104.贖罪
そこからは、ささやかな完成祝いが開かれた。
本来、新しい魔道具が完成すれば魔術組合へ登録される。
そして、それが革新的なものであれば特許という形で承認される――そういう決まりになっているらしい。
もっとも。
今回作ったものが作ったものだけに、登録は見送られることになった。
俺の力を基にした義手という存在そのものが、あまりにも異質すぎるからだ。
「しばらくミハネは旅に出るのよね? じゃあ、これは餞別よ。あげる」
そう言ってイリスが差し出してきたのは、《掘削筆》だった。
見慣れた形の魔道具。
だが、手に取った瞬間、違いが分かった。
握りの部分が、わずかに太い。
指を掛けると、まるで吸い付くみたいに収まる。
「これ……凄く手になじみます」
「それは、そうよ」
イリスは当然のように肩をすくめた。
「ミハネの手を参考に、大きさを調整して作ったものだもの。いつも使っていたのは私の手に合わせたものだったから、あなたには少し細かったんじゃない?」
言われてみれば、思い当たる節はある。
特に細かな刻印を刻むとき、どうしても手の震えを抑えきれないことがあった。
道具が合っていなかったのか。
「……ありがとうございます」
そう言いながら、俺は左手を見下ろす。
「でも、いいんですか? 左手も含めて……こんなにお世話になって。俺はまだ、何も返せていないのに」
イリスは俺の左手と、《掘削筆》を交互に見つめた。
それから、小さく呟く。
「いいのよ」
少し間を置いて、続ける。
「……これは私の家からあなたへの贖罪でもあるの」
視線が、ほんの少しだけ遠くを見る。
「本当なら、私たちが止めるべきだったこと。止めなければいけなかったこと。……それにあなたが決着をつけてくれた」
静かな声だった。
「だから、受け取ってくれると嬉しいわ」
その言葉に、俺は一度だけ頷く。
「……そういうことでしたら。ありがとうございます」
「ええ」
イリスは軽く笑うと、机の上の書類を手に取った。
「あと、これは返すわ」
差し出されたのは、エドガーの研究資料だった。
「代わりに、この刃はしばらく預かることになるけどね」
そう言われて、俺は小さく苦笑する。
「神聖魔法の研究は任せます。次に旅から戻ったとき、この左手に刻めるのを楽しみにしてます」
「ええ、任せなさい」
イリスは胸を少しだけ張り、自信満々に頷いた。
こうして――長く続いた魔道具作りは、ようやく終わった。
◆
早朝。まだ日が昇りきらない薄青い空の下で、俺はいつもの場所に立っていた。
石畳は夜の冷たさをまだ残していて、吐く息が白く溶けていく。
ここは、何度もこうしてルミエルとアルシエルと待ち合わせをしてきた《金色の羽亭》へ向かう広場だ。
もっとも、最近は少し事情が変わっている。
祝祭明けの休みは、とっくに終わり、朝食は三日に一度ほどの間隔になっていた。
俺は左手の手袋越しに、左手を軽く握っては開いて待っていた。
集まっては左手の進捗を伝えていたので、ようやく完成したことを伝えるのを待ち通しにしていた。
そのときだった。
「おはようございます、ミハネ様」
顔を上げると、そこに立っていたのは――ノルンだった。
修道服の裾を揺らしながら、彼女は小さく頭を下げる。
予想していなかった顔に、俺は少しだけ目を瞬かせた。
「ノルン? こんな朝早くにどうしたんだ?」
ノルンは一歩近づき、それから俺の左手へ視線を落とした。
ほんの少しだけ、目を丸くする。
「……その手……」
声が、わずかに震えていた。
俺は手袋を外す。朝の淡い光の中で、義手の表面が鈍く光った。
「ああ。もしかしたら、二人から聞いてるかもしれないけど――左手の義手を作ったんだ」
そう言って、軽く指を動かしてみせる。
ノルンは、その様子をじっと見つめていた。
次の瞬間。
ぽたり、と。雫が石畳に落ちた。
顔を上げると、ノルンは両手で口元を押さえていた。
「……よかった……」
震える声で、そう呟く。
「本当に……よかったです……」
涙が、次々とこぼれていく。
「ミハネ様の手……戻ったんですね……」
その言葉に、俺は少しだけ困ったように笑った。
「まあ、戻ったっていうか……作ったんだけどな」
そう言って軽く握ってみせると、ノルンは涙を拭きながら何度も頷く。
