ゾンビ・ブライト 9
帰りの馬車に揺られながら、トクローは考えていた。自分に出来ることは無いのか、他に手立てが無いのか。
王子も全く信じないにしろ、警戒ぐらいはしてくれるといいのだが……
「ルルシア、昔の殿下は優しかったって言ってたけど、どういう感じの人だったの?」
「そうねぇ。虫も殺せないような人だったわ。背中に着いた芋虫が取れなくて泣いて、従者が取ろうとしたら「やさしくね!やさしくね!この子は悪くないから!」って。ふふ、可愛らしいでしょう?」
激高して刀剣を手に取った人とは思えない。
ルルシアは、穏やかな顔で過去を思い出す。
「小さい頃、ダンスの時にね。私、転んでしまったことがあるの。泣きそうになる私の両頬をそっと両手で包んで、額にキスしてくれたわ。「痛いところはない?」って言いながら。
それから、二人で最後まで踊って……終わったあと、クッキーを下さったの。あの人の大好きなお菓子よ。ちょっと前まで独り占めしていたのに、「頑張ったルルシアになら特別だよ」って分けてくださったの」
「それは、可愛いね」
「でしょう?」
彼女の大切な思い出を語る表情は、血が通っているように見えた。ゾンビであるのに、生き生きとしている。
一人の恋する乙女は、幸せそうに幼い日々を語った。トクローは、その表情をいつまでも見ていたいと思った。
「トクロー、見すぎよ」
「えっ、あっ、ごめん」
「どうしたの? 私の語り口にあなたまで殿下に惹かれてしまったのかしら? やぁね、冗談よ」
「どちらかと言うと、君があまりにも楽しそうに話すから、私まで楽しくなってしまったのかもね」
「なぁにそれ」
くすくす笑うルルシアは、不意に視線を落とした。長いまつ毛が頬に影を落とす。
「ねえ旦那様。シスターから聞いたわ。どうして私を庇ってくださったの?」
「……友達を馬鹿にされて、黙っていられなくなったんだ」
「友達? 私とあなたが?」
「夫婦ってより、友達って感じだから、私達は」
「ふふ、友達ね。良いんじゃない? 素敵ね」
少しつっけんどんだが、茶目っ気があって、冗談を言うのが好きなルルシアは、トクローにとって妻というより友人である。
「私みたいな良い友達が出来て良かったわね?」
「そうだね。……君みたいな素晴らしい人を選ばない殿下は、勿体ない人だと思うよ」
「そうね。勿体ないわね! ふふ、」
「会ってみたいよ、ミリアって人に。そうしたら、更に君がどんなに素晴らしい人か分かるのに」
「それよトクロー、」
「え?」
「トクロー! あなた冴えてるわ!それよ!そうよ!ミリアに会って、殿下の毒味役を頼めばいいのよ!」
「ええっ?!」とトクローは声を上げた。ルルシアは、意気揚々と運転手に「戻って!王都へ引き返して!」と叫ぶ。
「ちょっと待って! なんて?」
「だから! ミリアが殿下を見張れば良いのよ! 名案だわ! それをお願いしに行きましょう! あの子が誰より殿下を愛しているのなら、毒味役だってなんだって引き受けるはずよ!」
「毒味役をさせるのは可哀想では?!」
「喜んでやるはずよ?」
「どうかなぁ!」
だが、常に一緒に居るらしいミリアに頼んで、用心するように王子に言ってもらうのは名案なような気がした。
「毒味役を頼むじゃなくて、用心するように頼むってことで……会えるかな?」
「会えるわ。教会に取り継がせるもの。エレシュキガル教の者が会いたいと言って拒む人間は居ないわ。生死に関わるのよ」
トクローは、硬い椅子に座り直す。そして、溜息を吐いた。王子に会うとき位緊張している。
「今回は煽らないで頂戴。ちゃあんとお願いするのよ」
「煽らないけどさ……」
「けど、何?」
「君は言いたいことあるんじゃないの?」
「あるに決まってるでしょう。でも、私が行ったら喧嘩になるもの」
「そりゃそうか」
馬車がUターンして王都へ戻っていく。まだ出発して三十分位だから、またその位で帰れるだろう。
ルルシアは嬉しそうにウキウキとしている。王子の運命を変えることが出来るかもしれないからだ。
「あの女に頼み事をするのは、ちゃっと気に食わないけれど、何もしないよりマシよね。私の婚約者を奪ったのだから、命を守るぐらいのことさせなくちゃ」
光明が見えたらしいルルシアは、キラキラとした表情で窓の外を見た。トクローは荷が重いと思いながらまた溜息を吐く。
「あ、」
「うおっ、」
興奮しすぎたらしい。ルルシアの両眼が眼孔から零れ落ちた。いきなりのグロテスクな光景に思わず声を上げる。
ルルシアは、いそいそと両眼をはめ直して、恥ずかしそうに下を向いた。
「見たわね」と恨めしそうな声すら出している。トクローは、即座に謝るが、彼女は拗ねたように頬を膨らませた。
「仕方ないじゃない。ゾンビなんだから」
「そうだね、仕方ないね。ごめんね」
「なあにその小さな子をあやすような言い方」
「ごめんって!」
ポコ、とルルシアの柔い拳がトクローの肩に当たった。痛くは無い。
「君、結構手が出るタイプ?」
「加減してるから良いでしょ」
「そういうの、私の世界ではDVって言うんだよ」
「でぃーぶい」
暴力ヒロインは今更流行らない。
トクローは、やれやれと肩を竦めた。それが気に食わなかったらしいルルシアがまた頬を膨らませた。
二人は王都へ戻るまでの間、戯らけるようにしていた。
教会に戻った時、トクローは、疲れ果てた顔のルルシアを空いていた墓地を借りて埋めてやり、自分も就寝する。シスターは、そんな2人をみて、「子供みたいですね」と呟いた。