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異世界人間師  作者: 白黒 シろ
1章.初まり街、沈む影
20/25

020.冒険者組合長

 ガルドを叩き伏せたあと、訓練場には一瞬の静寂――そして次の瞬間、どっと歓声が湧き上がった。

 口笛を鳴らす者、肩を叩いて「よくやったな新人!」と叫ぶ者。

 中にはガルドを知る者もいて、 「いくら成り立てとはいえ、狼紋のガルドが……」 「無紋に負けるなんてありえねえ」

 そんなざわめきが波のように広がっていった。

 その熱気を切り裂くように、修練場の大扉が「バンッ」と勢いよく開いた。

 入ってきたのは二人。

 先頭は受付のセリナ。

 そしてその後ろに歩むのは、片目に黒い眼帯をかけた大男だった。

 精悍で歴戦を刻んだ顔立ち。

 髪は銀の混じる黒。

 分厚い筋肉に覆われた体躯は老いてなお衰えず、逞しさと威圧感を併せ持っていた。

 その一歩ごとに場の空気が震えた。

 眼帯の下から放たれる片目は鋼のように冷たく、鋭い。

 生半可な冒険者なら、睨まれただけで足がすくむだろう。

 男が訓練場に足を踏み入れた瞬間、騒がしかった空気は一変し、全員が息を呑んだ。

 「冒険者組合長……」と、どこかで小さく呟く声が上がる。

 「……これは、どういうことだ」

 低く響く声は怒鳴りではない。だが、抑えられた怒気が底から伝わってくる。

 視線は俺と地に伏したガルドに向けられ、場にいる全員へと広がった。

 「ここが何の場所か、分かっているか?」

 重い沈黙。誰も口を開けない。

 沈黙の中、セリナが伏せた声で答えた。

 「……新人が、少しでも長く生き残るための修練場、です」

 「そうだ」

 男は低く頷いた。

 「多少の模擬戦は構わん。――だがな」

 片目がギラリと光る。

 「ここは命を繋ぐためにある場所だ。汗を流すことは許される。涙を流すこともあるだろう。だが――血を流す場ではない!」

 静かながら圧を帯びた声が訓練場全体を揺さぶる。

 「模擬戦で鉄の剣を使うこと自体は構わん。だが相手を選べ。力量を見ろ。己の力を誇示するために振るう剣は、ただの驕りにすぎん」

 男の視線が倒れ伏すガルドを一瞥する。

 「どんな紋を持とうが関係ない。剣を振るう意味を履き違えた者は、いずれ必ず破滅する。……それを肝に銘じろ」

 その言葉は、気絶しているガルドへではなく、訓練場にいる全員へ突きつけられた鉄槌のようだった。

 張り詰めた空気の中、男はゆっくりと場を見渡した。

 訓練場に集まっていた冒険者たちは皆、息を潜めて立ち尽くしている。

 「……わかったな」

 低く落とされた声に、誰も逆らえず、ただ無言で頷く。

 そのとき、男の片目がぴたりと俺に向けられた。

 「お前だ」

 全身がびくりと震えた。気絶しているガルドの隣に立つ俺に、その眼差しは突き刺さる。

 「名は」

 「……ミハネ、と言います」

 自分でも驚くほど声が掠れていた。

 男はふむと鼻を鳴らす。

 「生きているな」

 「え……?」

 「死なずに立っている。……ならば、少なくとも無駄ではなかったということだ」

 短く告げると、彼は背を向けかけたが、すぐに足を止め、言葉を付け加えた。

 「いいか、青年。冒険者に必要なのは“勝つこと”ではない。生き残ることだ。勝つために体を壊して、次の戦いに立てなくなる者を、俺は山ほど見てきた」

 俺の斑に血が滲んだ右腕を、彼は一瞥した。

 眼帯の下の口元がわずかに歪む。笑みとも苦笑ともつかない表情だ。

 「……だが、その無茶をしなきゃ掴めないものもある。それもまた事実だ」

 その言葉は、まるで俺の胸の奥に直接突き刺さるようだった。昨夜、自らの肉を改造してまで振るった一撃の感覚が脳裏に蘇る。

 「――ミハネ」

 名を呼ばれ、はっと顔を上げる。

 「お前がこれからどうなるかは知らん。だが今日の選択を忘れるな。己の血で得た勝ちも、無謀も、すべて背負って歩け。それが冒険者だ」

 そう言い残し、男は踵を返した。

 その背は、まるで巨岩のように揺るぎなかった。

 去り際、セリナがちらりとこちらを見て小さく頷いた。まるで「よく頑張ったね」と囁くように。

 俺は荒い息を整え、痺れる右腕を押さえた。

 

