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014.異能の発露

「弟子にしてあげる」

 そう告げられ、俺は呆気に取られた。

「……いいんですか? こんな、どこの誰かも分からないやつをいきなり弟子にするだなんて。ましてや貴族の方に」

 問いかけると、イリスはフッと鼻で笑った。

「どこの誰とも知らないわけじゃないわ。あなたは――ミハネ。ちゃんと知っているもの」

 そして胸を張り、言葉を続ける。

「それに私は貴族の矜持はあるけれど、貴族や庶民で分け隔てたりはしないわ」

 その言葉に、胸がじんと熱くなる。

「……わかりました。これから、よろしくお願いします!」

「ええ。じゃあミハネ、これから私のことは“師匠”と呼びなさい」

「えぇ……わかりました……師匠」

 年下の女の子を“師匠”と呼ぶのか……と思いつつ口にすると、イリスは小さく笑みを零した。

「ふふ……一度呼ばれてみたかったのよね」

 呟きは照れ隠しのようでもあり、嬉しさに滲んだ響きでもあった。――まあ、嬉しそうだからいいか。

「じゃあ、早速始めましょう。魔術と魔道具についての授業よ」

 イリスは席を立ち、壁に掛けられた大きな石板の前へ。細長い棒を手に取り、くるりとこちらを振り返った。

 「よろしくお願いします、師匠」

 自然と背筋が伸びる。イリスの瞳がぱっと輝き、手にした棒の先で石板を軽く叩いた。

「――魔法と魔術の違いについては、おじい様から聞いてるわよね? 一応、整理しておきましょう」

 石板に白い粉で描かれた二つの円。その一方を指し示し、彼女はさらさらと図を描き足していく。

「まず、“魔法”と“魔術”は似ているようで、根本はまったく違うの。

 魔法は――生まれつき持つ魔力の流れと、この世界に満ちる力を直接共鳴させ、“現象”を起こすもの。才能や血筋が大きく関わるから、誰にでも使えるわけじゃないわ」

 片方の円に、人の図と炎の印を描き込む。

「火を思い、その形を言葉で固定すれば火が灯る。水も土も同じ。これが魔法。訓練次第で火花を散らす程度なら誰でもできるけど、上級の魔法ともなると使える者は一握り。才能に強く依存しているの」

 次にもう片方の円に、術式と道具の図を描き足す。

「一方、“魔術”は違う。刻印や模様を描き、触媒に魔力を流し込むことで現象を呼び出す。理屈と学問で制御できる技術よ」

 机から銅板を取り上げ、細かく刻まれた紋様を見せる。

「これに魔力を流すと、紋様が熱を帯びて火花を散らす。魔力の出し方が多少下手でも、刻印が正しければ必ず効果は現れる。努力と理屈で誰でも習得できる――それが魔術」

 一拍置き、イリスの表情が真剣さを増す。

「そして“魔道具”とは、この魔術の仕組みを道具そのものに固定したもの。

 魔力を持つ人が触れれば即座に発動する種類もあれば、誰が使っても働くよう工夫されたものもある。

 だからこそ、日常生活や交易に欠かせない存在になっているの」

 引き出しから取り出された小さな照明器具。油も蝋もなく、ただ透明な水晶が嵌め込まれている。

「これは簡易照明の魔道具。光の術式を刻んであるから、魔力を流すだけで灯りがともるの。……ここまでで質問はある?」

 促され、胸に引っかかっていた疑問を思わず口にした。

「魔道具は生活や交易で使われるって話でしたけど……戦場ではやっぱり使われないんですか?」

 イリスは目を細め、唇の端を釣り上げる。

「いい質問ね。もちろん研究はされていたし、実際に作られたものもあったわ」

 「でも……?」

「金食い虫なのよ」

 イリスは肩をすくめ、苦笑を浮かべた。

「戦場用の魔道具は“誰でも使える”のが利点だけれど、前提が使い捨てなの。しかも魔道具は全部、職人や魔術師が一つひとつ刻んで作るから、大量生産なんて到底できない。数をそろえるだけで莫大な時間と費用がかかるのよ」

 指先で銅板を軽く弾くと、乾いた音が研究室に響く。

「たとえば兵士一人に剣一本を支給するのと、兵士一人に魔道具を一つ持たせるの――どっちが安上がりかは明白よね?」

「……確かに」

「さらに、大きな効果を狙えば狙うほど、触媒も巨大で重くなる。荷車に積むほどのものを前線で振り回せる兵士なんているはずないわ。

 だから結局、戦場の魔道具は金ばかりかかる“夢物語”で終わってしまうの」

 そう言って、イリスは棚の上から黒鉄の指輪を取り出した。

 指輪の内側には微細な線がびっしりと刻まれており、淡く青白い光を帯びている。

「これは《氷結の指輪》。着けた者の周囲に冷気を放ち、一瞬で氷の壁を作り出す。防御にも、敵の足を止めるにも役立つわ」

 イリスは指輪を光にかざし、内側に刻まれた微細な線を示した。

「ただし――刻印の密度があまりにも高すぎるせいで、量産は不可能。素材も希少鉱石ばかりを使っていて、一つ作るだけで白金貨数枚はかかるわ」

 彼女は指輪を机に置き、肩をすくめる。

「しかも、これは使い捨て。刻印の回路と指輪は一度発動すれば現象として還元され、二度と使えなくなるのよ。これを“定着させて魔道具にしよう”とすれば、さらに制御刻印を組み込む必要が出てくる。結果として器は大きくなり、素材の質も耐久も求められて、到底個人が持ち歩ける代物ではなくなる」

