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異世界人間師  作者: 白黒 シろ
3章.傷だらけの世界で、歩き出す
103/111

101.国の骨格

 室内に足を踏み入れた瞬間、薬草とインクの匂いが混じった、馴染みのある空気に包まれた。

「……あら?」

 先に気づいたのは、イリスだった。

 俺の後ろに立つフェルシオンへ視線を向け、ほんの一瞬、目を細める。

「その顔……やっぱり、フェルシオン・アークレインよね?」

 フェルシオンは一拍置き、軽く驚いたように目を瞬かせた。

「ミハネが言っていたのは君のことだったか――イリス・クラリオン」

「なんだ、二人は知り合いだったのか?」

 俺の問いに、二人は一瞬だけ顔を見合わせた。


「ええ。知り合い、というほど深くはないけど」

 先に答えたのはイリスだった。

 椅子の背に軽く手をかけ、少しだけ昔を思い出すように視線を上げる。

「貴族同士の集まりで、何度か挨拶をしたことがあるわ。王都の設備更新の話とか、魔法と魔術の違いとか……その程度ね」

「その程度、とは言うが」

 フェルシオンは肩をすくめる。

「同年代で、魔法と魔術の話が通じる相手なんて、そうそういない。君の話は印象に残っているよ」

「まぁ、光栄だわ」


 イリスは小さく笑ってから、俺に視線を戻した。

「アークレイン家は、王都の一部の管理を任されている伯爵家でしょう? 契約の調整や設備の更新で、魔術組合の人間と顔を合わせる機会も多いの」

「……管理?」

 思わず聞き返した。

 フェルシオンが、少しだけ困ったように眉を寄せる。

「やっぱり、そこから説明が必要か」

 正直に頷く。

「そういえば俺、貴族のことって……ほとんど分かってない」

 イリスがくすっと笑った。

「無理もないわ。ミハネは稀人で、この国で生まれた人じゃないんだし。そもそも、王都の仕組みって分かりにくく作られてるものだから」


「王都はな」

 フェルシオンが言葉を継ぐ。

「王家がすべてを直接握らないように、役割が分けられている」

「ああ、この国の五すくみのことだろ?」

「それもあるけれど、それだけじゃないわ」

 イリスは指先で机を軽く叩き、順に言葉を並べていく。

「例えば国――王家は、法の整備や軍事、裁定を担う。そこは揺らがない」

 イリスは指を一本立てて言った。

「でも王都の“日常”――市場、住まい、衛生、水路、治安の細部……そこまで王家が直接握ると、力が一箇所に集まりすぎるのよ」

「集中しすぎると、何がまずいんですか?」

「何か起きたとき、全部が国に刺さる」

 即答だった。

「そうすると五すくみが揺れる。国の失点は、そのまま王都の失点になるから。

 それにね、王都の区画は性質が違うの。工房の多い区、貴族が集まる区、庶民区。全部を王家が直轄にしたら、どこで何を動かしても必ず“政治”になる」

 イリスは小さく肩をすくめる。

「だから区画ごとに、別の貴族家が“管理責任”を担う。王家は上から全体を裁定するけど、日々の帳尻は各家に持たせるのよ。

 アークレイン家は、その中でも庶民区を任されている伯爵家。王家より下で、でも無責任ではいられない。――いわば緩衝材ね」