 ◆


 その後、受付に戻るとセリナが待っていた。

 いつもの柔らかな笑顔ではなく、どこか事務的な空気をまとっている。

「今回の件ですが――ガルドさんの落ち度になります。ミハネさんには何の処罰もありませんので、ご安心ください」

 彼女はそう言ってから、視線をこちらに戻す。

「ただ……申し訳ないですが、ガルドさんへの処分は比較的軽いものになるかと思います」

 俺は先ほどの修練場の様子を思い出し、首をかしげた。

「そうなんですか……。等級が下がるとか、そういう処分になると思ってました」

「もちろん、言動に問題はありました。ですが実力は狼紋として妥当ですし……それに、昇格したばかりで降格となると、組合としても小さくない問題になるんです」

 セリナは申し訳なさそうに小さく会釈した。

「いえ、俺としても大事になるのは困りますし。責めるつもりはありませんよ」

「ありがとうございます。その代わり……と言ってはなんですが、厳罰の一環として“ミハネさんに一つ欲しいものを与える”という沙汰になりました」

「欲しいもの……?」

「はい。その資金は、ガルドさんの依頼料などから天引きされる形になります。……組合長曰く、〝生死をかけた戦いの中で自分が勝ち取ったものだろう。ならば堂々と要求すればいい〟とのことでした」

「やっぱり……先ほどの方が組合長なんですね」

「はい。冒険者組合長、バルザーク・ガルドナー。竜紋の冒険者にして、今もなお伝説的な存在です。お歳を召されましたが、その実力は衰えていません」

 セリナの頬はわずかに上気し、憧れを隠せない眼差しで語る。

「そうだったんですか……。ろくに挨拶もできませんでしたが、ありがたい言葉をいただけました」

「はい。それにしても、ミハネさんは登録して数日しか経っていないのに、狼紋のガルドさんに勝つなんて……。さすがはヴァンさんが目をかけただけありますね」

 そう言って、セリナはふふっと笑った。

「そんなこと……どうなんでしょうね」

 肩をすくめると、彼女はすぐ真剣な顔に戻る。

「それで、“欲しいもの”ですが……どうされますか?」

 少し迷ってから答えた。

「そうですね……強い痛み止めの香薬が欲しいです」

 セリナの視線が自然と俺の右腕へ移る。

 彼女は痛ましそうに眉をひそめ、そっと尋ねた。

「やっぱり、その腕……まだ痛むんですよね?」

「まあ、多少は……」

 苦笑で返す。

「でしたら、物にこだわらず“教会の治療院の使用料”でもいいと思いますよ。癒しの光なら、痛みもすぐに消えますから」

「いえ、大丈夫です。ちょっと……やりたいことがあるんで」

「そうですか……。わかりました。では、次に来られるまでに準備しておきますね」

 セリナは深くは追及せず、柔らかな笑みを浮かべて静かに頷いた。

 

 セリナとの話を終え、冒険者組合を後にした。

 石畳の大通りに出た途端、呼び声や馬車の軋む音、焼き菓子の甘い匂いが一気に押し寄せてくる。

 つい先ほどまで修練場の張り詰めた空気にいたせいか、その賑わいがどこか遠い出来事のように思えた。

 右腕がずきりと疼く。

 ――痛み止めの香薬。

 ただの治癒なら教会に頼めば済む。

 だが、俺が欲しいのはそれではない。

 痛みを消す薬ではない。

 痛みを鈍らせ、肉体を内側から変えるための“一時の緩衝材”だ。

 ヴァンの隣に立つにも、元の世界に戻るにも、ただ強くなるだけでは足りない。

 あの異能を使いこなす覚悟が必要だ。

 胸の奥で、熱がじわりと広がる。

 怖い。

 だが、その怖さのさらに奥で、どうしようもなく高鳴る鼓動がある。

「……絶対に使いこなしてやる」

 小さく呟き、握った拳を胸の前で固めた。

 

バルザークの人物イメージ

挿絵(By みてみん)

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