099.全部がここにある
俺は、左腕を静かに持ち上げた。
手首の先――何もないはずの場所を、イリスに見せる。
「ここに来たのは、魔道具を作る相談です」
視線を逸らさず、言葉を続けた。
「ここから先の左手が、俺にはありません。
このままでも冒険者は続けられるかもしれない。けど、冒険者として先に進むなら、ここは埋めないといけない」
頭の中で何度も組み立てた言葉を、慎重に選ぶ。
「魔法が使えない代わりに、魔道具で再現する。
擬似的でもいい。魔法を“使える”手にしたいんです……難しいですか?」
彼女は驚いた様子も見せず、むしろ――じっと、興味深そうに左腕を見つめていた。
「……実はね。ここ最近、魔道具は全然作ってなかったの」
肩をすくめて、苦笑する。
「それよりも、やるべきことが多くて」
そう言いながらも、その視線はまだ俺の左手から離れない。
「でも――やっぱりミハネは、面白いわ」
顔を上げ、目を輝かせる。
「そういう話を聞くと、どうしてもワクワクしちゃうんだもの。
誰も作ったことがない。できるかどうかも分からない。
……でも、だからこそ挑戦する価値がある」
イリスは立ち上がり、机の引き出しを開けた。
取り出したのは、羊皮紙の束――エドガーの研究資料。
それを軽く掲げてから、机の上に置き、指先で端を揃える。
「くしくも……それは、おじい様の研究の一端でもあるのよ」
視線を落としたまま、静かに言葉を継ぐ。
「歩くことのできなくなった人のため。
持つことのできなくなった人のための研究。
おじい様は、誰かの欠けた部分を“なかったこと”にしたかったわけじゃない」
指先が、羊皮紙の縁をなぞる。
「失ったままでも、生きていけるように。
それでも、明日を笑顔で迎えられるように――
そういう力を、魔道具として形にしようとしていた」
ゆっくりと顔を上げる。
「犠牲の上に成り立つ救いじゃなくて。
ちゃんと“使う人の人生に寄り添う”魔道具として、残したい」
迷いを振り切るように、はっきりと言った。
「祖父の意志を、正しく魔道具に落とし込む。
それを……あなたと一緒に形にできるなら」
イリスは小さく、けれど確かに微笑む。
「私は、嬉しいわ」
その言葉を聞き、胸の奥で、何かが静かに定まる音がした。
むしろ――置き去りにしていた覚悟が、ようやく追いついてきたような感触だった。
言葉を探し、俺は左腕の先へと視線を落とした。
「……今、分かりました。俺自身も、ここを“なかったこと”にはしたくなかったんです」
失った事実は消えない。
あの瞬間の痛みも、骨が砕ける感触も、判断を迫られた恐怖も。
「この左手は、ただの欠損じゃない。俺がこの世界で初めて失ったものの、全部がここにある」
一つずつ、噛みしめるように続ける。
「それは仲間で……それは師で……それは信じていた人で……」
喉の奥が、わずかに詰まる。
「そして――自分の心」
あの時。
左手を“そういう形”にできると知ってしまった瞬間。
躊躇が薄れていく自分に、気づいてしまった瞬間。
「取り戻せないかもと分かっていても。それでも、前に進むために使えると知ってしまった以上……俺は、もう戻れなくなった」
だからこそ。
「この左手は、俺の喪失の証であり……選択の結果でもあります」
ゆっくりと、そこにあったはずの左手を握る仕草をする。
「忘れないために、形にしたいんです。もう二度と、同じ一線を無自覚に越えないために。
この喪失を抱えたまま、それでも生きるために。そして――」
胸の奥に浮かぶ、たった一つの帰る場所へ進むため。
イリスは、ふっと息を吐くように笑った。
「……でもね。理想だけを語っているだけじゃ、ダメよ。
義手を作るってだけでも大仕事なのに、そこに感覚の伝達、魔力の導線、暴走時の遮断機構……考えることはいくらでもあるわ。
どれか一つでも欠ければ、ただの危険物。冒険で使うなら、なおさらね」
その現実的な言葉に、俺は小さく肩をすくめる。
「だからそこ、俺は師匠にその“無茶”を相談しに来ました。イリス師匠なら、できると思ったから」
一瞬の間。
イリスは視線を逸らし、困ったように、けれど隠しきれない笑みを浮かべた。
「……全く。調子いいんだから」
そう言いながらも、刻印筆に伸びた指先は止まらない。
そこにいたのは、迷いを抱えながらも思考を止めない――
俺のよく知る、魔術師イリスの顔だった。
絶妙な間を見計らったのだろう。
ロワが静かに扉を開け、湯気の立つティーセットを運んできた。
「失礼いたします」
淡々とした所作でカップを並べると、深く一礼して一歩下がる。
その気配が、張り詰めていた空気をほんの少しだけ和らげた。
イリスはカップに手を伸ばし、香りを確かめるように一息つく。
「……じゃあ、ミハネの意見から聞きましょう」
視線をこちらに戻し、いつもの調子で続ける。
