表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界人間師  作者: 白黒 シろ
1章.初まり街、沈む影
10/18

010.修行の始まり

 鳥の鳴き声で目が覚めた。

 ぼんやりと目をこすり、深く息をつく。

 外からは人々のざわめきが徐々に近づいてくる。

 屋台を開く音、家畜の鳴き声、子どもたちの笑い声――異世界の朝は、思いのほか穏やかだった。

「……起きるか」

 寝癖のついた髪を手で押さえながら身を起こす。

 顔を洗う水は少し冷たくて、昨夜の涙の跡をすっかり流してくれた。

 鏡はないが、気分は幾分ましになった気がする。

 身支度を整え、冒険者組合へ向かう。


 ◆ 

 

 扉の前でちょうどヴァンと出くわした。

「よう、よく眠れたか?」

「まあな。……正直、まだ夢を見てるみたいだが」

「ははっ、そりゃそうだろうよ。昨日はあれだけ色々あったんだ。だが――今日からが本番だぜ」

 ヴァンの声はいつも通り力強い。

 その存在が、俺にとってどれほど心強いか――今なら素直にわかる。

「まずは腹ごしらえだな。中で食べようぜ」

 組合の扉を押して中に入ると、すでに食堂は冒険者たちで賑わっていた。

 木製の長椅子に腰かけ、パンをかじり、スープを啜りながら依頼について談笑している。

 肉と香草の混ざった匂いが空腹を刺激し、胃がきゅうと鳴った。

「おはようございます。エルヴァンさん、ミハネさん」

 受付のセリナがすれ違いざまに挨拶してきた。

「おはようございます」

「よう、セリナ」

「エルヴァンさん、お食事の後で構いませんので、受付までお願いします」

 一言残し、彼女はまた帳面へと向かっていった。

 「なんだろうな?」

「まあ……とりあえず飯だ」

 席についてパンをちぎると、ぱきりと乾いた音がした。

 香ばしい小麦の匂いが鼻をくすぐる。

 スープを口に含むと、塩気は控えめだが肉と野菜の旨味が溶け込んでいて、胃の底から温まるようだった。

 ヴァンは豪快にパンをスープへ浸してかき込みながら言った。

「どうだ? 思ったより旨いだろ」

「ああ、正直びっくりした。もっと質素なものかと」

「ここの食堂は安い上に量も出る。冒険者が腹空かせて動けなきゃ依頼どころじゃねぇからな」

 周囲を見渡せば、鎧姿の歴戦の戦士や、まだ若い新米らしい冒険者たちが、笑い声を交わしながら食事をとっている。

 昨日はただ圧倒されるばかりだったが、こうして同じ机に腰を下ろし、温かい食事を口にしていると――不思議と自分もこの場の一員になれた気がした。

 食事を終えると、ヴァンとともにセリナのもとへ向かう。

「待たせたな、セリナ」

「いえ、大丈夫ですよ。では、早速ですが――エルヴァンさんに指名依頼が届いています」

「……指名依頼?」

 思わず聞き返してしまう。

「通常の依頼とは違い、依頼主が冒険者を名指しで指名してくる案件です。難易度が高いことも多いですが、そのぶん報酬も大きいんです」

 受付嬢セリナの説明する声には、どこか張り詰めた響きがあった。

「俺は“鳳紋”の冒険者だからな。指名依頼は結構来るんだぜ」

 ヴァンは紙を受け取り、ざっと目を通すと鼻を鳴らした。

「……なるほど。森の奥に出没している“人型の魔獣”の討伐か。最近は被害が増えているらしい」

「人型の……魔獣?」

 思わず問い返す。人の形を持つ魔物など、滅多に聞くことがない。

 「噂じゃ夜にだけ現れるらしい。動きは鈍重だが、村人を攫っては森の奥へ連れ去っているとか……。

 森の奥深くまで探索するとなると、数日はかかるな」

 そう言って紙を丸め、腰袋に差し込むと、ヴァンは俺へ視線を向けた。

「で、ミハネ。お前はどうする?」

 俺は拳を握りしめ、小さく首を振る。

「……さすがに今の実力でついていっても足手まといになるだけだ。一人で修行しておくよ」

「よし、分かった。朝飯を食ったばかりだし、準備もある。それまでに……修行の内容を決めておこう」


 ◆

 

 そうして俺は、冒険者組合の裏手に広がる訓練場へと連れて行かれた。

 そこには木人形や丸太、岩が並び、すでに数人の冒険者が汗を流している。

 剣を振る音、気合いの声、立ちのぼる熱気――空気そのものが鍛錬の場であることを告げていた。

「さあ、ミハネ。今日からお前の体を徹底的に叩き直す。まずは走り込みだ」

「やっぱり走り込みか……」

「いや、それだけじゃない。魔力で身体強化しながら走れ。基礎体力と同時に、身体強化の感覚も鍛えていくんだ。普段の生活でも常に身体強化を意識しておけ」

「なるほど……その後は?」

「武器を使って俺と打ち合う。剣術から槍術、双剣術、弓術……一通り教えていく」

「一つに絞ったほうが効率がいいんじゃないか?」

「それもいいが、お前の適性はまだ分からねぇ。まずは全部、それなりに扱えるようにしてからだ」

「わかった」

「で、その後は魔術組合に行って魔術の勉強でもして来い。エドガー――あの貴族とのつながりは、何より貴重だからな」


 「……はぁ、はぁ……きつ……」

 身体強化を意識して走ると、最初は驚くほど体が軽く感じられた。

 だが、それもほんの数分だけだった。

 走りを重ねるうちに疲労がのしかかり、強化の維持はどんどんおぼつかなくなる。

 膝に手をつきそうになった瞬間、背後から悠々とした足音が迫ってきた。

「おい、歩くな。走れ」

「む、無茶言うなよ……!」

「誰も一気に走り切れとは言ってねぇ。走って止まって、また走って――それを繰り返せ。大事なのは続けることだ」

 ヴァンはそう言って俺の背中を軽く叩いた。

 それは“軽く”のはずなのに、肺の奥まで震えるような衝撃で、思わず息が詰まった。

 だが、不思議と胸の奥が少しだけ軽くなる。

 

