100.お前の力は、私の理想の具現だ
イリスは指先で机を軽く叩き、思考を順に並べていく。
「……じゃあ、まずは何をするか、ね。
最重要の核があるとしても、大きな魔法を刻印で再現しようとすれば、それだけ回路は複雑になる。
触媒の耐久も必要になる――前に話したわよね」
ルーペの横で、魔石が静かに光を吸っている。
「中級魔法くらいならまだ現実的。
でも上級、最上級を欲張るなら、触媒もそれ相応の“器”が要る。……まあ、その話はおいおいね」
そこで、イリスは視線を上げた。
「今日のところは、義手は作らないわ。まずやるのは、左手そのものの解析よ」
「解析、ですか」
「そう。あなたの身体と、魔力の癖」
イリスは視線を俺の左腕の先へ向ける。
「失った部位、残っている神経反応、魔力の流れ方。
それを把握しないと、どんなに優れた義手でも――ただの飾りか、爆弾になると思うわ」
一拍置いて、少しだけ声を和らげた。
「あなたの魔力がどこで滞り、どこで暴れやすいかを見る。義手を作るのは――その癖を全部理解してから」
イリスは環を机に置き、俺を見る。
「順番を間違えなければ、きっと形になるわ。だから今日は――第一段階」
にっと笑って、いつもの調子に戻る。
「素材じゃなくて、あなた自身を調べるところから始めましょう」
そう言われて、俺は一瞬だけ逡巡した。
「……俺は、魔力を制御できます」
言い訳みたいに聞こえたのが、自分でも分かった。
イリスは即座に首を振る。
「それは、熟練の冒険者や魔法使いでも“分かってるつもり”になるだけよ。自分の癖って、いちばん自分で見えないものなの」
俺は、左腕を机の上に差し出した。
「イリス師匠。今まで黙っていて……すみません」
喉の奥が乾く。
また裏切られるかもしれない、という恐怖がよぎる。
それでも――言葉を落とした。
"祖父の意志を正しく魔道具に落とし込む"と言ったイリスを信じるためにも。
「俺は稀人です。
魔法が使えない代わりに、魔力を――線みたいに繋いで操れます。
……それと、こんなことも」
左腕の先へ、意識を沈める。
魔力を細い線のように、骨へ、筋肉へ、腱の一本一本へと這わせていく。
ただ通すだけじゃない。縫い上げるように、形を変える。
次の瞬間――
先のない手首の肉が、裂ける花弁のように開いた。
ぶち、ぶち、と。
皮膚と筋が引き千切れる感覚が遅れて押し寄せ、視界が一瞬、白く弾ける。
汗が滲み、喉の奥に熱いものがこみ上げた。
それでも、止めない。
これまで黙っていた代償だ。
そして――イリスに対する、誠意であり、覚悟だ。
呼吸を乱しながら、俺は開いた“それ”を元に戻す。
肉が寄り、縫い合わさるように閉じていく。
痛みだけが、置き去りに残った。
「……あなたの祖父――先生は、この力を……この異能を持つ俺を、“人間師”と呼びました」
一瞬、言葉が空気の中で止まる。
「……」
顔を上げると、イリスは声を失っていた。
その瞳に浮かんだのは、驚きだけじゃない。
ほんの少しの――悲しさだった。
「……だからなのね」
イリスは、息を吐くように呟いた。
「だから、おじい様は……『お前の力は、私の理想の具現だ』って言ったのね」
視線が、俺の左腕に落ちる。
失った場所を、いまもそこにあるもののように見つめていた。
「あなたの魔力の体質が少し変わっていることは、私も薄々気づいてた。
だって……おじい様が、誰か一人にあそこまで目をかけるなんて、そうそうないもの」
言葉を継ぐ前に、イリスは一度だけ唇を噛んだ。
研究者の顔と、孫の顔が、その一瞬で入れ替わる。
「おじい様は、きっとそこに夢を見たのよ。
欠けたものを、なかったことにするんじゃない。
欠けたままでも生き続けられる形に”作り変える”――そんな理想を」
けれど、と。
声が少しだけ低くなる。
「……同時に、焦っていた」
机の上。そこにある研究資料へ、目線が向かう。
「何に追われていたのか、私はまだ分からない。
寿命だったのかもしれないし、もっと別の……“時間がない”理由があったのかもしれない」
指先が、無意識に紙の端をなぞる。
「でも、資料には……焦りが残ってる。
理屈で積み上げた研究。それが追い立てられるみたいに、ひとつ先へ、もうひとつ先へって……」
息を吸って、静かに吐く。
「倫理を踏み越えてでも、間に合わせなきゃいけない。
――そんな執念が、ここには詰まっていた」
イリスは背筋を伸ばし、研究者の顔に戻る。
「だからこそ。私は、急がない」
きっぱりとした口調だった。
「結果が同じでも、辿る道は選べる。おじい様が焦って踏み越えた線を、私は踏まない」
そう言って、ほんの少しだけ笑う。
「あなたを“答え”にはしない。あなたと一緒に、“答えを作る”」
一拍、視線を合わせる。
「……手伝ってくれるでしょ?」
「……はい」
頷くと、イリスは肩の力を抜いた。
「さて。少し話が逸れたけど――稀人のあなた相手だと、魔力の癖は調べにくいし……いっそ、調べなくてもいいかもしれないわね」
イリスは指先で空に線を引く。
それは図式でも刻印でもなく、思考の軌跡そのものみたいだった。
「特に、魔力を一本一本通せるほどの精密性があるなら……」
含みを持たせて、唇の端をわずかに上げる。
「義手側の刻印は最低限にして、接続の要をあなたの力に委ねる。
