107.野営の飯
街道を歩いていると、右手の林が不意に揺れた。
ガサッ――と、下草を押し分ける音がして俺たちは同時に足を止める。
ヴァンの手は、すでに剣の柄にかかっていた。
「……来るぞ」
低い声。
次の瞬間、林の下草を押し倒して魔物が飛び出してきた。
獣型の大型種。肩の高さは人の胸ほど。額から太い角が突き出し、筋肉質な体躯をしている。
さながらサイのような見た目だった。
それが――二体。
「分けるぞ!」
ヴァンが前へ踏み出す。
片方の魔物がそのままヴァンへ突っ込んだ。
剣が閃き、鋭い金属音が響く。
もう一体は俺たちの方へ向きを変えた。
「ミハネ、横からだ!」
「分かった!」
俺は突進してくる魔物へ《焔鎖万華》を顕現させる。
空中に燃える鎖が現れ、絡み合うようにして巨大な盾の形を作った。
人一人を完全に隠せるほどの大きさだ。
次の瞬間――
ドンッ!!
魔物が頭から突っ込んできた。
角が鎖に触れた瞬間、ジュッと肉の焼ける音が鳴る。
熱に顔を歪めながらも、突進の勢いは止まらない。魔物はそのまま顔を押し込むように鎖の盾へぶつかり続けた。
重い衝撃が空気ごと押し寄せる。
魔物は鎖の盾を押し切るように数歩踏み込んだ。
その瞬間、俺は盾を構成していた鎖の結び目をほどき、盾を解除する。
視界の先から、俺の姿が消え、魔物の動きが一瞬止まった。
盾の向こうにいるはずの俺を見失ったからだ。
俺はすでに魔物の左側へ回り込み、剣を抜き放ち、前脚を斬りつける。
刃が肉を裂き、魔物の悲鳴が響き、体勢が崩れる。
「あとは任せた!」
後方でフェルシオンの詠唱が終わる。
次の瞬間――
光の剣が空中に顕現し、一直線に魔物の眉間を貫いた。
巨体がびくりと震える。
そしてそのまま、地面へ倒れ伏した。
草を押し潰す重い音が響く。
俺はすぐにヴァンの方を見る。
ちょうど剣についた血を振り払い、鞘に納めているところだった。
「……ふぅ」
「そっちも、終わったな」
「他の魔物の気配もありません」
ムイが周囲を警戒しながら言う。
フェルシオンが軽く息を整えつつ、倒れた魔物を見下ろした。
「街道のすぐ横で大型種とは……珍しいな」
「腹減ってたんだろ」
ヴァンは肩をすくめる。
「急に来るから、背負った荷物そのままで戦う羽目になったな。少し動きづらかった」
「だが、しっかり囮役と足止めをしてくれて助かった。
あれほど急に来られたら、私の魔法が間に合ったかどうか……」
そう言って、フェルシオンは少し羨ましそうな目で俺の左手を見る。
「やはり魔術は、魔法と違って詠唱がない分、出が早いな」
「まあな。でも使える数に限りはあるけど」
俺は左手の義手を軽く握ってみせた。
「良い実践の機会になったな。
さっきみたいに一瞬止めてくれる手段があるだけでも、戦いはだいぶ楽になるだろ」
「確かにそうですね」
ムイが頷く。
突進系の魔物は勢いを止めるのが難しいですから。私の糸でも、あの突進は止められたかどうか……
もしくは目を短剣で刺すか、でしょうか……」
ムイはもしもの場合を考えているのか、小さくぶつぶつと呟きながら思案していた。
ヴァンがそれを横目で見て、苦笑する。
「おいおい、もう終わった戦いの反省会か?」
「次に同じ状況が来たときの対処を考えておくのは大事です」
「真面目だな」
「もしもの際にフェルシオン様を守るために必要なことです」
ムイは淡々と言って、周囲の林を見渡した。
夕陽はすでに傾きかけている。
街道の影が長く伸び、昼の明るさは少しずつ薄れてきていた。
ヴァンもそれを見て、小さく息を吐く。
「……まあ、いい時間だな」
空を見上げる。
「今日はこの辺で野営にするか」
「賛成だ」
フェルシオンが頷いた。
「日が落ちてから場所を探すより、今のうちに整えた方がいい」
「この先に小さな林があるはずです」
ムイが街道の先を指さす。
「風も避けられますし、野営には良い場所かと」
「よし、そこだな」
ヴァンはそう言って、魔物の死体をちらりと見た。
「とりあえずこいつらは魔石だけ抜いて街道から外しとくか。夜中に他の魔物呼ばれても面倒だ」
「手伝う」
俺たちは倒れた魔物の巨体を街道脇へ引きずっていく。
重い体が草を押し倒し、土の匂いが立ち上った。
ある程度林の奥へ放り込んだところで、ヴァンが手を払う。
「こんなもんでいいだろ」
それから俺たちは、ムイが指した林の方へ歩いていった。
木々の間に入ると、街道より風が弱い。
落ち葉が地面に積もり、足音が少し柔らかくなる。
「ここなら火も起こせそうですね」
「じゃあ決まりだな」
ヴァンは背負っていた荷を下ろした。
どさり、と鈍い音が落ち葉の上に響く。
長い一日の終わりが、ようやく見えてきていた。
俺は落ち葉の上に腰を下ろし、肩を回す。
「はぁ……やっぱり、ずっと荷を背負ったままなのは疲れるな」
「ああ。普段使わない箇所を使っている感じがあるな」
