012.魔術
エドガーは一息つき、机の上に並べられた木札や鉱石を指先で示した。
「さて……ここからは講義だ。魔術と魔道具の違いを説明しよう」
モノクルの奥の瞳が、冷たくも理知的に光る。
「まず、魔術とは“刻印を媒介とした現象”だ」
白い手袋越しに木札の裏をなぞりながら、エドガーは低く響く声で続ける。
「魔術師は羊皮紙や石板に刻印を描き、そこへ魔力を流し込むことで術を発動させる。即応性では魔法に劣るが、その分、安定性と精密さに優れる。そして媒介とした板や紙は、魔力と共に現象へ変換され、消耗し尽くして消滅するのだ」
そこで言葉を区切り、机上に置かれた魔石を指先で軽く叩く。
「対して――魔道具は“刻印を定着させた器物”だ。本来ならば媒介は消滅するが、魔石を核に据え、素材と魔力を馴染ませ、さらに制御刻印を施すことで固定する。そうすれば、誰の手であっても繰り返し発動できる」
モノクルの奥の瞳が鋭く光る。
「もっとも、下級魔法程度ならばともかく、上級魔法を扱う魔道具となれば話は別だ。膨大な魔力に耐える器を求められ、高価な素材と緻密な技術が必要になる。ゆえに、それは“学問”であると同時に“職人技術”でもあるのだ」
言葉と同時に、机上にいくつかの試作品が並べられた。
光を宿した宝石。冷気を帯びる金属片。かすかに震える羽根。
「素材選びがすべてだ。鉱石なら魔力を保持する力がある。木材なら魔力を通す柔軟性がある。動物の骨や魔獣の牙は、強大な魔力に耐え得る器となる。……魔術刻印と素材の相性が合致して初めて、“魔道具”は完成するのだ」
エドガーは指先で、小さな鉱石を持ち上げた。
「その中でも最良の素材が“魔石”だ。鉱石と、魔物の内部にある魔核を砕き合わせて作られる。魔核は魔物が持つ魔力の源であり、その力を核に据えることで、通りも保持力も飛躍的に高まる。たとえば街灯なら、鉄細工の籠に刻印を施し、魔石を核として組み合わせる。『魔石の魔力が尽きるまで光を灯す』と術式を書き込めば、簡単な街灯の完成だ」
エドガーは視線を戻し、低く続けた。
「次に魔術刻印についてだ。研究途上の学問ではあるが、その本質は“魔法の詠唱を刻印という形で書き起こす”ことにある」
そう言うと、エドガーは胸に手を当て、静かに詠唱を唱えた。
「命の源たる火よ 我が手に安らぎを与えよ――《灯火》」
彼の指先に、小さな炎がふっと灯る。
「これを刻印として固定したものが、この木札だ」
彼は新たな板を取り出し、白い粉で簡素な刻印を描く。
中央に一点、その周囲に三角、さらにそれを抱くように円が重ねられていく。
「例えば、これは火の基礎術式だ。中心の点は“火の種”――現象の核を示す。三角は“生成と上昇”。火が立ち上り、燃え広がる性質を象徴している。そして外の円は“循環保持”。燃え続ける仕組みを、術式として定着させるための刻印だ」
刻まれた線を指で叩くと、板の上に淡い赤が揺らめいた。
「これが≪火種≫の基本形だ。だが、ここに刻印を加えれば性質は変わる。例えば――」
彼は外円を二重に描き、その間を短線で結んだ。
「二重円は“閉鎖循環”。燃え続ける火を一点に留め、灯火として扱う術式になる」
次に円を破り、外側へ交差する線を走らせる。
「これは“方向指定”を意味する交差だ。火の力を前方へ射出する――≪火矢≫の形だな」
さらに外周に渦を描き加える。
「螺旋は“拡散”。力を外界へ解き放ち、火を霧のように散布する。範囲攻撃の術式だ」
最後に、全体を四角で囲み、外側に鋸歯を刻む。
「方形は“守護”、鋸歯は“激しさ”。つまり火を壁として固定し、迫る敵を焼き払う≪火壁≫となる」
