5.聖女にとっての選択肢
「……モイ???」
ピィ、と。モイのいた場所に浮遊する〝聖典〟が困ったような音で返事をした。可愛い小梟の姿をしたモイはどこにもいない。
「うわ……うわうわうわうわうわ!?モイ?!モイ!なんでっ……!」
聖典が目の前にぷかぷか浮いている。それ自体は大して変なことじゃない。魔法関連の道具が浮遊したり光ることは今までも何度か目にしてきた。ただ問題は目の前にあるのが伝説の聖典で、どういうわけか私の召喚魔のモイの姿だということだ。
過去に戻っているなら今は聖典も亡都神殿に封じられている筈だし、モイは変身術なんか使えない。それなのにピィピィと返事こそしてくれるものの私の目の位置まで降りてきたのはどうみても聖典だった。
恐る恐る震える手でモイ……聖典に触れ、掴む。途端に本が勝手に開かれ、教皇様に触れさせられた時と同じように文字が浮き出した。何かこの状況の説明でも書いてあればと覗けば、びっしりと書かれたのは古代文字だ。全く読めない。
「あの、モイ無事……?痛くない??」
ピィ!とちょっと元気過ぎるくらい元気な声が返ってきた。
声を抑えてと口を閉じたくても今のモイの口がどこかもわからない。ぺり、ぺりとモイが痛くないように一枚一枚めくるけど、どれも古代文字ばかりで全く読めない。最後までめくって裏表紙までいって本を閉じると、そこでモイがまた可愛い白梟の姿に戻った。
良かったと思うのも束の間に、今度こそ風魔法をやってみせようとしてくれたモイは再び聖典の姿に変わってしまう。……どうやら、モイは魔法は使えず聖典になることしかできなくなってしまったらしい。完全にモイと聖典が融合してる。
聖典になったモイに、今度は開く前に鑑定魔法を試す。以前は聖典を入手しても鑑定なんてしようとすら思わなかった。けど、もともと神聖魔法の使い手に反応する聖典だと教皇様が言ってたし、効果の可能性は高い。あまりにも訳の分からないことばかりで少し冷静になってきた。
「…………魔力増幅と……、……。……だけ??」
首を傾げても、モイが軽く返事をするだけだった。
魔力の増幅。聖典の使用効果として私が鑑定できたのはそれだけだ。魔力増幅の効果自体は絶大で、既存する魔道具とは桁が違う。底なしと呼べる魔力を使用できるから、つまりはどんな魔法を使っても魔力枯渇に怯える心配はない。
だけど、それだけだ。時を操るとも、願いを叶える効果も何も見当たらない。
鑑定中に閉じた本の中が何度か光ったから開いてみれば、古代文字の並びが変わっていたから書面に他の解析結果がでているのかもしれない。ただ、読めない私にはどう変わろうと何も意味がない。
「神聖魔法しか使えない私じゃ、いくら増幅されてもあんまりなぁ……」
旅の道中、他の魔法もラウナに教わり……たかったけれど、結局一度もお願いできなかった。
小さい頃から教皇様に言われていた通り、神聖魔法の魔導書の全習得を最優先にしないといけなかったのに、他の魔法をなんてお願いできるわけがない。ただでさえみんな、役立たずの私と違って忙しかった。
聖典に辿り着いた時点で神聖魔法は全部習得こそした私だけど、展開できても高位の更に上をいく「最高位」や「神域」魔法は魔力が足りなくてすぐに切れちゃったり途中で倒れちゃうばかりだった。あまりに倒れすぎて迷惑かけて仲間に「もう使うな!」ってすっごく怒られたこともある。
つまり、モイのお陰でこれからはそれも使えるよということだけど、……結局はただの神聖魔法だけだ。ラウナみたいな魔法が使えるわけじゃない。
「でもやっぱり、時間が戻った原因は聖典しか考えられないし……それに、多分……」
たぶん。……その続きは、意識的に口を閉じて飲み込んだ。
