40.聖女にとっての正解。
「二人とも!!!試合終わったよ?!!」
うわーびっくりしたーびっくりしたびっくりしたびっくりしたあああああ!!
もう、会場に飛び込んだ時点で心臓がバクバクと酷く煩かった。勝敗が決まったにも関わらず今も殴り合いを続けるニーロとアクセルに、堪らず駆け寄る。試合の決着が付くまでは邪魔しちゃいけないとわかってずっと見ていたけれど、もう勝敗決まったら同行者が駆け寄るのも問題はない。相手に危害を加えるのは禁止だけど、倒れた選手を連れて行ったり応急処置に魔法だって許される。そう、勝敗さえ決まれば!!!
大声をあげた私に今気が付いたかのように振り返る二人の姿に、もうそれだけで泣きたくなった。こうなるとわかったから二人での試合は嫌だったのに!!!
目の前まで駆け寄っても変わらず臨戦態勢でニーロの両手を掴んでいるアクセルにまずは声を張る。綺麗な顔が鼻血で汚れているし、目もがっつり魔眼で赤黒になってるだけじゃなくニーロと掴み合っている手からは今もボタボタと血が滴っていた。ニーロに短剣で斬りつけられたままだ。
アクセルも回復魔法は使えるけど、大会ルールもそこはちゃんと守ってた。
「アクッ……ニッニメトン!召喚魔法は駄目だって言ったじゃないですか!しかもあんな大きいの!!ニーロどころか会場全員下敷きにするところでしたよ?!」
「あ゛ーーーーやっぱ召喚解除したのお前だな?雑魚聖女が急に解除魔法使いやがって何が起きたかと思ったじゃねぇか」
「何が起きたかと思った」は絶対観衆の人達の台詞だよ?!!アクセルがあの大きさの召喚魔飛び出したらそれこそ〝来たる脅威〟だよ!!
回復魔法をアクセルにかける前に、その腕をニーロから離すようにと引っ張る。けれど私の力じゃ全然アクセルの腕もビクともしなくて、全体重をかけてつり下がっても駄目だった。このまま回復魔法かけたら傷が開いたままアクセルの手のひらに痕が残らないか心配になる。
アクセルとニーロが両手で取っ組み合うのは聖典の旅中も結構な頻度で、もう喧嘩のお約束と言えるくらいだった。
ニーロは両手足がすばしっこいからどちらかだけでも塞がないとすぐにどっかに逃げちゃうし近距離が得意であると同時に、近距離で捕まえないとニーロに反撃することはアクセルの弓でも難しい。
そしてアクセルの腕力を知ったニーロも、剣闘士の意地なのかアクセルに腕力でも勝ちたかったらしくて自分から腕で掴み合っていた。半魔のアクセル相手に腕力で挑むニーロとすばしっこいニーロの難敵さを知っているからこそ一度捕まえたらもう逃がそうとしないアクセルの意地の張り合いとも言える。少なくともラウナはそう言っていた。
「ッニーロも!!ニーロ優勝だよ!!鼻から血ボタボタすごいしやめよう?!大体なんでニーロが飛び入り参加しているの?びっくりしたよ!?」
「いやだってお前がコイツに利用されてんじゃねぇかとか、本当に旅に連れて行って良いやつか確かめねぇと安心できねぇだろ……」
それは大会に飛び入りしなくてもできるよね?!しかも今は私がアクセルに無理言って利用しちゃった側だよ?!!
いつも通りの調子で話してくれるニーロが嬉しくてつい言い返せない。ニーロの方が仕方なさそうに手を下ろしてくれればアクセルも同時に手を離してくれた。アクセルの返り血でべったり濡れた手で頭を掻いて困り顔をするニーロに、これ以上強くも言う気も折られてしまう。心配してくれたのは嬉しいよ??!