彼は粉のついた指を払いながら言った。
「刻印とは、魔力を翻訳し、定着させる“古代の言語”だ。刻印一つの違いで、術は全く別の性質を持つ。それを理解し、組み合わせることで――魔術師は無限の術式を編み出せるのだ」
そこまで語ると、エドガーは言葉を切り、ティーカップに口をつけた。
香り立つ湯気の向こうで、その眼差しはなお鋭く光を宿している。
「……だがな」
短く息を吐くように言葉が落ちる。
「ここまで研究は進んでいるが、より良い魔術刻印の形は、まだ無数に眠っているだろう。なにより――魔法そのものが、なぜあのような詠唱の形を取るのか。根本の理由さえ、いまだ解明されてはいない」
その声音は講義ではなく、自問自答のように低く静かだった。
ボソリと漏らした言葉が、石壁に囲まれた部屋に重く響く。
「だからこそ、研究がある。学問となり、探究が続くのだ」
エドガーの言葉に、思わず息をのんだ。
目の前で繰り広げられる講義は、ただ知識を教えられているだけではない。
この世界の根幹に触れているような、そんな重みがあった。
「……ありがとうございます。自分のような右も左もわからない者に、こんなに詳しく教えてくださって」
深く頭を下げると、エドガーは手を軽く振って応じた。
「礼は要らん。知識は伝えるためにある。そしてそれが広がり、この国は発展していくのだ。――ミハネ。お前の体質は特殊だ。なればこそ魔術において新たな道を切り開けるかもしれん。そのために、私の知を伝える」
ティーカップを机に戻し、背筋を伸ばす。
「今日はここまでにしておこう。学ぶには区切りも必要だ。……また来なさい。次は、もう少し奥の内容を教えよう」
静かな一言に、胸が熱くなる。
この世界に来て初めて、自分の歩みが受け止められたような気がした。
「……はい。また必ず来ます」
立ち上がり、深く頭を下げた。
だが、そのときふと迷う。
相手は貴族であり、高名な魔術師――どう呼ぶのが正しいのか。
エドガー様か、クラリオン様か、閣下か……それとも。
逡巡の末、自然と口からこぼれた。
「……先生」
その呼び方に、エドガーの口元がわずかに緩んだように見えた。
◆
講義を終え、エドガーの研究室を後にする。
塔を下り、重い扉を押し開けた瞬間、ひやりとした空気から一転して街のざわめきが押し寄せてきた。
石畳の道は黄昏に照らされ、両脇には木骨造りの家々が肩を寄せ合って並んでいる。
切妻屋根や格子窓――見た目はまるで中世の街並みだ。
だが、その暮らしぶりを支えているのは、確かに魔道具だった。
道端の街灯には金属の籠に収められた魔石が灯り、油を使わずとも温かな橙色の光を放っている。
行商人の屋台には氷の魔石をはめ込んだ木箱が並び、肉や野菜が新鮮なまま保存されていた。
さらに路地裏からは「ゴウン、ゴウン」と小さな水車のような音が響く。覗き込めば、下水を流すための魔術刻印を刻んだ石板が据え付けられており、溝を澄んだ水が静かに走っていく。
人々の暮らしは質素だ。
服も家具も簡素で、街の建物も石と木の無骨な造りにすぎない。
けれど、灯りに照らされ、清潔な水が流れ、食材が腐らずに並ぶ光景は――俺の知る“中世”の暮らしとはあまりに違っていた。
「……すごいな」
思わず小さく声が漏れる。
魔術や魔道具というものが、この世界の生活をどれほど押し上げているのか――初めて、肌で実感した。
往来を行き交う人々は当たり前のように魔道具を使いこなし、笑い声と呼び声を響かせながら暮らしている。
異世界での暮らしが、少しだけ現実味を帯びて胸に迫ってきた。