞬間、大きな笑い声を響かせる。
「……っははは! 面白ぇ……! これに慣れれば、無駄に力を散らさずに済む。ミハネ、いいもんを教えてもらったぜ」
「おう、俺もだ!」
ライが嬉しそうに木剣を掲げる。
「これなら三人で組んで動けば、結構やれるんじゃねぇか?」
肩で息をしながら、俺も頷いた。
体は軋むように痛むが、胸の奥には確かな手応えが残っていた。
正面だけでなく、側面や背後にも意識を向ける。
――これは三人で訓練しなければ気づけなかった感覚だ。
昨日まで敵意と緊張しかなかった関係が、今この瞬間、汗と剣戟を交わすことで結びついていくのを感じていた。




