018.魔道具作成
イリスは板を取り上げ、刻まれた模様を指先でなぞった。
「この水筒には《水源》の刻印が彫られているわ。魔力を流すと、一定量を超えるまで止まらずに“水を生む”命令が働く。細かい制御を入れる刻印が省略されているから、ただひたすら水を吐き出すだけ」
板のほうを掲げて見せる。
「こっちは《火種》の刻印。魔力を注げば“熱を与える”命令が走る。制御刻印が雑だから、熱量は最大出力しか出せない。結果――水は一瞬で煮え立つわけ」
彼女は肩をすくめ、羽根ペンを手に取った。
「つまり、設計次第で役立つどころか危険物にもなるの。だから――」
イリスは机の上に金属筒と板を並べ、ぱちんと指を鳴らした。
「よし、今日は実際に“まともな魔道具”を作ってみましょう」
イリスは羽根ペンを走らせ、簡素な紋様を描いてみせた。
「さっき見せたのは《水源》と《火種》の刻印。単純に“水を生む”“熱を与える”っていう命令を固定しただけのものよ。だから、あんなふうに制御が効かなくなる」
ペン先がさらりと板をなぞる。
「例えば《火種》ひとつとっても、本来は直接“火”を生むんじゃなく、物体を介して“温める”命令にする必要がある。そうしないと火花や炎が噴き出して、部屋ごと燃やしかねないわ」
描きかけの紋様に、三角形と小さな円を重ねながら説明が続く。
「さらに――“ちょうど良い温度で止める”ための刻印も要る。熱を生むだけでは温度が上がり続けて、さっきみたいに水が煮え立ってしまうからね。どこで止めるか、どうやって一定に保つか――それを刻印で指定しなきゃならない」
イリスは軽く息を吐き、板を机に置いた。
「制御刻印が特に難しいのは、魔石による自動供給よ。魔力を込めた時点で、使用者が触っていなくても命令に従って動き続ける。……だからこそ街灯や水路に使える一方、失敗すれば暴走して止まらなくなる。大惨事を招く危険もある」
俺はごくりと唾を飲み込んだ。
「そんなに細かく指定しないといけないんですか」
「そうよ。命令は一つひとつが絶対。抜けや曖昧さは許されない。だから魔道具作りは学問であると同時に、熟練した職人技でもあるの」
そこでイリスは、じっと俺を見据えた。
「……でも、あなたの場合は少し事情が違うかもしれない」
「え?」
「通常は“制御刻印”を組み込まなければ危険で使い物にならない。けれど、あなたは放出ではなく“接続”で魔力を繋ぐんでしょう? だったら命令を刻印に委ねなくても、自分の感覚で温度や水量を抑え込めるかもしれないのよ」
彼女は小さく肩をすくめ、微笑む。
「もっとも――今日は授業だから、魔力での制御はなしよ。まずは基本の流れを理解することが大事だからね。それに、自分で制御できるとしても、水が溜まるまで、お湯になるまで……ずっと繋ぎっぱなしじゃないと不便だからね」
イリスは机の上に細身の筆を取り出し、俺に差し出した。
「これは《刻印筆》。筆に土魔法の《掘削》が組み込まれていて、金属や石にも線を刻めるわ。……普通の筆みたいに思ってると痛い目を見るから、丁寧に扱って」
受け取ると、筆先はわずかに震えているように見えた。まるで生きているかのように、触れるだけで掌に細かい魔力の反応が伝わってくる。
「じゃあ、まずは入口の“受容刻印”。魔力を取り込む最初の印よ。小さな円を基点にして、そこから三角形を重ねなさい」
「わ、わかった」
金属筒の表面に筆先を当てる。
カリ……と鋭い感触とともに、白い線が刻まれていった。だが少し力を入れすぎただけで線が太くなり、隣の図形とつながりそうになる。
「精緻さがすべてよ。太さは均一、角度は正確に」
イリスの声に冷や汗が流れる。
深呼吸してから、慎重に筆を動かす。
円、三角、さらに小さな点――一つひとつが意味を持つ“命令”だ。
ようやく入口の受容刻印を描き終え、次に導線となる細い線を刻む。筒の外周を伝い、内側に刻む発現刻印へと繋がっていく。
イリスは《水脈》の刻印を指先でなぞりながら言った。
「――発現刻印は《水脈》。水の流れを呼ぶ魔法を再現する術式よ。ただし、“出す量”を指定しないと、魔石に込めた魔力を使いつくすまで水は止まらない」
