108.初めて、死を意識した相手
出発してから二日後。
昼を少し過ぎたころ、街道の先に人の営みが見えてきた。
低い柵に囲まれた畑。
煙の上がる屋根。
乾いた風の中に、かすかに家畜の匂いが混じっている。
「……村だな」
ヴァンが目を細めた。
街道沿いにぽつりとある、小さな農村だった。
石造りではなく、木組みの家が並び、屋根には干し草が乗っている。
遠くで犬が吠えた。
「予定通りですね」
ムイが地図を軽く折りながら言う。
「ここで一度立ち寄っておきましょう。補給自体は必要ありませんが、屋根の下で休めるなら休んでおいた方がよろしいかと」
「思ったよりあっという間だったな」
俺は軽く肩を回す。
たった二日とはいえ慣れない野営続きだった。
まともな屋根の下で休めるなら、それだけでもありがたい。
フェルシオンは村の畑を眺めながら言う。
「小さいが、街道沿いにあるだけあって旅人の利用も多そうだな」
「まあ、俺たちは特に消耗してるわけでもねぇがな」
ヴァンは肩をすくめた。
「念のための立ち寄りってやつだ。休めるときに休んどくのも冒険者の仕事だ」
そう言って歩き出す。
俺たちもその後に続いた。
村へ近づくにつれ、人の気配ははっきりしてきた。
畑だけではなく、小さな店や荷車の並ぶ広場も見える。
街道沿いということもあり、思っていたより規模は大きかった。
旅人用の厩舎もあり、街道を行き交う人間の拠点になっているらしい。
すれ違った男を一瞥する。
腰の剣と肩の革鎧、どう見ても冒険者だった。
「思ったより人いるな」
俺が言うと、ヴァンが軽く頷く。
「街道村ってのはこういうもんだ。宿と酒場があれば人は集まる」
さらに歩いていると、もう二人ほど武装した旅人とすれ違った。
背中の槍や弓からして、やはり冒険者だろう。
フェルシオンが少し周囲を見回す。
「補給地点として機能しているのだろうな」
「そのようですね」
ヴァンは顎で村の中心を示す。
「宿もある。とりあえず一泊するか」
そう言って歩き出す。
ほどなくして、木の看板が吊るされた建物が見えてきた。
入口には荷馬車が一台止まり、厩舎も併設されている。
扉を押して中へ入る。
木の匂いのする広間に簡素なテーブルと椅子が並び、奥にはカウンターがあった。
中年の男が帳簿を見ていたが、こちらに気づいて顔を上げる。
「いらっしゃい。泊まりかい?」
「ああ。四人だ」
ヴァンが答える。
主人は俺たちをざっと見てから頷いた。
「空いてるよ。四部屋使うか?」
「それで頼む」
「朝食と夕食は、村中央の鐘が鳴ったあとだよ」
そう言いながら、主人は棚から鍵を取り出そうとする。
そのときだった。
「お父さーん」
奥の扉が開く。
ひょこっと顔を出したのは、小さな女の子だった。
まだ十歳にも満たないくらいだろう。
麦色の髪を肩で揺らしながら、こちらを不思議そうに見ている。
「お客さん?」
無邪気な声。
主人は少し困ったように言った。
「こら、今仕事中だ。奥で手伝ってろ」
「はーい」
そう言いながらも、少女は興味津々といった様子でこちらを見ていた。
その視線はヴァン、俺、フェルシオンと順に流れて――
そして、ぴたりと止まり、少女の目がぱっと輝く。
「わぁ……」
思わず声が漏れたようだった。
少女は数歩近づくと、ムイの服をまじまじと見上げる。
「その服……かわいい!」
ムイは少し驚いたように瞬きをした。
「私の、ですか?」
「うん!」
少女は何度も頷く。
「こんな服、見たことない!」
指を差すのは、ムイの侍女服だった。
王都では珍しくもないが、こういう街道村ではまず見ない服装だろう。
「それって、お城の人の服?」
「侍女服ですね」
ムイは落ち着いた声で答える。
「主にお仕えする者が着る服です」
「へぇー……」
少女は感心したように見上げている。
その様子を見て、宿の主人が少し呆れた顔をした。
「こら、客をじろじろ見るな」
「だって!」
少女は振り返る。
「こんなかわいい服、はじめて見たんだもん!」
そう言ってから、ようやく他の面々にも目を向けた。
ヴァンを見て、俺を見て、フェルシオンを見て――
「お兄ちゃんたち、王都から来たの?」
「まあ、そんなところだな」
俺が答えると、少女は少し嬉しそうに頷く。
「やっぱり!」
主人が軽く咳払いした。
「ほら、もういいだろ。客の邪魔するな」
「はーい」
そう言いながらも、少女は名残惜しそうにムイを見上げていた。
「……ほんと、かわいい服」
小さくそう言うと、奥の扉の方へと戻っていった。
ムイはその背中を見送り、わずかに首を傾げる。
「……珍しかったのでしょうか」
「そりゃな」
ヴァンが苦笑する。
「この辺じゃまず見ねぇ服だろ」
フェルシオンも軽く頷いた。
「王都でも侍女服のまま旅をする者はあまりいないからな」
俺は少し肩をすくめる。
「まあ、目立つのは仕方ないか」
ムイは少しだけ困ったように微笑んだ。
その後、部屋の鍵を受け取り、それぞれ荷物を置くために一度解散することになった。
宿の階段を上がり、荷を降ろす。
背中の重みが消えると、それだけで体が軽くなった気がした。
少し休んでから一階に戻ると、ヴァンはすでに酒場の方で誰かと話していた。
「おいヴァン! 王都帰りか?」
武装した男が声をかけている。
どうやら冒険者らしい。
「おう、久しぶりだな」
ヴァンは気軽に手を上げて答え、そのまま椅子を引いて座ってしまった。