 光に透かすと、術式の線が複雑に絡み合い、まるで小さな迷宮のように浮かび上がる。

「だからこうした品は、貴族や将軍の護身用とか、王国の秘蔵兵器としてしか存在できない。庶民や兵士に行き渡ることはまずないのよ」

 イリスは指輪を机に戻し、カップをひと口啜った。

「――だからこそ、魔道具をどう“生活”に落とし込むかが今の学者たちの課題。街灯や水道、冷却庫、暖房器具……そうした道具が人々の暮らしを大きく変えてきた。でも“戦場の魔道具”は、まだ夢物語の域を出ていないの」

「……なるほど。じゃあ、もっと小さい規模で、冒険者が攻撃や防御に使えるような魔道具はないんですか?」

 俺の問いに、イリスは少し考え込む仕草をしてから首を傾げた。

「あるにはあるわ。でも冒険者や市民にとって魔術は基本的に生活を支えるもの。灯りや水、保存や治療の補助……そういう用途が主流。危険な場面で命を預けられるほどのものは少ないの。もちろん特注すれば作れるけど、それは“魔術師に使い捨てになるかもしれない道具を頼む”ってこと。……当然、お金の問題が重くのしかかってくるわね」

「……そうですか」

 思っていた以上に単純な話ではなかった。

 だが逆に言えば――自分が作り方を学び、素材さえあれば、依頼するよりもはるかに安く済む。

 そう考えると、この先の冒険にとっても大きな助けになるかもしれない。

 ヴァンに相談してみる価値はありそうだ。

 そんな思案をよそに、イリスは棒で石板を軽く叩き、次の話題へと移った。

「さて、次は魔術刻印について話すわね。……見て、この照明具」

 照明器具を掲げ、その表面に刻まれた紋様を指先でなぞる。

「刻印は一つひとつが“命令”。“魔力を受け入れる図形”を描き、“魔力を導く線”をつなぎ、“どんな性質に変えるか”を刻み、“現象として出す形”で閉じる。

 この順番を守らなければ、ただの光すら生まれないし、最悪は暴発して爆ぜることもあるの」

「……つまり、大きな魔法を刻印で再現しようとすれば、それだけ複雑になって触媒の耐久も必要になるってことですね」

「そういうこと」

 イリスは満足そうにうなずき、掌の上に載せた魔石を傾ける。

 紫の光が走り、研究者の瞳が熱を帯びた。

 イリスは掌に載せていた魔石を机に置き、まっすぐこちらを見据えた。

「――さて、理屈はここまで。次は実際にやってみましょうか」

 彼女が差し出したのは先ほどの照明器具。

 器具には幾重もの刻印が走り、まるで迷路のように絡み合っていた。

「ここが入口の刻印よ。指を添えて、内側から魔力を押し出すように意識して」

「……わかりました」

 言われるまま魔石に触れ、胸の奥で巡る熱を探る。

 ――魔道具に繋がり、流れろ。

 必死に念じる。

 だが、沈黙。

 光は宿らず、石は冷たいままだった。

「……出ないですね」

 額に汗が滲む。

 力を込めても、肝心の“外へ出す感覚”が掴めない。

 イリスは腕を組み、しばらく観察してから小さくうなずいた。

「前におじい様の前で試した時は、どうしたの?」

 問いかけに、昨日の光景が脳裏に蘇る。

「あの時は……刻印や模様を、自分の血管や心臓の延長だと考えて……」

 その瞬間、胸の奥に熱が弾けた。

 指先から光が“漏れる”のではない。

 刻印の線が脈打ち、まるで自分の血管とつながったもう一つの臓器のように鼓動を始めた。

「……っ、流れました!」

 思わず声を上げると、イリスの瞳がぱっと輝く。

「ええ、その感覚よ。普通は“魔力孔”から外へ押し出すけれど、あなたにはそれがない。だから無理に放とうとしても出ないのね」

 彼女は机上の魔石を指で叩き、理知的な声音で続けた。

「でも裏を返せば、魔力を“逃がさない”体質。だからこそ溜めやすく、練り上げれば常人以上の力を込められる。巨大な魔術道具を動かす時、あなたならより少ない魔力で扱えるはずよ」

