098.まだ、あなたを師匠として頼ってもいいですか?
冒険者組合を離れ、魔術組合へと続く道を歩く。
視線の先にそびえるのは、灰色の石を幾重にも積み上げた高い塔。
何度も足を運んでいた建物なのに、胸の奥がわずかにすくんだ。
理由は分かっている。それでも――足は止めなかった。
魔術組合の受付で、エドガーからかつて渡された木札を差し出す。
「これ……まだ、使えるのか?」
そうひとり呟きながら受付へと差し出す。
受け取った受付の職員は、ほんの一瞬だけ動きを止めた。
指先で木札の縁をなぞり、俺の顔をちらりと見てから、「少々お待ちください」そう言って、木札を手にしたまま受付の奥へと姿を消す。
待つ間、周囲の空気が妙に静かだった。
紙をめくる音も、足音も、遠くに押しやられたように感じる。
しばらくして――戻ってきたのは、受付の職員ではなく、ロワだった。
ロワは無言のままこちらへ歩み寄り、軽く一礼すると、「どうぞ、こちらへ」 それだけ告げて、奥へと手を差し伸べた。
「ああ……」
短く答え、俺は後に続く。
魔術組合の廊下は、いつもと同じように静まり返ってた。
足音がやけに大きく響き、進むほどに空気が重くなる。
やがて、見覚えのある扉の前で足が止まった。
イリスの部屋だ。
「イリス様は……今、どんな様子なんだ?」
扉から視線を逸らさずに、そう問いかける。
ロワは一瞬だけ言葉を探すように視線を伏せ、それから、いつもより慎重な声音で答えた。
「……それは、直接お会いになってから判断していただくほうが、よろしいかと」
含みのある言い方に、小さな緊張が走る。
俺は一度だけ息を整え、扉へと向き直った。
ロワが扉を開けて中へと案内してくれる。
「失礼いたします」
ロワの声が、室内に落ちる。
視線の先、机の向こうに――イリスがいた。
紫の髪はきちんとまとめられ、いつも被っていた大きな帽子は椅子の背に掛けられている。
机の上には整然と並べられた羊皮紙と、磨き上げられた刻印用の器具。
かつての、研究に夢中で散らかっていた部屋とは違い、どこか“片付けすぎた”印象があった。
羽根ペンを走らせていたイリスは、ロワの声に顔を上げる。
そして――一瞬、目を見開いた。
「……あ」
ほんの短い声。それだけで、気づいてしまう。
驚きと、安堵と、そして……ほんのわずかな戸惑いが混じっていたことに。
「……久しぶりね、ミハネ」
立ち上がりかけて、やめる。
代わりに、椅子に座ったまま軽く手を振った。
それは、以前のように無邪気な仕草ではなく、どこか距離を測るような動きだった。
「お久しぶりです、イリス師匠」
そう呼ぶと、彼女の肩がほんの少しだけ揺れた。
笑顔を作ろうとして、やめたようにも見える。
ロワが一歩下がり、低く頭を下げる。
「では、私はお飲み物を用意してまいります」
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
一瞬の沈黙。
先に破ったのは、イリスだった。
「……座って。立ち話するほど、気軽な用事じゃないでしょう?」
「はい」
勧められるまま椅子に腰を下ろす。
机を挟んで向かい合う形は、あの頃と同じはずなのに――妙に遠い。
イリスは一度、深く息を吸った。
「……正直に言うわね」
視線を逸らさず、まっすぐにこちらを見る。
「あなたが来るって聞いたとき、少し……身構えた」
「はい」
元の天真爛漫なイリスの笑顔を知っているからこそ、今の距離感が少しだけ寂しく感じる。
「でも同時に、来てくれてよかったとも思ったわ」
イリスは視線を机に落とし、指先で紙の端をなぞる。
「結局のところ……ね。一人で考えていても、よく分からなかったの。
おじい様の研究資料を見て、頭では分かるのよ。理屈も、構造も、手順も。……正しいかどうかは別として、あれはおじい様の叡智の結晶だもの」
言い切った直後、イリスは唇を噛んだ。
「私、ずっと思ってたの。魔道具は人の生活を温かくするものだって。
湯を沸かして、灯りを灯して……。誰かの明日を、少しでも笑顔にするためのものだって」
そこで、声がわずかに沈む。
「でも、おじい様の資料は……それをもっと大きく叶えようとしてる。街ひとつ、国ひとつを救うくらいの力があった。
その代わりに――踏み外した」
顔を上げる。
笑っていない。けれど、泣いてもいない。ただ、踏ん張っている顔だった。
「ロワにも聞いたわ。私はこれからどうしたらいいのかって」
イリスは苦笑して肩をすくめる。
「でもね、『お嬢様のお好きなように』って、そればっかりで」
「……ロワらしいですね」
「そう、ロワは、私に答えを渡さないの“決めるのは私”って、そこだけは絶対に譲らない」
「ロワは、イリス師匠の一番の味方なんだと思います。だからこそ、師匠の代わりに決めない。
決めたあとに、何があっても支えるために」
イリスは一瞬だけ目を丸くした。
「ミハネは、ロワとそんなに仲が良かったっけ?」
「いえ。何となくです」
少しだけ肩をすくめた。
「口数が少ないやつほど、背中を守る」
そこで俺は、空気を少しだけ軽くする。
沈みっぱなしだと、また息が詰まるから。
「最近、そういう家のことで悩んでる貴族を見ましたから」
「へぇ?」
「そいつ、最終的に家のことは一度置いといて、自分の目的のために生きるって決めたんです。
で、そばにいた侍女も……口数は多くないですけど、主のことを深く思ってる人でした」
イリスが首を傾げる。
「……ロワみたいな?」
「ええ。まあ、その侍女は」
少し考えてから付け足す。
「料理は完璧で、短剣の扱いが得意で、冒険者と普通にやり合えるんですけど」
一瞬の沈黙。
イリスが、ふふっと吹き出した。
「……そんな侍女、いるわけないじゃない」
久しぶりに見る、気取らない笑顔だった。
胸の奥が、少しだけほどける。
その笑顔を見て――ちゃんと聞く。
「俺は……まだ、あなたを師匠として頼ってもいいですか?」
「当たり前でしょう」
間を置かず、イリスはそう言った。
あまりに即答で、逆に拍子抜けする。
「そんな顔しないでよ」
椅子の背に身体を預け、腕を組む。
「師匠って名乗るの、そんなに軽い覚悟でやってると思ってた?」
「……いえ」
口元を少しだけ緩める。
「だったら答えは一つよ。あなたが来る限り、私は師匠よ。逃げる気も、放り出す気もないわ」
その言葉に、胸の奥で固まっていたものが、音もなくほどけた。
「でもね。私も、少し変わったのよ。変わらないままじゃ、いられなかった」
視線が、机の上の刻印筆へ落ちる。
一瞬だけ、迷いが揺れた。
「……でも」
その筆を、イリスは手に取った。
指に馴染ませるように、くるりと回す。
「だからって、作るのをやめるつもりはないわ。
魔道具は、人の生活を温かくするもの。
それを信じられなくなったら、私は本当に迷子になる」
顔を上げる。
その瞳には、さっきよりもはっきりとした光が戻っていた。
「だから、ミハネ」
刻印筆を、机の上で軽く叩く。
「相談、聞かせなさい」
「……はい」
自然と、背筋が伸びた。
まだまだ拙い部分も多い作品ですが、
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いつも読んでくださり、ありがとうございます。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。