「出す量……」
「そう。刻印は大きく分けて三つ。『受容』『変換』『発現』。この流れを回路として閉じなきゃならない。どこかが欠ければ、暴発か沈黙よ」
言われた通り、俺は蛇行する水脈の線を刻んでいく。
筆先は鋭く金属を削り、ほんのわずかな震えで線が太くなりかける。呼吸を殺し、震える手を押さえ込んで刻み進めた。
最後に描いたのは、円形の保持刻印。魔力を循環させ、水を流し続けるための命令だ。
「……できた」
イリスは頷き、小瓶から青白く光る液体を取り出した。
「これは“魔力液”。砕いた魔石を溶かしたものよ。刻印の溝に染み込ませて、魔力の通りを滑らかにする」
液体を垂らすと、線が淡く青く光を帯びる。刻んだ模様がただの図形から“回路”へと変わる瞬間だった。
「じゃあ――試してみて」
促され、俺は掌を筒に当てた。胸の奥で魔力を繋げ、線を血管の延長だと意識する。
筒の口から――ちょろちょろと水が垂れた。
「……え?」
桶に雨だれのように落ちるばかりで、水は一向に溜まっていかない。
「やっぱり欠陥が出たわね」
イリスは腕を組み、刻印を見つめて言った。
「今回刻んだのは“最終的にどれくらい水を出すか”だけ。でも、“どの速度で出すか”という命令が抜けている。だから流量は制御されず、細い糸のようにしか出ないの」
必死に魔力を引き戻すと、水の流れは細くなり、やがて止まった。
イリスは深く息を吐き、静かに言葉を継ぐ。
「――だから、水を溜める魔道具はまだ実現できないとされているの。普通に魔術として使うなら、魔力量に応じた水が出るだけ。でも魔道具に落とし込むと“最終的にどれだけ出すか”や“水圧をどうするか”の調整が必須になる。そこが壁なのよ」
俺はしばし考え込み、口を開いた。
「……流量を直接操作するんじゃなくて、“条件”を刻むのはどうでしょうか」
「条件?」
「はい。例えば――『一定の重さになったら止まる』とか、『温度が上がりすぎたら停止する』とか。出す量や速度をいじるんじゃなくて、外の状態を見て切り替える方法です」
イリスの瞳がわずかに見開かれる。
「……なるほど。結果を基準にして止める、か。今までの魔術師は“流量を抑える”ことばかり考えてきた。でも、“外的条件を挟む”発想なら確かに可能性はある」
彼女は石板に新しい図を描き、声を弾ませる。
「例えば、重量を感知する刻印を加えれば、水を入れた容器が満杯になった瞬間に回路を閉じられる。これなら――『水を溜める魔道具』が成立するわ」
「それなら、今までできなかった理由も……」
「ええ。“流量を直接制御できない”という常識に縛られていたからよ。条件制御という発想は、これまで誰も試してこなかった」
イリスは石板を叩き、ぱっと顔を上げた。
「面白いわ。あなた、なかなか柔軟な考え方をするのね」
その瞳が一瞬、楽しげにきらめき、俺は思わず肩をすくめた。
イリスは新しい金属筒を取り出し、刻印筆を構えた。
「――じゃあ、水を溜める魔道具をきちんと作り直しましょう。問題は二つ。“出る速度”と“止める条件”。」
彼女は筆先を慎重に滑らせ、入口の受容刻印を描く。
「まず、速度。実はこれは“導線の幅”で決まるの。細い線なら水はちょろちょろ、太い線なら一気に流れる。だから今回は――中くらいの幅で刻む」
実際に刻み分けながら、細い導線と太い導線を比較して見せる。
「流量を直接“操作”するのは今でも難しいけど、最初から設計で決めることはできるのよ」
次に、彼女は発現刻印の横に小さな符号を重ねた。
「これが重量感知の刻印。土魔法の≪重圧≫を再現する術式で重さを計り線が閉じる仕組みよ。つまり――水の重さが規定値に達した時点で、回路が自動で切れる」
筆で示したのは、円に小さな矢羽のような模様が連なる記号。
「重みを魔力の流れに変換する。……条件を満たした時、保持刻印を閉じることで出水が止まるの」
最後に保持の円を描き、魔力液を垂らすと、溝が青白く光った。
「これで“水を溜める魔道具”の試作完成よ」
