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異世界人間師  作者: 白黒 シろ
3章.傷だらけの世界で、歩き出す
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098.まだ、あなたを師匠として頼ってもいいですか?

 冒険者組合を離れ、魔術組合へと続く道を歩く。

 視線の先にそびえるのは、灰色の石を幾重にも積み上げた高い塔。

 何度も足を運んでいた建物なのに、胸の奥がわずかにすくんだ。

 理由は分かっている。それでも――足は止めなかった。


 魔術組合の受付で、エドガーからかつて渡された木札を差し出す。

「これ……まだ、使えるのか?」

 そうひとり呟きながら受付へと差し出す。

 受け取った受付の職員は、ほんの一瞬だけ動きを止めた。

 指先で木札の縁をなぞり、俺の顔をちらりと見てから、「少々お待ちください」そう言って、木札を手にしたまま受付の奥へと姿を消す。


 待つ間、周囲の空気が妙に静かだった。

 紙をめくる音も、足音も、遠くに押しやられたように感じる。

 しばらくして――戻ってきたのは、受付の職員ではなく、ロワだった。

 ロワは無言のままこちらへ歩み寄り、軽く一礼すると、「どうぞ、こちらへ」 それだけ告げて、奥へと手を差し伸べた。

「ああ……」

 短く答え、俺は後に続く。


 魔術組合の廊下は、いつもと同じように静まり返ってた。

 足音がやけに大きく響き、進むほどに空気が重くなる。

 やがて、見覚えのある扉の前で足が止まった。

 イリスの部屋だ。

「イリス様は……今、どんな様子なんだ?」

 扉から視線を逸らさずに、そう問いかける。

 ロワは一瞬だけ言葉を探すように視線を伏せ、それから、いつもより慎重な声音で答えた。

「……それは、直接お会いになってから判断していただくほうが、よろしいかと」

 含みのある言い方に、小さな緊張が走る。

 俺は一度だけ息を整え、扉へと向き直った。

 ロワが扉を開けて中へと案内してくれる。

「失礼いたします」

 ロワの声が、室内に落ちる。

 視線の先、机の向こうに――イリスがいた。


 紫の髪はきちんとまとめられ、いつも被っていた大きな帽子は椅子の背に掛けられている。

 机の上には整然と並べられた羊皮紙と、磨き上げられた刻印用の器具。

 かつての、研究に夢中で散らかっていた部屋とは違い、どこか“片付けすぎた”印象があった。

 羽根ペンを走らせていたイリスは、ロワの声に顔を上げる。

 そして――一瞬、目を見開いた。

「……あ」

 ほんの短い声。それだけで、気づいてしまう。

 驚きと、安堵と、そして……ほんのわずかな戸惑いが混じっていたことに。

「……久しぶりね、ミハネ」

 立ち上がりかけて、やめる。

 代わりに、椅子に座ったまま軽く手を振った。

 それは、以前のように無邪気な仕草ではなく、どこか距離を測るような動きだった。

「お久しぶりです、イリス師匠」

 そう呼ぶと、彼女の肩がほんの少しだけ揺れた。

 笑顔を作ろうとして、やめたようにも見える。


 ロワが一歩下がり、低く頭を下げる。

「では、私はお飲み物を用意してまいります」

 扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。

 一瞬の沈黙。

 先に破ったのは、イリスだった。


「……座って。立ち話するほど、気軽な用事じゃないでしょう?」

「はい」

 勧められるまま椅子に腰を下ろす。

 机を挟んで向かい合う形は、あの頃と同じはずなのに――妙に遠い。

 イリスは一度、深く息を吸った。

「……正直に言うわね」

 視線を逸らさず、まっすぐにこちらを見る。

「あなたが来るって聞いたとき、少し……身構えた」

「はい」

 元の天真爛漫なイリスの笑顔を知っているからこそ、今の距離感が少しだけ寂しく感じる。

「でも同時に、来てくれてよかったとも思ったわ」