「どういう機能を持たせたいの?」
俺は一度だけ考えを整理してから、口を開いた。
「《炎刃衝》っていう魔法があります。ああいう、攻撃としてはっきり形になる魔法が使えるようになりたいですね」
言葉を選びながら、続ける。
「正直、今の俺は攻撃手段が乏しい。だからまずは火力を補う手段と、それをちゃんと当てるための補助的な魔法が欲しい」
そして、ほんの一瞬だけ視線を落とす。
「それと……神聖魔法です」
イリスが静かに頷く。
「俺一人が生き残るためだけじゃなくて。
仲間を救える手段が欲しい。守れる可能性を、少しでも増やしたいんです」
イリスは、わずかに眉間にしわを寄せた。
「……欲張りね。攻撃、補助、回復。それを一本の義手にまとめるなんて、無茶もいいところだわ」
だが、否定の色はそこで終わらない。
「まず、それだけの機能を載せるなら……いえ、必然的に“それ以上”の機能を持たせることになる。
それを束ねる“核”が、今、私の手元にはないわ」
――予想通りだ。
俺は懐に手を入れ、バイザードから受け取った魔石を取り出し、机の上に静かに置いた。
「これを、核として使いたいと思っています」
イリスは一瞬、目を瞬かせた。
すぐに引き出しから小さなルーペ状の魔道具を取り出し、魔石へと顔を近づける。
「……これは」
覗き込む瞳が、わずかに見開かれる。
「メルクリウス家が専属で扱っている魔石ね」
「え……そうなんですか?」
「そうよ」
イリスは顔を上げ、少し不満げに鼻を鳴らした。
「あの家、魔術師でもないくせに魔石だけはがっちり独占してるの。
私が欲しいって言っても、まず売ってくれないんだから」
一拍置いて、肩をすくめる。
「……おじい様とは懇意だったみたいで、研究用に何度か融通してもらってたらしいけど」
再び魔石へ視線を戻したイリスの表情が、次第に変わっていく。
理屈より先に、好奇心が勝った顔だ。
「……なるほどね」
声が、わずかに弾む。
「これなら、複数の刻印から流れ込む魔力を、きれいに受け流せるわ」
ルーペ越しに、魔石の内部構造を追いながら続ける。
「普通の魔石だと、刻印ごとに魔力が衝突して、不純物に引っかかる。
そのたびに出力は落ちるし、最悪――魔石そのものが割れるの」
だから、とイリスは指先で机を軽く叩いた。
「一つの魔石で複数の魔術を賄うのは、現実的じゃなかった。
お湯を生み出す程度の初級魔法ならまだしも、中級以上になると難易度は一気に跳ね上がるわ」
指を折りながら、淡々と続ける。
「じゃあ複数の魔石を使えばいいかっていうと、それも簡単じゃない。
魔石同士を刻印で繋がなきゃ意味がないし、そうすると今度は魔力のロスと遅延が増える。
結局のところ、実用にはあんまり向かないの」
そして、わずかに肩をすくめる。
「それでも無理やり一つでやろうとすれば……義手どころじゃないわね。盾みたいな大きさの魔石が必要になる。
だからこそ、私は魔石以外の素材にも目を向けてきたの。魔力の“通り”がいい素材――魔物由来のものを」
机の上に視線を落とし、指先で空に円を描く。
「たとえば、音や振動を扱う魔術なら、一般的な魔石よりも嘶き馬の声帯のほうがずっと相性がいいと思ってね。
あの魔物は、鳴き声そのものに魔力が宿っているから。性質が近い分、無理なく魔力を流せるんじゃないかって」
イリスは魔石をそっと机に置いたまま、こちらを見た。
「でも、これは違う」
声が、少しだけ弾む。
「内部が均質で、魔力の流れにほとんど歪みがない。
初級魔法なら……十の刻印を刻んでも、持つかもしれない」
唇の端を、わずかに吊り上げる。
「本人の魔力を一度この魔石に“なじませて”しまえば……歪みなく、嘘みたいに通るわ。
代わりに――所有者本人しか使えなくなるけどね」
ルーペを机に置き、イリスは小さく息をついた。
「……ミハネ」
その目には、久しぶりに迷いよりも興奮が勝っていた。
「無茶は無茶よ。でも――挑戦するだけの“材料”は、ちゃんと揃ってる」
イリスはそう言って、机の上に並んだものへと視線を落とした。
譲り受けた魔石。託された研究資料。
そして――失われた左手を抱えた、俺自身。
偶然じゃない。
誰かの意思と、選択と、喪失が積み重なって、ここに辿り着いている。
イリスは顔を上げ、いつもの少し挑むような笑みを浮かべた。
「じゃあ、始めましょうか。――世界に一つだけの義手作りを」
胸の奥で、静かに何かが動き出すのを感じながら、俺は小さく頷いた。
まだまだ拙い部分も多い作品ですが、
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いつも読んでくださり、ありがとうございます。
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