「……なるほど」

 イリスは照明器具を持ち上げ、にっこりと笑う。

「これから先、魔術の世界はあなたにしか見えない道を拓くわ。……でも、今日はここまで」

「え?」

 不意に遮られ、思わず声が漏れる。

 イリスが窓の外を指した。夕陽が塔の影を伸ばし、街並みを赤金色に染め上げている。

「また来なさい。次はもっと先を教えてあげる。――あなたの成長が、私も楽しみだから」

 その言葉に胸が熱くなり、思わず深く頭を下げた。

「ありがとうございました」

 手を叩く軽やかな音。

「ロワ、お見送りを」

 すぐに扉が開き、背筋の伸びた執事が影のように現れた。

「かしこまりました。――こちらへ」

 

 並んで歩く廊下は冷たく静かで、革靴の音だけが石壁に響く。やがてロワが背を向けたまま低く呟いた。

「……お嬢様は、貴族にしては俗世に触れすぎておられる。もしあなたがその純心を弄ぶなら――覚悟していただきたい」

 刃のように冷たい声音に、思わず喉が鳴った。だがその奥に、揺るがぬ忠誠心の熱をも感じ取る。イリスを守るためなら誰であろうと容赦しない――そんな決意の色。

「では、私はここで」

 短く一礼し、ロワは扉の影に消えていった。

 石畳の街へ足を踏み出すと、夕暮れの雑踏が迎えてくる。

 赤に染まる空を見上げ、小さく呟いた。

「……次は、ロワとも普通に話せるといいな」

 影は石畳に溶け、暮れゆく街の流れに紛れていった。


 ◆


 その夜。

 宿の一室で一人、布団の上に正座しながら、学んだことを反芻していた。

「……体内に魔力を循環させる。必要な部分に瞬間的に移す……」

 ヴァンに教わった身体強化の効率的な運用法を、頭の中で何度も繰り返す。

 心臓と血管を流れる血に魔力を重ねれば、筋肉は熱を帯び、骨はしなやかに強くなる。

 ――だが、胸の奥にはざわめきが残る。

 血だけではない。

 俺の体には、骨、筋、臓腑……もっと深い領域がある。

 そこにまで魔力を通せるのではないか。

 思い出すのは、あの白い欠片。

 あれは――俺自身の骨だった。

 俺の魔力の特性が“線で繋げる”ことならば、その解釈をさらに広げればいい。

 血液だけではなく、骨にも、筋にも、臓腑にも、細胞の一つひとつにだって流せるはずだ。

 それらを繋ぎ、操ることができるなら、自分の骨を“掴む”ことすらできるはず。

 ベッドに両手を突き、意識を沈める。

 胸の奥――肋骨の一本を指先でなぞるように。いや、肉の内側に手を差し入れ、“握る”ように。


 瞬間。

「……ごふっ!」

 肺を針で突かれたような痛みが走り、喉の奥から鉄の味がせり上がる。

 激しい咳とともに赤黒い痰が滲み、口の端を汚した。

 慌てて魔力を引き戻すと、全身から冷や汗が噴き出し、視界が揺れる。

 布団に崩れ落ち、胸を押さえて必死に呼吸を繋ぐ。

 ――だが確かに、“何か”が応じた。

 あと一歩間違えれば、肋骨ごと肺を砕き、内側から自壊していたに違いない。

 ヴァンの忠告が脳裏をよぎる。

 危険すぎる。

 だが、その分だけ確かな手応えがあった。

 次は身体の表層を意識する。

 皮膚を薄い膜のように剥ぎ取る感覚で――そっと、そっと。

「……っ、やば……あああ!」

 腕の表面がズルリと裂け、皮膚が薄く捲れ上がった。

 下から赤黒い肉が覗き、筋が剥き出しになる。

 浅い傷ではない。肉が抉れて段差を作り、そこから血がじわじわと滲み出した。

 温かな液体が皮膚を伝い、細い筋を描いてベッドにぽたりと落ちる。

 裂け目の縁はまだ皮膚と繋がっており、肉と皮が引き攣るように突っ張って痛みを訴える。

 赤く濡れた断面は呼吸に合わせてかすかに震え、ひどく生々しい存在感を放っていた。

 鼻腔に鉄の匂いが満ち、吐き気とともに涙が滲む。

 ――だが、その痛みの底で、確かに“掴んだ”。

 これはただの傷ではない。

 自分の肉体を内側から弄り、強引に応じさせた痕跡だ。

 普通の魔術師が外に力を放つのに対し、

 俺は自分の血肉を削り、内から魔力を操る。

 正気ではない。

 だが、これは確かに“力”だ。

 外へ放つことはできなくとも――。

 俺は自分の肉と骨を、自分の意思で繋ぎ、動かすことができる。

 それは他の誰にも真似できない、破滅と紙一重の在り方。

 痛みに歪んだ口元から、笑みが零れた。

 汗と涙と血が混じり合い、布団を濡らす。

 これは破滅の道かもしれない。

 だが、それでも確信できる。


 ――これが、俺の異能の“第二歩目”……いや、“本当の歩み”だ。

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