勿論、アクセルが私を利用……もあながち否定しにくい。だって聖典の旅の時は、アクセルは伝説の聖典見たさで私達の旅に同行してくれるようになったくらいだし、今も結局は伝説の聖典を狙っている。旅に連れて行っちゃ駄目なのも正しい。私だってアクセルを旅に巻き込みたくない。
でもだからってニーロがこんなボロボロになって大会で身体を張る理由にはならない。アクセルと違ってまだ鼻から血を溢し続けているニーロは、ついさっきまで三度も地面に叩きつけられた後だ。
「心配させたのはごめんね!でも、だからってニーロが怪我しちゃうのは嫌だよ」
「べつに……。……怪我はいつものことだろ」
昔からだめだめだった私がニーロを心配させちゃったのは私が悪い。でもその為にアクセルとあそこまで戦闘を続けることはなかったのにと思う。剣闘士として自分の試合で負けたくなかった気持ちもニーロらしくて格好良いと思うけど、私が利用されているとか危険な聖典の旅に耐えられるくらいアクセルが強いかとか、そんなの試合以外でも確かめられる。まずアクセルが反則負けした時点で、その後の蹴り合い取っ組み合いは必要なかった。
血が止まらないニーロから、回復魔法をかける。二人くらいなら直接触れる方が治癒も早い。
鼻血も止まったニーロは、鼻血のあとを手の甲で擦りながら回復魔法のお礼を言ってくれた。続けてアクセルの手を取ろうとしたら「自分で回復できる」と断られたけど、もう一回両手でアクセルの右手を捕まえた。アクセルも回復魔法が使えるのは知っているし、半魔で自然治癒力も普通のエルフより高いけど治るのは早い方が良いに決まっている。それに、あの召喚魔法を使おうとした後だしきっと魔力もいつもより減っている。旅でもアクセルは召喚魔法は「疲れる」と言って、殆ど使うところを見せなかった。
アクセルの手のひらの傷が塞がっていくのを確認したところで、私もひと息吐く。
すると、さっきまで遠巻きに立っていた闘技場の人が「よろしいでしょうか……?」おっかなびっくりに歩み寄ってきた。その手には優勝杯とそして賞品である一角獣の蹄が握られていた。
本来なら、優勝が決まったところですぐに届けられる筈の品々だ。…………多分、ニーロとアクセルの取っ組み合いに怖くて近付いてこれなかったんだろう。
「おい聖女。良いのか?」
「!そうだった!ニーロ、ニーロ!お願いがあるんだけど……」
はっ!!とアクセルの言葉で本来の目的を思い出す。
大事な表彰前に悪いけど、ニーロの腕を引っ張ればすぐにニーロも私に顔ごと耳を傾けてきてくれた。近付いたニーロの耳に向けて、優勝賞品を表向きだけで良いから私かアクセルに渡して見せて欲しいとお願いする。
「あとで絶対返すから!!」と訴えると、さっきまであがっていたニーロの眉が今度は困惑に近い形に曲がった。「はぁ」と気のない返事に、本当に意味がわからないよねと思う。ごめんなさいニーロ!!
「そんなフリじゃなくてもやるよ。もともと賞品には興味ねぇし」
ほらっ、と。賞品である一角獣の蹄を闘技場側から受け取った瞬間に軽い動作で投げ渡される。
あまりに不意打ちで両手でも受け取り損ねた。指先につるっと滑って落としかけたところでアクセルが片手で掴んで受け止めてくれた。
軽々と賞品を譲ってくれたニーロに会場中がしっかりと目撃して湧き出す中、これでニーロもマリウスも狙われずに済むとほっと息を吐く。…………本当、ニーロは旅で変わっちゃったなぁ。
勿論変わらない良いところの方がずっと多いけど、旅に出るまでのニーロはずっとこうで優しいし真面目で大まかでおおらかで小さなところには拘らない。自分には厳しくても他人には優しいしどんな深刻なお願いも気楽にしてくれる。そんなニーロも大好きだった。
続いてトロフィーを受け取ったニーロは、観衆の方に向き直ってから大きく手を伸ばして掲げて見せた。ニーロ杯優勝者の名をきちんと受け取ったニーロを、溢れるような喝采が包み出す。
こういう、どんな時でも胸を張って背筋を伸ばして観衆を喜ばせて挨拶するニーロは本当に格好良い。皇子様だし、闘技場一番の剣闘士なんだなぁって思
「それでヴィー。……これが、最後の頼みだ」
くるっと、ニーロが改めてこちらに振り返ったのは闘技場全体に向けて挨拶を終えてからだった。
これで大会も終幕だと、観客もわかったように歓声が落ち着きだしたところでニーロの声はすごく落ち着いて、……低かった。
ずっと、旅の間に聞き慣れてしまったその声に、思わず私も背筋が伸びる。跳ねた心臓が一拍置いてバクバクと鳴り出す中で、ニーロが顔だけじゃなく身体ごとこっちに向き直る。いつもの優しい顔じゃなくて、ぎゅっと眉の間が寄った顔が心臓が痛いくらいにどきどきするのに、同時にこの顔の方がもう私には見慣れたニーロなんだと思う。