 なるほど、と頷きかけたところで、俺は素朴な疑問を投げた。

「でも、それって国から管理を任されてるってことだろ? だったら、なんで商業組合に管理委託してたんだ?」

 フェルシオンが苦笑する。

「そこがまた、ややこしい。伯爵家が全て抱えれば、今度は貴族が経済と物流まで握る形になる。……それはそれで危険だ」

「経済と物流?」

「ああ。庶民区は“物”が尽きた瞬間に荒れる」

 淡々と、けれど重い口調で続ける。

「小麦、塩、薬、薪、布。水路や下水の補修材。冬の炊き出しの食料。――それを安定して動かせるのは、商業組合の流通網だ。

 仕入れ、倉庫、運送、人足。国境をまたいだ流通まで含めて、あいつらは“回す”ことに特化している」

 イリスも頷いた。

「王家が直接やると、遅いし、揉めるし、全部が政治案件になる。貴族が直接やると、利権に見える。

 だから商業組合に“実務”を任せるの。動かすのは彼ら、責任を背負うのは管理貴族――って分業ね」

 フェルシオンが結論だけを置く。

「私たちは“管理責任”だけを持つ。監査し、違反があれば裁き、必要なら王家に報告する立場だ。運営は持たない。金も物資も、直接は握らない」

「……責任だけ背負う、って感じだな」

「そういうことだ」


 俺は息を吐いて、次の疑問を投げた。

「じゃあ、なんでフェルシオンの兄は手柄を横取りしたんだ? 聖女に覚えを良くしてもらうため、って聞いたけど。それってそんなに意味があるのか?」

 フェルシオンの目が、ほんの少し細くなる。

「庶民区は商業組合が実務を担っている。だが、教会も無関係じゃない」

 次いで、静かに言葉を足す。

「孤児院、治療院、炊き出し……庶民の生活の底を支えているのは教会だ。だから、教会の“機嫌”を損ねるわけにはいかない」

 俺は眉をひそめた。

「……聖女って、そんなに、教会そのものに影響力があるのか?」

「あるわ」

 イリスが即答する。

「教会の象徴であり、政治的な“空気”を決める存在でもあるのよ。

 教皇が祭事以外では表に出ないからこそ、双子聖女は民の希望の光になる。

 聖女が何をどう見るかで、教会の態度が変わる――そう考える人は多いわ。

 実際のところ、聖女本人たちがどう思っているか私はわからないけれどね」

「特に、あの時期はまずかった」

 フェルシオンが続ける。

「光の祝祭だ。王都の空気が、教会に寄りやすい時期だった」

「だから兄は……教会との関係を強めたかったのか」

「そうだ」

 フェルシオンは短く頷く。

「庶民区を管理する家として、教会と対立するのは最悪だ。

 だから下水の復旧を、“聖女の目に入る形”でまとめ上げた。迅速で、清潔で、慈善に満ちた対応としてな」

「……じゃあ、責任は?」

 俺の問いに、イリスがわずかに顔をしかめた。

「責任を取る者と、顔になる者を分けるのは、政治ではよくある話よ」

「……そうなのか」

 そこまで聞いて、ようやく腑に落ちた。

 フェルシオンが“家を離れる”決断に至った理由が、線になって繋がっていく。


「でもさ」

 俺はまだ引っかかっていた。

「責任を押しつけられたからって、家から離れて冒険者になるのはまずいんじゃないか?