 結局、一時間以上かけてようやく走り切った。

 汗で全身はぐっしょり、足も棒のようだ。

 それでもヴァンは口元をゆがめ、にやりと笑った。

「よし、初日にしちゃ上出来だ。思ったより身体強化を維持できてるじゃねぇか」

「そ、そうなのか……?」

「ああ。普通は数分ももたねぇ。だがな、全身を一気に強化するのは効率が悪い。踏み込むときは足元、切りかかるときは腕……そうやって部分ごとに強化すりゃ時間も伸びるし、力も無駄にしなくて済む」

「なるほど……」

「まあ、こんなことを意識してやってるのは上の等級のやつくらいだ。他の冒険者は力任せで終わりだな」

 そう言うとヴァンは歩き出し、俺を訓練場へと戻した。

 そこで木剣を一本、俺に放り投げる。

「さて、次は武器だ。剣を握って構えてみろ」

「こ、こうか?」

「違う。肘が浮いてる、腰が引けてる。ほら――こうだ」

 ヴァンは俺の腕を掴み、重心の置き方を直した。

 ほんの数センチ変えるだけで、剣を構える姿勢が別物のように安定する。

 しかし――。

「うおっ……!」

「甘ぇ! 次!」

 いざ打ち合いとなれば、俺の剣は空を切り、ヴァンの木剣にあっさり弾かれるばかりだった。

 容赦なく打ち込まれる木剣を必死で受け止めるが、衝撃で何度も尻もちをつき、手のひらには赤い痣が浮かび始めていた。

「はぁ……ぜんぜん歯が立たない……」

「当たり前だ。今日始めたばかりで勝てるわけがねぇ。だがな――体が覚えるまで叩き込むんだ。それが修行ってもんだ」

 苛烈な口調の奥に、確かな信頼がにじんでいた。

 俺は唇を噛み、木剣を握り直す。

 何度倒されても立ち上がり、木剣を振り続けた。

 息は荒く、全身が汗で張り付く。

 それでも、木剣を握る手だけは絶対に離さなかった。

「……よし、今日はこのくらいでいいだろう」

 ヴァンが木剣を肩に担ぎながら言った。

「剣は一番メジャーな武器だが、お前の手にはまだ馴染んでねぇな。だが、形だけは悪くねぇ。すぐに物になる」

「はぁ、はぁ……そう、か……」

 全身が鉛のように重く、答えるのもやっとだ。

 しかしヴァンは待ってはくれない。

「次だ。槍を握ってみろ」

 手渡されたのは長柄の木槍。

 剣よりも重く、扱いづらそうだ。

 構えてみると、その重心が遠くにあるぶん、動かすだけで体勢が崩れそうになる。

「槍はリーチがある。間合いを支配するのが強みだ。ほら、突け!」

「お、おおっ!」

 言われるままに突きを繰り出すと、槍の先が空を切り、わずかに遅れて身体がついてくる。

 案の定、踏み込みが甘くてバランスを崩した。

「足が止まってる。もっと腰を入れろ!」

「くっ……!」

 何度も突きを繰り返すうち、腕だけでなく背筋や足の筋肉までもが悲鳴を上げる。

 ようやく十数回ほど続けたところで、ヴァンが手を上げた。

「よし、もういい。お前の体格なら槍も悪くねぇ。剣よりも伸び代があるかもしれんな」

「そ、そうなのか……?」

「ああ。だが判断はまだ早い。次は弓だ」

 今度は木製の弓と矢を手渡された。

 引き絞ろうとした瞬間――。

「うっ……! 重っ……!」

 弦の張力が想像以上で、全力で引いても半分しか引けない。

 腕が震え、矢先は定まらない。

 放った矢は、虚しく地面に突き刺さった。

「ははっ、まだ素の腕力が足りねぇな。弓は一番時間がかかる。だが狩りや戦場では役に立つし、習得して損はねぇ」

 ヴァンは楽しげに笑って、俺の肩を軽く叩いた。

 その後も短剣や双剣を試し、一通りの武器を手に取った。

 どれも未熟で、まともに形になったものはなかった。

 だが、ヴァンは最後に腕を組んで言った。

「……ふむ。剣は普通、槍は適性がある。弓は筋力不足。双剣は器用さ次第だな。だが――お前は素直に学ぶし、諦めねぇ。それが一番大事だ」

 汗で前髪が張り付く中、俺は必死に呼吸を整えながらうなずいた。

 身体はボロボロだが、不思議と心は折れていなかった。

 むしろ、熱く燃えていた。

「今日はこれで終いだ。明日からは俺は指名依頼で数日居ない、今日学んだことを反復練習しておきな」

「……ああ、わかった」

 訓練場を後にしたときには、もう足が棒のようだった。

 それでも胸の奥には、小さな達成感が芽生えていた。

 ――異世界での修行は、こうして始まったのだ。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