片手に優勝杯を握ったまま、ニーロの声は闘技場に響かせる為じゃなくて私にだけ向けて放たれた。「例の旅」と、明日公表される情報を伏せながら。
「俺も、連れて行ってくれ。絶対誰の足手纏いにもならねぇし、もしそうなった時は置いていってくれて良い。死んでも文句は言わねぇ」
真剣な、響きだった。
瑠璃色の眼差しが揺るぎなく輝いていて、一瞬目を奪われた。全身の筋肉を強ばらせて、優勝杯を持つ手も持たない手もぎゅっと力がこもって拳を作っている。「頼む」と私にわざわざ頭まで下げるニーロは本気で、思いつきでも軽い気持ちでもないとわかる。その後は唇をきつく結んで、私に目を合わせた。……うん、知ってるよ。ニーロの言葉にはたった一つも嘘がないことを。
闘技場で優勝して、半魔のアクセルにも渡り合ったニーロはこの時からずっと強い。国一番の剣闘士で強くて、聖典の旅だってニーロが引っ張っていってくれたから私達はあそこまで行き着けた。それこそ、ニーロがいなかったらアクセルに命を狙われたあの時に私とラウナだけじゃ殺されちゃっていたかもしれない。
ニーロがいてくれたから乗り越えられたことはたくさんあって、今のこのニーロが傍にいてくれたらすごく心強い。ニーロが足手まといになることなんて絶対無いし、聖典の旅でだって最後の最後までニーロは自分の意思で足手まといにならないで、文句の一つどころか
『なぁ聖女。…………いつもの、頼む』
「…………………ごめんなさい」
今度こそ、死なせない。
闘技場の優勝者で、この国の皇子であるニーロが生きるべきなのはやっぱりここだ。私のお守りじゃない。
ニーロが下げてくれた頭より、もっと深く、地面に垂直になるまで頭を下げる。いっそ平伏してしまっても良いくらい、ニーロの顔を見る勇気も出ない。
聖典の旅でも、こんなふうにニーロに対して強く断れたことなんてなかった。ニーロの言うことは絶対正しくて、欺されるのも間違うのもいつだって私だったから。
嫌われたくない。せっかく聖典の旅に出る前の仲良しに戻れたのに、また今度は一緒に旅を始める前に嫌われてしまう。ラウナに続いてニーロにまで嫌われる。その事実が頭に過るだけで、胸が裂かれるようだった。
顔に力を込めないと今にも泣いてしまいそうになる。だけど、これがニーロの未来の為だから。
小刻みに口の中を飲み込んで、堪える。
「……そっか」
ニーロの声は、止み始めていた歓声にもかき消されそうなほどぽつんと小さかった。呟きみたいな、あっけない言葉に思わず顔を上げた私は、…………見てしまったことを後悔する。
今にも泣きそうな、私なんかより弱々しい表情で笑うニーロに。
眉が垂れて、さっきまであんなに真っ直ぐだった背中から力が抜けて肩も丸みを帯びていた。虚ろにも見える瑠璃色の瞳が揺れていて、身体の中心が貫かれたように苦しくなる。
覇気のない笑みが、ただ怒っているよりも何倍も傷ついていると私でもわかった。首が垂れ、それを起こそうとするように優勝杯を持っていない手で頭を持ち上げ支える二ーロはそのまま私からも視線を逸らす。心にもない、無理して笑った顔で「ははっ」と枯れた声を漏らした。
「……ちゃんと、生きて帰ってこい」
見送りには来ない。そう、言われなくてもわかった。その為に今、お別れを言ってくれたんだとニーロの優しい笑顔で理解した。
ポンと、去り際に頭に手を置かれて、……ああ、こうしてもらえるのも好きだったなぁと思い出す。旅が始まってからしてもらえなくなったけど、兄妹みたいで子どものころからずっと嬉しかった。
「うん」と、私の方が鼻声になった。ニーロのこんな顔、今度こそ見ないでいたかったのに。本当に、これが最後だったんだと。…………もう会えないかもと、過った瞬間に意味も無くニーロを呼び止めたくなった。
「ヴィーを頼む」とアクセルとも目を合わせたニーロは、背中を向けた途端いつもの軽やかな足取りで闘技場を去って行った。
その背中から目を離せなくて、振り返って欲しいと思ってしまいながら見えなくなるまで見つめ続ける。真っ直ぐ走り出したニーロは振り返らないし、撤回なんかしない。そういう人だってわかっているのに、…………これで、今度こそニーロを巻き込まずに済んで、嬉しい筈なのに。
「……泣くくらいなら連れていけば良かっただろ、聖女」
ただただ鉛を飲んだような苦しさで、見えなくなった途端その場に座り込んだ。
アクセルの言葉を聞いた途端、いつの間にか堪え切れてなかったんだとわかったら、もう駄目だった。会場も観衆席も静かになっていく中で、膝に目を押しつけて泣きじゃくる。
今度こそ守れた。今度こそ巻き込まないで済んだ。その筈なのに、ただただ大好きだった人達を傷付けた罪悪感しか残らなかった。