俺が掌を添えると、水は一定の速さで勢いよく流れ、やがて桶がいっぱいになる直前――ふっと流れが途切れた。
「……止まった!」
「ええ。速度は導線の幅で決め、止める条件は重量感知。これで“暴走”もしないわ」
イリスは満足げにうなずいた。
続いて、火の魔道具。
「次は温度制御ね」
彼女は金属板を取り出し、刻印筆で三角形と円を組み合わせた火種の印を刻む。
「火を直接生むと危険だから、今回は“加熱”に変換する。対象をじわじわ温める命令にして……その横に条件を加える」
描かれたのは、円の中に波線が重なる記号。
「これは温度感知の刻印。実際には金属の膨張や液体の揮発――そういう“変化”を媒介にして温度を測るの。一定の熱を感じ取ったら保持回路を閉じる仕組みよ」
「つまり、熱が伝わった時点で自動的に止まるってことですね」
「そう。だから、煮え湯になる前に回路が切れる。……もちろん、刻印の設定次第で“熱い湯”にも“ぬるま湯”にもできるわ」
魔力液を塗り込むと、刻まれた線が赤く光り、まるで血管が脈打つように揺らめいた。
試しに桶へ沈めると、冷たい水がじわじわと温まり、やがて手を入れてちょうどいい温度になったところで――熱はそれ以上上がらなかった。
「……止まった!」
「ええ、温度感知の条件が働いたのよ」
イリスはにっこりと笑い、指先で器具を軽く叩いた。
「これで“お湯を溜める魔道具”が完成。……ほら、もう風呂ができるじゃない」
胸の奥が熱くなる。
中世風の街並みに暮らしながら、こんな仕組みが当たり前になれば、人々の生活は一変するに違いない。
そんなことを考えていると、イリスがじっと魔道具を見つめながら首を傾げた。
「よくできたわね。普通は学んだばかりの人がここまで考え付くことはないわ。……もしかしてミハネって、貴族で優秀な先生でもついていたの?」
「いえ、そんなことは……。ただ、普段の生活で“こうなれば便利だな”って思っただけなんです」
稀人であることは口にできない。
曖昧に濁すしかなかった。
「ふうん……まあ、いいわ」
イリスは深追いせず、軽やかに椅子から立ち上がる。棚の引き出しを探り、一つの金属筒を取り出すと、俺の前に差し出してきた。
見た目はさきほど作った試作品よりも、ひとまわり大きいくらいだ。
「今回の授業でよく頑張ったから、ご褒美よ」
「これは……?」
問い返すと、イリスは唇の端を吊り上げ、にやりと笑った。
「お湯を出す魔道具」
「……え?」
あまりにあっさりと言われ、言葉を失う。
イリスは肩をすくめて続けた。
「お風呂なんて、人が暮らす上で大事なものよ? 研究していないはずがないじゃない。今回はね、ミハネの勉強と実践になるかなと思って、わざと欠陥のあるやり方を見せただけ」
「な、なるほど……」
自分の発見だと思い込んでいた分、肩から力が抜けた。
「それに――北区には大衆浴場があるの。 そこでは既にこの“お湯の魔道具”が使われているわ。ただ、素材や職人の手間を考えると、まだ市民全員が手軽に持てるほどの値段にはならない。だからこそ改良が必要なの」
イリスは金属筒を軽く叩き、真剣な眼差しをこちらへ向ける。
「だから無駄じゃないのよ。あなたの発想は、必ず役に立つ。今日の気づきは、学問としても価値があるわ」
イリスは最後に軽く伸びをして、机の上に広がった図面や刻印用の筆を片づけ始めた。
「――さて、今日はここまでにしましょう。初めてにしては十分すぎる成果よ」
「はい。ありがとうございました」
深く頭を下げると、イリスは笑って手を振る。
「気にしないで。授業をした私にとっても楽しかったから」
軽やかにスカートを揺らしながら扉の方へ歩くイリス。
「また来てね。次はもっと応用的な刻印を試しましょう。……そうね、攻撃魔道具の基礎とか」
「はい。ぜひお願いします」
そのとき、影のように佇んでいたロワが一歩前に出て、恭しく一礼した。
「お見送りいたします」
重い扉が軋んで閉じる音が背後に響く。
知識を得た高揚と、彼女とのやり取りの余韻がまだ体に残っている。
「……また、来よう」
そう呟きながら、太陽がすでに中点を過ぎた、昼下がりの街の中へ歩き出した。