そんな話をしている間にも、ムイはすでに動き始めていた。
戦闘は任せていたから設営は自分が行う、と淡々と言い、背負い袋を開く。
中から出てきたのは、小さな鍋と折り畳みの三脚だけだった。
それを地面に設置すると、周囲の枝を手際よく拾い集める。
「火よ熾れ 小さく燃えよ――《火種》」
ムイが詠唱すると、薪の下に小さな火が生まれ、やがてぱちぱちと燃え広がった。
焚き火はあっという間に安定する。
「水よ清め 杯に満て――《清水》」
次の詠唱とともに、鍋の中に透き通った水が満ちた。
さらにムイは袋から干し肉と乾燥野菜を取り出す。
「風よ走れ 刻みとなれ――《細刃》」
干し肉を空中へ放る。
次の瞬間、見えない刃のような風が走り、肉が空中で細かく刻まれた。
刻まれた肉は、そのまま鍋の中へ落ちていく。
乾燥野菜も同じように刻まれ、鍋へ放り込まれた。
さらに小袋から香草を取り出し、ぱらりと加える。
鍋の中で水が温まり始める。
しばらくすると、湯気と一緒に食欲をそそる香りが立ち上った。
その一連の手際を見て――
俺たち三人は、そろって黙り、完全に唖然としていた。
「……おい」
「はい?」
ムイは普通の顔で振り向いた。
「これ、野営の飯か?」
「そうですが」
「いや、宿の飯みたいな匂いしてるんだが」
「それもだけど」
俺は思わず言う。
「手際がどうなってるんだよ。っていうか、魔法も使えたのか。精度もやけに高くないか?」
そう言ってフェルシオンを見ると、腕を組んだまま鍋を見つめている。
「やけに荷物が少ないとは思っていたが……」
そして小さく息を吐いた。
「まさか包丁まで魔法で済ませているとは思わなかった。《細刃》に関しては、私より精度が上ではないか……」
「もしもの時のために練習しましたので。
もちろんフェルシオン様のような高度な魔法は使えません。児戯のようなものです」
ヴァンが苦笑する。
「魔法に対する考え方が少し変わったな。物は使いようとはよく言ったもんだ」
焚き火の鍋を顎で示す。
「それに、旅の料理にしては豪勢だしな。普通は干し肉を齧るだけのことが多いんだが……」
ムイは少し首を傾げた。
「それでは栄養が偏ります」
あまりにも当たり前の口調だった。
「それに、乾燥食材を組み合わせているだけですよ」
ムイは淡々と言いながら、袋からさらに何かを取り出す。
干したきのこだった。
「こういったものを事前に用意しておけば、軽くて持ち運びも楽ですし、食事の味も一段深くなりますので」
それを魔法で刻み、鍋の中へ落とす。
焚き火の上で鍋がぐつぐつと音を立て始めた。
俺は苦笑する。
「まあ、うまい飯が食えるなら文句はないな」
「ある意味、随分頼もしい仲間ができたな……」
ヴァンが小さく笑う。
ムイはしばらく鍋を見つめていたが、ふと思い出したように口を開いた。
「少し惜しいと思うのは、さきほどの魔物です」
「惜しい?」
「はい。あれを問題なく食べることができれば、食糧事情は革命が起きます」
ヴァンが少し考えながら頷く。
「……そうだな」
「大型種一体で、どれほどの肉量になるか……」
フェルシオンも顎に手を当てる。
「道中の食糧問題はもちろん、各町での冬の食糧不足も大幅に解消されるだろう」
「はい。一部でも食用にできるなら、大きな変化になります」
ムイは鍋をかき混ぜながら静かに言う。
「食材の量が増えれば、料理の幅も広がりますので」
「幅?」
俺が聞き返す。
「はい。例えば今の料理も、魔物の肉が使えればもう少し豪華にできます」
ムイは少し考えるように言葉を続けた。
「脂の多い部位を軽く焼いてから煮込めば旨味が増しますし、骨から出る出汁も使えます。
肉を薄く刻んで焼き料理にもできますし、干し肉にも加工できます」
淡々とした説明だったが――
聞いているうちに、なんだか腹が減ってくる話だった。
「それは……確かに美味そうな話だな」
ヴァンが焚き火を見ながら言う。
「はい。今のような一品ではなく、二品、三品と作ることもできます」
ムイは少し残念そうに鍋を見た。
「そう考えると、先ほどの魔物は少し惜しかったですね……と」
俺は苦笑する。
「確かに」
鍋から立ち上る香りだけでも十分うまそうなのに、それ以上の料理が作れると言われると、少し想像してしまう。
「……ただ、確実に食い過ぎるな」
俺がそう言うと、ヴァンが笑った。
「間違いねぇ。腹いっぱい食ったまま戦闘とか、絶対動けねぇぞ」
フェルシオンも小さく頷く。
「満腹のあまり魔物にやられることになったら、とんだ笑い話だな」
ムイは少し考えてから言った。
「そう考えると、食材が少ないくらいでちょうど良いのかもしれませんね」
焚き火の火が静かに揺れる。
鍋の中では、スープがちょうどいい具合に煮えていた。
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