完全に世間話モードだった。
「……しばらく戻らなそうだな」
俺が言うと、フェルシオンが苦笑する。
「冒険者同士の情報交換というやつだろう」
そこへムイが言った。
「では、私は少し村の食材を見てきます」
「食材?」
「はい」
ムイは頷く。
「村であれば何か珍しい干し野菜や保存食などがあるかもしれませんので」
俺とフェルシオンは思わず顔を見合わせる。
「……まあ、任せる」
「では後ほど」
ムイは軽く礼をすると、静かに宿を出ていった。
残ったのは俺とフェルシオンだけだった。
「どうする?」
「少し村を見て回らないか」
フェルシオンが言う。
「街道村とはいえ、実際の生活を見る機会はあまりないからな」
「それもそうか」
俺たちは宿を出て、ゆっくりと村を歩くことにした。
昼過ぎの村は思ったより賑やかだった。
畑から戻ってくる農夫。
井戸で水を汲む女たち。
街道沿いには露店も出ている。
歩いている横を、荷馬車の車輪が乾いた土を軋ませながら通り過ぎてく。
「へぇ、やっぱり王都とは全然違うな」
「そうだな。当たり前だが、魔道具なども使われていない」
そう言われ、俺は改めて周囲を見渡す。
確かに王都で見かけるような、魔石の嵌まった灯具や器具がほとんど見当たらない。
井戸も、ただの滑車だ。人の手で回して水を汲んでいる。
それを眺めていると、ふと疑問がよぎった。
「それにしても……なんか不安感あるな」
「不安感?」
「魔物とか襲ってこないのか? 王都なら城壁があるからまだしも……」
俺は村の外周を囲む柵を見る。
低い木柵だ。
「あんなの、この前やったやつだったら壁にすらならないだろ」
フェルシオンは少し考えるように顎に手を当てた。
「ふむ……ミハネは知らないか。こういう村には、常に巡回依頼が出ている」
「巡回?」
「冒険者だ」
フェルシオンは街道の方を軽く指さす。
「魔物の討伐や警戒を兼ねて、定期的に巡回する依頼がある。小型種や群れ程度なら、それで十分対処できる」
「なるほど」
そう言われてみれば、確かに村に入るときにも何人か冒険者を見かけた。
「まあ、この村は王都からも近い」
フェルシオンは続ける。
「街道を通る冒険者も多いだろう。ほぼ毎日と言っていいくらい、誰かしら武装した者がいるはずだ」
「ふーん」
俺は腕を組む。
「国が依頼出してるのか?」
「いや」
フェルシオンは首を振った。
「国というより、この土地を治めている領主だな。領地の安全を守るのも、貴族の義務の一つだからな」
「なるほどなぁ」
俺は柵の外に広がる森を見る。
確かに、魔物が毎日のように出るなら、こんな村は成り立たない。
だが――
「とはいえ」
フェルシオンが静かに続けた。
「災害級の魔物でも現れない限り、という話だが」
「……それ来たらどうなるんだよ」
「基本的には逃げるしかないな。逃げ切れれば、の話だが」
あっさりと言った。
「村程度では防げない。街や王都ならともかくな。
もしくは――ヴァンのような冒険者が、たまたま居合わせていれば話は別だが」
フェルシオンは肩をすくめる。
そんな話をしながら歩いていると――
「あ」
見覚えのある顔があった。
宿で見た、あの少女だった。
少女は小さな布袋を持ち、きょろきょろと周囲を見ている。
そして誰も見ていないことを確認すると――
村の外れの方へ歩いていった。
「……どこ行くんだ?」
俺が呟く。
フェルシオンも少女の背中を見ていた。
「村の子供があの方向へ行く理由は、あまり思いつかないな」
「ちょっと見てみるか?」
フェルシオンは小さく頷いた。
俺たちは距離を取ったまま、少女の後を追うことにした。
少女は村の家並みを抜け、小さな畑の脇を通る。
やがて、柵の途切れている場所に出た。
そこから先は背の低い草地が広がっている。
村の外れだった。
少女はそのまま少し進み、草むらの前でしゃがみ込む。
周囲をもう一度きょろきょろと見回す。
俺たちは少し離れた場所で足を止めた。
「……何してるんだ」
俺が小声で言う。
少女は布袋を開き、中から何かを取り出した。
パンの切れ端だった。
それを草むらの前に置く。
「ほら」
小さな声で言う。
「今日はいっぱいあるよ」
しばらく沈黙が続いた。
風が草を揺らす。
すると――
草の奥で、何かが動き、小さな影がゆっくりと姿を現す。
白い毛。小さな体に、小さな角。
明らかに、普通の動物ではない、小型の魔物だった。
その姿を見た瞬間、肌がぶわっと粟立つのを感じた。
サイズこそ小さいが、その姿は間違いない。
「磔兎……」
「魔物か……」
この世界に来て――初めて、死を意識した相手。
あの時の光景が、一瞬だけ頭をよぎる。
土の匂い。喉を締めつける恐怖。
思わず息を吐いた。
だが――
少女はそれを見ても、まったく怖がっていない。
むしろ、嬉しそうに笑った。
「来た」
魔物は警戒しながらもパンに近づき、鼻でつつく。
そして、ゆっくりとかじり始めた。
むしゃむしゃと音がする。
少女はそれを満足そうに見つめながら、優しく頭をなでながら声をかける。
「ちゃんと食べるんだよ」
魔物はパンを食べ終えると、一度だけ少女を見上げた。
それから、くるりと向きを変え、草むらの奥へと消えていく。
しばらくして、少女は立ち上がった。
そして――
こちらに気づく。
「あ」
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