34.聖女にとっては懇願。
「!あれです!あれが闘技場です!!」
「何度も何度もうるせぇ!とっくに見えてる!!!」
「ッだからヴィー!!なんで俺がここにいるのに闘技場なんかに用があるんだよ?!」
アクセルの手を掴みながら、大通りから何度も指で示した先にアクセルがとうとう怒った。
すぐそこだと言いながら、結局私の息が切れる方が先だった。最初はアクセルの手を引いていた私が途中から逆にアクセルに手を引いてもらって走っている。アクセルはやっぱり羨ましいくらい体力あるし足も速い。地下でじっとしていた期間の方が長い筈なのに、流石エルフと言うべきか半魔と言うべきか本当にすごい。
一回息を切らせてアクセルの早足程度の速度しか出せなかった時は立ち止まれって言われたけれど、ニーロに追いつかれそうになった途端に引っ張って走ってくれた。ほとんど私は足を回すだけで今はアクセルに運んでもらっているような状態だ。
それでも軽々と併走してくるニーロに、私はまだどう説明すべきか考えつかない。アクセルに引っ張られながら呼吸を続けるだけで精一杯だ。
大通りが開けてとうとう闘技場前広場に入れば、これから試合登録する選手やそれ以上に観覧希望のお客さんで賑わっていた。皆、こちらを振り返っては瞬きを繰り返して私達……ではなくニーロに目を見張る。
「ニーロ王子だ」
「きゃああああニーロ様!!!」
「おいニーロが来たぞ!!!」
「酒場にいたんじゃねぇのか?!」
「やっぱり引退なんてガセだったんだな!!」
やべっ、と。ニーロから小さく声が漏れるのが聞こえた。
ちらりと視線を上げれば、ニーロの笑顔が今はちょっと強ばっている。走っていたとは別の理由で汗をたらりと額から流しているニーロは、急激に速度が鈍くなってアクセルに引っ張られる私より少し斜め後ろに離れた。まさかニーロが疲れるわけないしと思ってみれば、今度は私を引いてくれているアクセルから「なんだアレ」と訝しむような声が聞こえた。
目線を後方のニーロから進行方向の前方へ進めば、……すごい身体の大きな人達がこっちに突進するように走ってくる。ドドドドドッと地鳴りが響くほどの勢いは、まるで牛の大脱走だった。
目を尖らせた人達に、アクセルが迎撃を狙うように身構えるけれどあの人達が狙うのは絶対私達じゃない。だって、全員
「ニーーロォオオオ!!引退だとふざけんなああ!!いくら注ぎ込んだと思ってんだあああ!!!!!」
「いますぐ復帰しろぉおおお!!」
闘技場関係者の人達だ。
ドダダダダッと、ニーロが下がった方向に一直線に走って行く人達は私とアクセルには目もくれず逸れていった。さっきまで私達と一緒に闘技場に向かっていたニーロが、回れ右するように逃げてく。
「なんだあれ」と二度目と同じ呟きをするアクセルに、闘技場関係者だと説明して私達は闘技場の入り口に向かう。
ニーロは闘技場で人気者で、闘技場の関係者とも仲良しだった筈だからきっと悪いことはされない。むしろ今の言い方からニーロの引退反対ならそのまま今度こそニーロを説得してくれたら一番嬉しい。闘技場関係者だし、もしかしたら今なら引退も取り消しが本当にできるかもしれないと考えれば、屈強な闘技場関係者さん達に心の中で健闘を祈った。
ようやく闘技場正面の受付に辿り着いたところで、私達にも警備の兵士から制止がかかる。闘技場は国で運営されている施設だから、警備もきちんとした兵士さんが行っている。お金を払わないで選手でもない人がこの先に入ることは許されない。
「………おい聖女、金……。……………………おい。どんだけ体力ねぇんだお前」
ひゅうひゅうぜぇぜぇと、アクセルの手を握り返すのに必死で、背中を丸めて立っているのも辛くて座り込んでしまう。
大量に息を吸っては吐き出す感覚が喉を繰り返して往復して走る。肺が縮んで膨らまなくて苦しい。しゃがんだままでも足がブルブル震えて、いっそ両手で地面に手を付いてしまいたくなった。
回復、回復魔法を自分にと頭では浮かぶのに、今は息を吸うことに集中してしまう。涙目になりながらゼェハァと呼吸を整え続けていれば、不意に急激に楽になった。
回復魔法の感覚に顔を上げれば、アクセルがすごい眉を狭めた呆れた顔で回復をかけてくれていた。回復魔法、どの属性魔法にもあって本当に良かった。
「…………あ、ありがとうございますアクセル……」
「金。入場料」
「いえ……観覧ではなくて……」
ようやく手足に力が入って、アクセルにお礼を言いながら立ち上がる。
警備とは別に、お金を払えとこちらをじっと見ているおじさんを前に私は一度アクセルを邪魔にならない壁際まで引っ張った。
もう息は苦しくないのに、大きく呼吸しないとまだ落ち着かない。肩で呼吸しながらそこで改めてアクセルを見上げる。ぎゅっとその手を掴む手に力を込めて、黄金色の瞳へ真剣に目を合わせてから行儀良く頭を下げる。
「アクセル、試合で優勝してください!お願いします!」
「ここまできてまた意味不明なこと言うなお前」
「ッ冗談じゃないんです!本当に、本当にお願いしているんです!!今ならまだ受付中ですから間に合います!!」
伝わらない!!