時間を戻す魔法なんて、あのラウナだって知らなかった。けれどこうして現実になっている以上、残す可能性は聖典だけだ。
それに、巻き戻った時間がこの日なのも聖典の力でなら説明できてしまう。多分、ほんとに多分で確証はあまりないけれど、たぶん。……私が、聖典を使った。
「………………」
怖くて、曲げていた膝をぎゅっと自分の胸に引き寄せる。開かれない聖典は、今度はモイが自分の意思で元の姿に戻した。
記憶はない、本当にない。教皇様の話を聞いて目の前が真っ暗になった後のことは思い出せない。だけど、私だけ過去に戻った認識があるのも聖典を使って何かしらの力を発動させた術者だからと言えば、納得できる。モイが聖典になったのもだ。
モイはただの可愛い梟じゃなくて私の魔力を共有している召喚魔だ。
時間を巻き戻すなんて大規模魔法の衝撃で、魔力の固まりの聖典と私の魔力から生まれた召喚魔のモイが融合しちゃった。どっちも所有者も使用者も、影響させてる魔力も私のものだったなら充分有り得る話だ。
似たような事例にも覚えがある。そして何より、時間がただ戻るだけじゃなくこの日なのは、私の願望だったといえばそれ以外ない。
「モイ〜ごめんねこんなことに巻き込んで…!せっかく風魔法羨ましいくらいたくさんを覚えたのに聖典だけになっちゃうなんて……!絶対モイのことは今度こそ死んでも守るからね」
つんつんと嘴で私を突くモイを抱きしめながら謝る。ぐずぐずと泣いて謝ることくらいしか私にはできない。モイと聖典の分離は、私の知る限りほぼ不可能だ。
そして聖典と融合しちゃったなんて絶対隠し通さないといけない。何年も旅をしないと手に入らなかった場所に封じられていた伝説の聖典がモイだなんて知られたら、教皇様だけじゃない世界中の人にモイが狙われる。罪もないモイを大聖堂の地下に幽閉なんて絶っっ対できないし、聖典の力が一個人に渡ったら本当に侵略や戦争だっておきかねない。私みたいな神聖魔法にしか能がない人ならまだしも、たとえばラウナみたいな有能な魔導師が悪用したら本当に世界を滅ぼしてしまう。
何より、私の大事なモイが誰かに利用されるなんて絶対に許さない。
「とにかくモイ、私が良いって言うまで聖典になるのやめてね。辛いけど魔法使うの自体も我慢してね?!うっかり聖典になっちゃうから!」
懇願する私に、ぴぃ!ぴぃ!と心強い返事をしてくれる。
モイは私の言うことはきちんと聞いてくれるし良い子だし聞き分け良いし本当に羨ましいくらい良い子だよ。
ありがとうありがとうごめんねと、何度も繰り返してモイの頭を撫でる。今のところモイの意思でしか聖典の姿にならないなら、モイが魔法を使わなければ良い。
もう旅の目的である聖典があるんだから別にモイだって強くなる必要ない!モイはモイで生きてくれているだけで私は充分嬉しいし召喚魔に戦わないといけないなんて禁忌も規則も存在しない。人の言葉を理解できて空飛べて可愛いだけで充分正義だ。これからはー……、……これからは。
「どうしよう……」
モイを抱きしめながら、また一番大事な問題に突き当たる。召喚魔特有のモフモフとした毛並みに安心感を貰いながら考える。
ここでもし私が旅を拒絶すれば、……多分また神官とか別の神聖魔法の使い手がどこからか引っ張り出される。聖典の在処を探す為に結局ニーロ達が任命されるかもしれない。私一人が嫌だって言っても、教皇様の〝来たる脅威〟と皇帝陛下の御意志が強い以上、きっと聖典の捜索は任命される。
私なんかがなにを言っても証拠はないし信じてもらえるわけもない。ニーロもラウナも有りもしない聖典を探して危険な旅を何年も続けないといけない。
「やだ………」
途端に、身体が震え出す。モイごと自分を抱きしめながら首を横に振る。いやだ、また仲間が死んじゃうなんて。