 アークレイン家の仕事って、そんなに抜けられるものなのか?」

 フェルシオンは肩をすくめる。

「私は三男だ。家督を継ぐのは兄。次兄はすでに実務に入っている」

 そして淡々と数え上げる。

「アークレイン家の仕事は調整だ。ひたすら調整。

 商業組合と国。魔術組合と教会。冒険者組合と王国騎士団。

 どこかが行き過ぎれば止める。どこかが止まりすぎれば動かす。目立たないが、逃げ場のない仕事だ」

 息を置き、少しだけ苦味を混ぜる。

「だからこそ、兄からすれば――魔法組合で幅を利かせている弟は目障りなんだろうな」

「なるほど……」


 俺は今度はイリスのほうを見る。

「イリス師匠のクラリオン家は何をしているんですか? 王家の分家筋ですよね。ということは、法の整備とか?」

「半分正解で、半分違うわね」

 イリスは胸を張りすぎない程度に、きっぱり言った。

「私たちは王家の分家筋。だからこそ、政治を“動かす”側には立てない。王家の力が大きくなりすぎるのを避けるためよ」

 そして、淡々と――けれど誇りを隠さずに続ける。

「クラリオン家の役目は、法や協定の“言葉”を整えること。

 魔術や魔法を、国の決まりに落とし込む。研究成果を条約や制度に“翻訳”するの。

 誰かがやらないと、魔法も魔術もただの危険物になるからね」

「言葉で……国を支える……」

「そういうこと」

 イリスは一度頷き、少しだけ視線を落とす。

「ただ、私とおじい様はそこを降りて――“生み出す側”に行った。

 それで黙らせるだけの成果も出した。だから、私が魔術組合にいること自体は、家も止めないわ」


「じゃあ、貴族が組合に所属するのって……普通に許されてるんですか?」

「許されてる、というより」

 イリスが指を一本立てる。

「条件があるの。基本は“組合を家の権力で管理しない”こと。

 管理に触れるなら、家督から距離を置いていることが最低条件。

 それができなければ、他の貴族からも睨まれるし、組合からも睨まれる。良いことはないわ」

「なるほど……ややこしいんですね……」


「……まあ、そういうわけで」

 イリスが軽く手を叩き、空気を切り替える。

「貴族社会は面倒だし、王都は綱渡りみたいな場所。でもね、こんな仕組みだからこそ――いいところも、ちゃんとあるのよ」

 椅子に腰掛け直し、指先を組む。

「力が一か所に集まらない。国が法を握り、魔法組合が権威を示し、魔術組合が実用を担い、教会が民心を支え、冒険者組合が“想定外”を引き受ける」

 淡々と、けれど確信を込めて言う。

「誰かが倒れても、全部が一緒に倒れない。誰かが暴走しても、他が止められる。……だから、この国は簡単には傾かない」

 フェルシオンが頷く。

「反乱も起きにくい。起きたとしても、どこか一つが勝手に煽れない構造だ」

「ええ」

 イリスは続けた。

「支え合ってる、というより――互いに縛り合ってる、が正確かしら。でもね、それが結果的に多くの人を守ってる」


 俺は小さく息を吐いた。

「……なるほど。不自由だけど、逃げ道はあるってわけですね」

「そう」

 イリスは指を鳴らす。

「完璧じゃない。でも、完璧じゃないからこそ、続いてきた。王都ってのは、そういう場所」

 言いながら、俺はようやくこの国の骨格を、少しだけ掴んだ気がした。


 少し間が空いてから、俺は改めて二人を見る。

「……それで」

 率直に口を開いた。

「二人は、どういう知り合いなんだ? 貴族としての格も違うみたいだし……でも、敬語とか使ってないような」

 一瞬、フェルシオンが視線を泳がせ――次に、イリスが小さく肩をすくめた。

「それ、私が言い出したのよ」

「え?」

「敬語、やめましょうって」

 イリスは悪びれもせず言う。

「だって、魔法と魔術の話をするのに、いちいち立場を気にしてたら、何も話せないじゃない」

 フェルシオンが苦笑する。

「最初に会ったのは、王都の社交季だったな。貴族向けの夜会だ。

 アークレイン家は庶民区の設備更新の報告があって、魔術組合の人間とも顔を繋ぐ必要があった」

「そのとき、たまたま近くにいたのが私」

 イリスが続ける。

「社交場の席で、設備用の魔道具の話をしてたら――横から口を挟んできたのよ、この人」

「口を挟んだ、は心外だな」

「『その魔道具、魔法を再現したにしては……効力が弱くないでしょうか』って言ってたでしょう?」

「そりゃあ、十分に失礼だな」

 二人のやり取りに、思わず口元が緩む。


「だが」

 フェルシオンは少し真面目な声に戻った。

「内容は的確だっただろ。魔術刻印としては美しいが、長期稼働には向かない。