 イリスは視線を机に落とし、指先で紙の端をなぞる。

「結局のところ……ね。一人で考えていても、よく分からなかったの。

 おじい様の研究資料を見て、頭では分かるのよ。理屈も、構造も、手順も。……正しいかどうかは別として、あれはおじい様の叡智の結晶だもの」

 言い切った直後、イリスは唇を噛んだ。

「私、ずっと思ってたの。魔道具は人の生活を温かくするものだって。

 湯を沸かして、灯りを灯して……。誰かの明日を、少しでも笑顔にするためのものだって」

 そこで、声がわずかに沈む。

「でも、おじい様の資料は……それをもっと大きく叶えようとしてる。街ひとつ、国ひとつを救うくらいの力があった。

 その代わりに――踏み外した」

 顔を上げる。

 笑っていない。けれど、泣いてもいない。ただ、踏ん張っている顔だった。


「ロワにも聞いたわ。私はこれからどうしたらいいのかって」

 イリスは苦笑して肩をすくめる。

「でもね、『お嬢様のお好きなように』って、そればっかりで」

「……ロワらしいですね」

「そう、ロワは、私に答えを渡さないの“決めるのは私”って、そこだけは絶対に譲らない」

「ロワは、イリス師匠の一番の味方なんだと思います。だからこそ、師匠の代わりに決めない。

 決めたあとに、何があっても支えるために」

 イリスは一瞬だけ目を丸くした。

「ミハネは、ロワとそんなに仲が良かったっけ?」

「いえ。何となくです」

 少しだけ肩をすくめた。

「口数が少ないやつほど、背中を守る」

 そこで俺は、空気を少しだけ軽くする。

 沈みっぱなしだと、また息が詰まるから。


「最近、そういう家のことで悩んでる貴族を見ましたから」

「へぇ?」

「そいつ、最終的に家のことは一度置いといて、自分の目的のために生きるって決めたんです。

 で、そばにいた侍女も……口数は多くないですけど、主のことを深く思ってる人でした」

 イリスが首を傾げる。

「……ロワみたいな?」

「ええ。まあ、その侍女は」

 少し考えてから付け足す。

「料理は完璧で、短剣の扱いが得意で、冒険者と普通にやり合えるんですけど」

 一瞬の沈黙。

 イリスが、ふふっと吹き出した。

「……そんな侍女、いるわけないじゃない」

 久しぶりに見る、気取らない笑顔だった。

 胸の奥が、少しだけほどける。


 その笑顔を見て――ちゃんと聞く。

「俺は……まだ、あなたを師匠として頼ってもいいですか?」

「当たり前でしょう」

 間を置かず、イリスはそう言った。

 あまりに即答で、逆に拍子抜けする。

「そんな顔しないでよ」

 椅子の背に身体を預け、腕を組む。

「師匠って名乗るの、そんなに軽い覚悟でやってると思ってた?」

「……いえ」

 口元を少しだけ緩める。

「だったら答えは一つよ。あなたが来る限り、私は師匠よ。逃げる気も、放り出す気もないわ」

 その言葉に、胸の奥で固まっていたものが、音もなくほどけた。

「でもね。私も、少し変わったのよ。変わらないままじゃ、いられなかった」

 視線が、机の上の刻印筆へ落ちる。

 一瞬だけ、迷いが揺れた。

「……でも」

 その筆を、イリスは手に取った。

 指に馴染ませるように、くるりと回す。

「だからって、作るのをやめるつもりはないわ。

 魔道具は、人の生活を温かくするもの。

 それを信じられなくなったら、私は本当に迷子になる」

 顔を上げる。

 その瞳には、さっきよりもはっきりとした光が戻っていた。

「だから、ミハネ」

 刻印筆を、机の上で軽く叩く。

「相談、聞かせなさい」

「……はい」

 自然と、背筋が伸びた。


まだまだ拙い部分も多い作品ですが、

ひとつでも心に残る場面があれば、ブックマークや★評価で応援していただけると励みになります。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

引き続き、どうぞよろしくお願いします。

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