「それでも……それでも、です」
その声には、心の底からの安堵が滲んでいた。
ノルンは何度も涙を拭きながら、もう一度だけ俺の左手を見つめた。
まるで、本当にそこにあるのか確かめるみたいに。
「……女神様のお導きですね」
ぽつりと、そう呟く。
俺は少しだけ肩をすくめた。
「いや、これは完全にイリス師匠のおかげだけどな」
刻印も、構造も、調整も。全部イリスと一緒に考えて作ったものだ。
だが、ノルンは小さく首を振った。
「それでも……です」
静かな声だった。
「この時……こうしてまた、ミハネ様が手を取り戻せたのは……きっと意味のあることだと思います」
そう言って、少しだけ微笑む。
まだ目元は赤いままだったが、その表情はどこか安心したように柔らかかった。
それから、ノルンは表情を引き締め、修道服の袖に手を入れ、一通の封筒を取り出した。
「……それで、今日はその……」
差し出しかけて、ほんの一瞬だけ手が止まる。
迷っているようだった。
「どうした?」
俺がそう言うと、ノルンは小さく首を振った。
「いえ……」
そして、意を決したように封筒を差し出す。
「教会から、ミハネ様宛ての依頼です」
俺は思わず聞き返す。
「……俺に?」
ノルンは静かに頷いた。
「はい。教会の祭事に必要なものを、とある町まで取りに行き……それを別の国へ運ぶ、という指名依頼です」
俺は封筒を受け取りながら眉をひそめた。
「……指名依頼」
「はい……」
ノルンはほんの少しだけ視線を落とす。
「旅程を考えると……おそらく、一年ほどは戻れないと思います」
一年。長すぎる。
俺は依頼書をざっと眺めながら首を傾げた。
「……なんで俺なんだ? 狼紋だし、実績もないに等しいんだけど」
率直な疑問だった。
ノルンはほんの一瞬だけ言葉を詰まらせる。
だが、すぐに小さく首を振った。
「……教会の判断ですので。私にも分かりません」
俺は少し考えてから、息を吐いた。
「とりあえず受け取っておくよ」
そう言って依頼書を畳み、懐へしまう。
あとで皆にも相談してみるか、とそんなことを考えた。
そこでふと間が空く。まだ来ていない二人のことを思い出し、俺は口を開いた。
「それで、アルシエルとルミエルはどうしたんだ?」
「お二人は急遽用事ができてしまい、今日は来られなくなったそうです。
なので、私が代わりにその旨をお伝えしに来ました。同時に、この依頼書を冒険者組合へ渡しに行く役目も請け負っていましたので」
「じゃあ、二人もこの指名依頼があるってことは知っていたのか」
ノルンは少しだけ顔を伏せた。
「いえ……その。このことは知らないと思います。知っていたら、今日は来ていたでしょうから」
それから少しだけ言葉を探すように間を置く。
「お二人とも……無理をしてでも会いに来ていたと思います」
ノルンは続けた。
「……もし依頼を受けるのであれば、これから準備や手続きで忙しくなると思います。
そうなると……出発までにお二人と会うのは、少し難しいかもしれません」
「そうか……」
その言葉に、俺は少しだけ考え込む。
確かに、教会からの依頼となれば準備も面倒そうだ。
ノルンは視線を上げ、静かに言った。
「どうか……お気をつけてください」
「ああ。まあ受けるかどうかは分からないけど、旅には出るつもりだからな」
そう言うと、ノルンは小さく頷いた。
「……はい」
それからもう一度だけ、俺の左手を見つめる。まるで、それを心に焼き付けるみたいに。
「では、私はこれで」
「もう行くのか?」
「はい。他の務めがありますので」
ノルンは深く頭を下げ、くるりと背を向けた。
修道服の裾が、朝の風に揺れる。
それを見送りながら、俺も冒険者組合へ向けて踵を返した。
――そのとき、ふと。
「本当は……行ってほしくありません」
そんな声が、後ろから聞こえた気がした。
「ですが……すぐに追いかけますから」
振り返ったときには、もう誰もいない。
その声は、朝の風に溶けて消えていた。
まだまだ拙い部分も多い作品ですが、
ひとつでも心に残る場面があれば、ブックマークや★評価で応援していただけると励みになります。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。