 だから、そこから話をした。魔法でやるべきことと、魔術でやるべきことの違いを」

「そうそう」

 イリスは指を鳴らす。

「その話をしてる途中で、敬語が邪魔になったの。立場の話じゃなくて、“考え方”の話をしてたから」

 一瞬だけ、視線を伏せてから笑う。

「だから言ったのよ。『今この部屋では、家名も爵位も外しましょう。そうじゃないと、話が前に進まない』って」

 フェルシオンは小さく頷いた。

「議論が白熱すればするほど、三男として、伯爵家として、失礼にならない言葉を選び続けるのは限界が来る。

 敬語を外した瞬間、ようやく“立場”じゃなく“考え”で話せた」

「でしょ?」

 イリスはあっさり言う。

「だから今も、そのまま。必要な場ではお互いに礼を尽くすけど、ここでは“同年代の研究者同士”よ」

 俺は二人を見比べる。

「なるほど……」

 肩書きを外して話せる関係。

 それはきっと、この王都では――思っている以上に、貴重なものなのだろう。


「さて。昔話はこのくらいにして――」

 イリスが指先で机を軽く叩き、視線をフェルシオンへ向ける。

「今度はこっちの番よ。フェルシオンとミハネは、どういう関係なの?」

「ああ。君の耳にも入っているとは思うが……私は家の件で責任を背負わされてな」

 フェルシオンは苦笑して肩をすくめる。

「嫌になったから、冒険者になった。――それだけだ」

 イリスは一瞬ぽかんとして、それから吹き出した。

「はははっ。なによそれ……」

 笑いが途切れたあと、視線がふっと落ちる。

「……私が、できなかったことね」

「君には君の信じる道があるだろ」

 フェルシオンは淡々と言い、けれど声は柔らかい。

「それでいい。何より、魔道具を作りたいなら――魔術組合にいるのが一番だ」

「それもそうね……」

 イリスは小さく頷き、言葉を継ぐ。

「それに、この件はこの前ミハネと話して、決めたことだし」

 そう言って、イリスが俺を見る。

「はい」

 俺は短く頷いてから、少しだけ軽い調子で言った。

「俺も、まだまだ師匠に相談したいことが山ほどあるんで。冒険者になって遠くに行かれたら困ります」

 イリスが、ふふっと笑う。

 ほんの少しだけ、空気が和らいだ。


「――じゃあ、今日の本題に入りましょうか」

 イリスの視線が、自然と俺の左腕へ落ちる。

「ミハネの左手だけど……やることは、山ほどあるわ」

 刻印筆を机に置き、指を折っていく。


「一つ目。右手の型を取る。

 骨格、関節の可動域、指の長さ――基準がなければ、“あなたの手”にはならないから。

 二つ目。

 その型を元に触媒を鋳造する。

 複数の刻印に耐えられる金属や鉱石。魔力を通しても歪まない“器”を作るわ。

 この段階では、ただの金属の手よ。動かないし、魔法も使えない。

 三つ目。

 核の準備。

 魔石にあなたの魔力をなじませる。

 一度流して、引き戻して、循環させる。引っ掛かりが完全になくなるまで、何度でもね。

 四つ目。

 核を組み込む。

 触媒の中枢に据えて、魔力を受け、循環させる回路を完成させる。

 ここで、ようやく“魔道具”になる。

 そして、五つ目。

 刻印。

 感覚の伝達、魔力の導線、暴走時の遮断機構。

 攻撃や補助は後回し。まずは、安全に動くことが最優先。

 この時点で、左手の形をした“複数の魔法を使える魔道具”が完成するわ。

 接続はしない。その状態で、魔法の挙動も、反応も、徹底的に確認する。

 そして最後に――六つ目。

 接続。

 机の上で、宙で、何度も動かす。

 指は正しく曲がるか。魔力は暴れないか。刻印同士が干渉しないか。

 問題が出たら、戻る。刻み直す。作り直す。それを、何度でもやる。

 そうして――あなたの左手が、形になるのよ」


「……ずいぶん、遠い道ですね」

 思わず漏れた本音だった。

 イリスは迷いなく頷く。

「当然よ。誰も作ったことがない魔道具なんだから」

 言い切りだったが、どこか楽しげでもあった。

「近道があるなら、もう誰かが辿ってるわ。――だから、私たちは一からやるの」

 その一言を合図に、俺の左手の作成は始まった。


まだまだ拙い部分も多い作品ですが、

ひとつでも心に残る場面があれば、ブックマークや★評価で応援していただけると励みになります。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

引き続き、どうぞよろしくお願いします。

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