世界の為にもならない無意味な旅で、あんなに優しい人達が犠牲になるなんてもう耐えられない。役立たずで迷惑ばかりかけた私を、ずっとずっと守ってくれた人達なのに。
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……』
ずっと、謝ってばかりだった。長い長い聖典の旅で、仲間達と違って私は弱くて役立たずでお荷物で、口を開くと謝ってばかりでまた皆を苛々させて。大事な場面でも足を引っ張るばかりで役立てなくて。
ずっと自分の足で生きて来た仲間達と違って、私は教会に拾われてからずっと神聖魔法以外何も取り柄がなかった。
『良い子だね聖女』
〝良い子〟でいることしかできなかった。
当時は嬉しくて唯一認めて貰えたような気がした教皇様からの言葉が、今思い出すとただ怖じ気が走る。ずっと、教皇様の良い子でいれば正しいと思えたのに全部嘘だった。
良い子はすごく簡単で、寂しかった。言われたとおりにすれば良いだけの代わりに、気が付けばただのつまらない子どものままだった。
聖典の旅でも良い子でいたかったのに、迷惑掛けて足を引っ張っちゃって、口を開けば余計なことを言って怒らせてしまう。言葉を選ぼうとすれば意見も言えなくてもっと苛つかせてしまった。
本当に最後の最後まで、迷惑をかけるだけのお荷物だった。
それなのに、こんな私を仲間達は見捨てないでいてくれた。「しょうがねぇな」「仕方ないわね」と何度でも手を差し伸べて助けてくれて、……優しくしてくれた。
私なんて聖典の封印を解く時しか役に立てないのに。それでも「行くわよ」って呼んで「怪我ないか」っていつも心配してくれた。何度迷惑かけても上手く喋れなくてもドジしても苛つかせても、最後には見捨てず振り返ってくれた。
〝良い子〟でいられなくなった私に手を差し伸べ続けてくれる皆は、いつしか私の神様だった。
私だけじゃない、旅の中で助けられた人達全員にとって仲間達は神様だった。
困っている人を見捨てないで、時には裏切られても許してまた助ける皆はいつだって恰好良くて輝いていた。英雄とか勇者とか救世主とか旅で呼ばれたのも全部仲間達に助けられた人達がそう呼んだからだ。
そんな仲間達を、また同じ運命になんて絶対許さない。教皇様なんかよりずっと世界に必要で、私なんかよりずっと平和な世界を享受すべき人達なんだから。………だから
「…………私だけ聖典の、旅に」
ピィピィとモイが心配してくれる中、最後に辿り着いた結論はきっと一番私に正しい。
今度こそ、巻き込まない。聖典になっちゃったモイだけで充分だ。
みんな聖典の旅なんかしたくなくって、それでも世界を救う為に仕方なく同行してくれていた。なら、今度は誰も旅に連れていかなければ良い。神聖魔法の使い手である〝聖女〟さえ旅に出れば、それで皇帝陛下への面目も保たれる。
モイと二人で表向きは〝聖典の旅〟ということにして自由気ままに旅をしよう。せっかくだし聖典の旅中にニーロ達が助けた人達もなるべく助けられる旅をしよう。同じ旅順で、同じ場所で同じ人に伝承や情報を集めて聞けば、きっと同じ道順も思い出せる。
助けを求める人達に、神聖魔法でできることは小さいだろうけれど、最悪の場合は転移魔法で皇帝陛下に直接救援を求めよう。神聖魔法で戦うことはできなくても、人間や獣相手に逃げるくらいはできる。
私の大好きな人達が何事もない平和な日々を過ごして生きてくれれば、それで良い。教皇様も、聖典も、仲間達の足を引っ張る旅も私は要らない。
残る問題はアクセルだと。……そう考えた時、なんだか外が騒がしくなってきたことに気付いた。モイを抱き締めながら息抑えて扉の向こうのバタバタとした気配に
「魔物だーーー!!」
…………は?