ゾンビ・ブライト 1
ルルシア・ソフィアリは、名家のお嬢様だった。しかし、とある平民の女性との恋の小競り合いに敗れ、悪名を着せられて辺境の村へ追放された挙句、そこで一人命を絶った。
太陽が燦々と輝く中、鍬を振り下ろし続ける。手に出来た肉刺が潰れて痛かった。だが、それでも彼は屁っ放り腰で間抜けに働き続けている。
彼が日本からこの世界に来て二週間が過ぎようとしていた。初めこそ戸惑っていたが、今ではもう半ば諦めて、こうして世話になっている家族の手伝いに没頭していた。そうでもしないと、不安に襲われるからである。
彼の名前はトクロー。もとは、日本の片田舎で葬儀屋に勤めていた男である。彼は、ある日の仕事終わり、家の近くの道路で、血のように赤い花を拾った。その直後。彼は、突如として眩暈に襲われ、気が付いたら見知らぬ草原に立っていた。手には赤い花を握って。あとは、何も持っていない状態で。
半狂乱になりながら彷徨っていたところを、老夫婦に保護されたのである。
優しい老夫婦は、赤い花しか持っていない怪しいトクローを何も言わずに受け入れ、優しく接してくれた。衣食住を与え、世話を焼いてくれた。この恩に報いるために、率先して手伝いを行なっているのであった。
「トクロー。そろそろ家に帰る時間だ。道具をまとめよう」
「はい。おじさん」
荷を纏めて、帰路に着く。その道中、トクローに老父は言った。
「君にお願いがあるんだが、良いだろうか」
やけに神妙な顔つきだった。トクローは少し不思議に思ったが、世話になっている手前、断るつもりもない。すぐに「私にできることなら、なんでもしますよ」と返事を返した。それに老父は満足げに笑う。
「そう言ってもらえてありがたい。断られたら、村を出ていって貰うところだったよ」
「またまたご冗談を……冗談ですよね?」
「はっはっは」
「まあ。断る理由も特にないですけど」
「じゃあ明日の農作業は無しだ。準備をしなくちゃだから」
家に帰り、「受けてくれるって」と奥さんに報告すると、奥さんは「まあ断れませんけどね」と笑って言った。それに首を傾げたが、まあまた手伝いか何かだろうと特に気にせず、夕飯の支度も手伝い始める。今日の夕飯は、豆のスープと硬いパンだった。普段ならお世辞にも美味いとは言えないのだが、慣れない農作業で体を動かし、お腹を空かせたトクローには、ご馳走だった。美味い美味いと食べていると「明日はもっとご馳走よ」と奥さんが笑う。狩猟でも上手くいったのだろうか。
前にご近所さんが持ってきたモンスターの肉は美味かった。この世界はあんな生き物が生息しているのかと興奮し、自分が最近よく聞く異世界転移をしたのだとやっと理解したのもあの時だ。
以前休憩がてら、この世界のことを知るために散歩に出かけたら、牧場のような場所で二足歩行のホルスタインを見つけた。
ここの牛はこんな感じなのかと驚き、食い入るように見ていたら、そこの主人にとれたての牛乳をご馳走になった。濃い味の美味しい牛乳だった。あれをバターやチーズ、ヨーグルトに加工したら美味しいのだろうなと思った。
また、草原にはブヨブヨのゲルのような生き物を見つけた。スライムである。それも飼っている人がいるらしい。聞くと加工してジャムや薬にするのだとか。薬草をたくさん食べさせて育てたスライムは、良い薬になるのだと教えてもらった。その上、お試しにと痛む手のひらにその薬を塗ってもらえた。
ここの村の人間は、皆よそ者であるトクローに優しい。滞在していた二週間、彼らの優しさのおかげで苦も無く異世界でも過ごせている。
トクローは、困ったときはお互い様だと笑う朗らかな彼らの為に、自分もたくさん貰った恩を返そうと誓った。
彼は、日本にいた時、多忙な日々を過ごしていた。真夜中でもお客様から連絡があれば、搬送車を運転して遠くの病院まで遺体を迎えに行き、そのまま深夜まで打ち合わせなどを行う。家に帰れるのは日が昇る頃で、数時間も経たないうちに、出社してまたお客様の家に葬儀の打ち合わせに行ったりする。人手が足りないため、仕方ないのだが、休まる暇がない日がそこそこあった。
だが、今は農村でのスローライフを満喫している。農家の仕事は、前の仕事とは比べ物にならないぐらい大変ではあったが、夜中に電話で起こされることはない。遺族に怒りをぶつけられることもない。自分の天職はこちらだったのではないかと思ったほどである。
だがまあ。前の仕事は仕事でやりがいもあった。誇りもあった。戻りたくないわけではない。なんだかんだ言って、葬儀屋という仕事は好きだったから、未練がないわけではなかった。日本に戻りたい気持ちもある。今まであった便利な文明は捨てることができないし。
しかし、今はこの村で楽しく生きていきたい気持ちだった。