特に、感覚の伝達や魔力の導線、暴走時の遮断機構――これらは、あなたが直接制御したほうが効率がいい。
そうすれば、義手はただの“装置”じゃなくなる」
一拍、言葉を選ぶように間を置いて。
「……本当の意味で、魔道具があなたの身体の延長になるわ」
断定ではなく、確信だった。
そうして、今日は一度区切りになった。
解析も設計も、腰を据えてやるべき内容だ。
今この場で急に進めるより、準備を整えてから臨んだほうがいい――イリスはそう判断した。
◆
翌日。
俺はいつも通り、冒険者組合の訓練場でフェルシオン、ムイと並び、ヴァンにしごかれていた。
フェルシオンとムイは走りながら、ヴァンから身体強化のコツや呼吸の合わせ方、魔法を撃つタイミングについて指示を受けていた。
「魔力は放出するんじゃねぇ。内側の流れを意識しろ」
叱声が飛ぶたび、二人の動きがわずかに修正されていく。
息は荒い。脚も重い。
それでも、二人は必死に食らいつき、昨日よりも確実に形になっていた。
積み重ねた分だけ、身体が応えているのが分かる。
鍛錬が終わるころには、全員が汗だくだった。
呼吸を整え、身支度を済ませる。
それから、俺たちは揃って魔術組合へと向かった。
今日、イリスのもとを訪れるのは――俺一人じゃない。
「で……ムイも付いてくるんだな」
歩きながら、フェルシオンに声をかける。
「はい」
即答だった。
「フェルシオン様の侍女ですので」
その口調は淡々としているが、半歩後ろを保つ立ち位置に迷いはない。
フェルシオンは苦笑して肩をすくめた。
◆
魔術組合に辿り着くと、フェルシオンはどこか落ち着かない様子で周囲を見回していた。
高い天井、積み上げられた書棚、空気に混じる薬草と魔力の匂い。
冒険者組合とは、やっぱり別の世界だ。
「どうしたんだ?」
声をかけると、フェルシオンは少し気まずそうに視線を逸らす。
「いや……冒険者組合でもそうだったが、魔術組合に来るのも初めてでな。
少し、浮足立っているだけだ」
「顔に出てるぞ」
「放っておけ」
そんなやり取りをしている間に、受付の前まで来た。
いつものように木札を受付へと差し出すと、奥からロワが姿を現した。
その視線が、俺――ではなく、半歩後ろに立つムイに向いた瞬間。
「……っ」
ほんの一瞬。ロワの肩が、わずかに揺れた。
動きは止まり、呼吸も一拍遅れる。
それでも表情は崩さない。
いつも通りの無表情――ただし、視線だけが、ほんの少しだけ定まらない。
「……久しぶり、ムイ」
職務用の挨拶にしては、柔らかくて、どこか距離が近い。
ロワにしては、珍しいほどフランクな響きだ。
ムイは一瞬だけ視線を伏せ――それから、静かに応じた。
「……はい。お久しぶりです、ロワ」
そこで一度、間を置く。
「ただ、私よりも先にご挨拶する方がいらっしゃいます」
そう言って、フェルシオンのほうへ視線を向けた。
沈黙が一拍、落ちる。
ロワは、はっとしたように息を整え、軽く咳払いをする。
そして、きちんと背筋を伸ばし――執事の顔に戻った。
「……失礼いたしました。
フェルシオン・アークレイン様ですね。
私はロワと申します。イリス様のもとへ、ご案内いたします」
丁寧な対応。けれど、ムイから視線を外すまで、ほんの一瞬だけ、時間がかかっていた。
そうして、ロワは歩き出す。
所作は静かで、迷いはない。
ほんの少し前まで見えた揺れが、なかったかのように消えていた。
促され、フェルシオンが一歩踏み出す。
ムイはその半歩後ろにつき、いつもの位置を崩さない。
俺はフェルシオンの横に並び、声を落として耳打ちした。
「なあ……ロワとムイって、知り合いなのか?」
フェルシオンは少し考える素振りを見せてから、曖昧に首を振る。
「私にも分からない。ただ、ムイは幼いころから一緒だからな。
生まれた場所が同じ、とか……近かった、とか。そのような感じではないか?」
「気にならないのか?」
「気にならないかと言われれば……」
フェルシオンが言葉を探しかけた、その時だった。
「私とロワは、いわゆる幼馴染というものです」
後ろから、ムイの淡々とした声が差し込む。
振り返ると、表情はいつもと変わらない。
「同じく貴族に仕える家系同士で、交流がありました。
その場で出会い……アークレイン家で働き始める前までは、顔を合わせる機会もありました」
「……なるほどな」
それ以上、踏み込もうとはしなかった。
主としての距離感を、無意識に保っているのだろう。
その様子を、ムイは一瞬だけ見つめ――すぐに視線を正面へ戻した。
「いえ」
静かだが、はっきりとした声だった。
「どうか、何でもお聞きください。フェルシオン様に隠すことは、何もございませんから」
形式ばった言い回し。
けれど、その直後――前で揃えられたムイの指先に、ほんのわずか力が籠もっているのが見えた。
やがて、ロワは立ち止まる。
「こちらです」
短く告げ、ノックをする。
中から、聞き慣れた声が返ってきた。
「どうぞ」
扉が開く。
――そうして再び、イリスの研究室だ。
まだまだ拙い部分も多い作品ですが、
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いつも読んでくださり、ありがとうございます。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。




