余命宣告を受けるまで
母は11年前に乳がんを患った。
脇下のリンパまで転移していて
しかも進行速度の早いものだった。
手術、抗がん剤、放射線療法。
副作用に苦しみながらも
仕事復帰できるほど元気になり
完治と言ってよかった。
10年が経ちもう安心だね!
と言っていた矢先の再発だった。
ステージ1乳房全摘出、抗がん剤
またも副作用に苦しんだ。
私は有給の全てを母の通院と看病に使った。
約10ヶ月、治療が終わった。
3月から復職する予定だった。
ところが1月半ば頃から胃が痛いと言い始めた。
世間はちょうどコロナ期
まだ蔓延防止対策などがある頃で
抗がん剤の影響で免疫力が低下している母は
人が集まる病院へ行くことを嫌がった。
そして2月22日病院を受診した母が言ったのが
上記の言葉だった。
その病院の医師からは早めに
がん治療していた病院受診を勧められたらしい。
副作用に苦しんだ抗がん剤は効いていなかったのだ。
治療していた病院というのは
以前兄が務めていた病院だった。
実家からは行くのに2時間かかる場所にある。
1番早く予約がとれた
3月9日、検査と痛み緩和ケアのため受診した。
兄は私たちが検査結果を聞く前日に
主治医と話をしていたようだ。
検査結果を聞きに行く前日。
実家で朝食を取っているときだった。
母の電話がなった。兄だ。
「おはよう。調子どう?」
母の携帯から兄の声が漏れ聞こえる。
「お母さん、明日の血液検査の結果次第ではあるけど
治療法がもう無いかもしれない。」
母が何か言っていた。
耐えられなかった。
再発して1年、初めて母の前で泣いた。
いつの間にか電話は終わって
母が私に慰めの言葉をかける。
辛いのは母の方だ。慰めるのは私のすべきことだ。
「大丈夫!明日にならないとわかんないもんね!
仕事行ってくるね!ご馳走様!」
仕事に向かう車の中でも
仕事中も気を抜けば勝手に涙は溢れてきた。