てっきり怒るか困られるかと思ったアクセルに、まるで冗談を言ったような反応を返されて私も慌てて顔を上げる。本当に、これは冗談じゃなくて真剣なお願いだ。
幸いにもまだ選手飛び入り受付をしているおじさんを手で示しながら、私はもう一度お願いする。それでも、意味がわからないようにアクセルは首を僅かに傾げるだけだ。こういう時アクセルみたいな説明上手が羨ましい!!
一分一秒が惜しい中でもうアクセルの名前だけでも選手登録したいけれど、王子様のアクセルの名前を勝手に使っちゃうのはできない。視界の端にまだ受付が終了していないことを確かめながら、なんとかアクセルに伝わるように声を潜めながら説明する。
「……じっ実はこのままだとマリウスが殺されちゃうんです。マリウスというのはニーロのお友達で、それで私達が旅に出た後にマリウスの家族というか娘さんのエルサさんに会うんですけどその時にはマリウスは死んじゃっていて……」
「本当説明下手だな。……まずなんでそのマリウスが死ぬんだ?」
うわああああアクセルすごい助かるよ!!私が説明するよりアクセルが質問してくれた方がわかるやすいもんね!!
アクセルとこういう会話今までも何度もしたのを思い出す!!アクセルのお陰でラウナ達を苛々させるのが減ったの今も感謝しているよ!!
こんな状況なのにアクセルに助けられるだけでまた泣きたくなる。どれを優先して話せば良いかもわからない私が説明するよりアクセルの質問になるべく一言で答えるんだよね?!ちゃんとわかってるよ!!
「この大会の優勝賞品を狙った強盗に遭うからです!でもその時には」
「なんでマリウスを助ける必要がある?」
「マ!マリウスはニーロのお友達で……死んじゃったのも自分のせいだってずっと悔やんでいたんです!だから今度こそ……ッああ!アクセル!もう!もう受付終わっちゃいます!!」
話している途中にも構わず次の質問を重ねるアクセルに答えながら、とうとう視界の隅で受け付けのおじさんがペンを置き始めてしまった。待って!待って!!と手を大きく上げて振って、まだ残っていますと示す。どうしよう本当にやっぱり受付ギリギリなのは変わらなかった。
私の手の振りに気付いて眉を寄せたおじさんは「聖女??」と地味な私の存在に今気付いたように瞬きをした。さらに隣にいるアクセルをじーーっと視線の角度を変えていく。アクセルは背も高いし身体もしっかりしてるから、おじさんも戦士の申し込みかもとわかってくれたのだろう。ペンの先でアクセルを指し示すおじさんに、私からこくこくと繰り返して頷いてアクセルを引っ張る。
お願いします!!と、受付をとにかくしてもらわないと、全員倒しても優勝賞品は貰えない。
おじさんが早くしろと手招きをしてくれる中、私も腕を引っ張るけれどアクセルはびくともしなかった。
「……あと最後にもう一つ」
「なんでしょう?!でも早く受け付けしないと締め切っちゃいますから!!」
「優勝して俺に何の得がある?」
「私がお礼します!!聖ッ……は無理ですけどそれ以外ならなんでもします!!だから」
「ハイじゃあ復唱ーーー」
えっ?!と突然のアクセルの高らかな声に、思わず身体が跳ねた。
同時にアクセルの足も動いてくれて、ゆっくり、本当にゆっくりだけど受付に向かって歩いて行く。
ニヤリと、アクセルの悪い笑顔が私を見下ろす形で向けられる。こんな無茶なお願いをしているところなのに、アクセルの目は魔眼ではなくまだキラキラの黄金色で、むしろ光っている。ゆっくりとでも歩み寄ったことで、受付のおじさんも記帳を開いて「字は書けるか?」と尋ねてくる。選手の中には文字の読み書きもできない人もいるけど、アクセルは頭も良いからちゃんと書ける。
うんうんと頷きでおじさんに返しながら、アクセルの言葉にも耳を傾ける。
「〝この私聖女エンヴィーは〟?」
「こ、〝この私聖女エンヴィーは〟……!あのっアクセルここで聖女の名前は目立っ」
「〝優勝の暁にはアクセル王子と死ぬまで共にいることを誓います〟」
「ゆ〝優勝の暁にはアクセル王子と……〟…………え?」
ひく、と口角が片方だけ変に引き攣った。今、今すごいことを復唱されそうになっているような。
おじさんがこちらに記帳を向け、差し出してくるペンをアクセルが目も向けずに掴み受け取った。だけど、ペン先を紙面に置くだけでまだ書かない。人質の首に剣を突きつけていた時と同じ楽しそうな笑顔を浮かべるアクセルに、絶対脅しでも冗談でもないと核心する。
ニィィィ、と牙を見せて笑うアクセルは勝ち誇った嬉しそうな笑顔で、ああこの笑顔も好きだったなぁと記憶が現実逃避のように思い出す。インクが染みを作っていく中、アクセルの手はまだ動かない。冷たい汗が頬にも額にも背中にも伝っていく中、アクセルの爛々と輝く笑顔から目が固定されたように離れない。
確かに言った、聖典以外はなんでもすると。だって、ここでマリウスを助けないとニーロがまた傷ついちゃう。ニーロの大事な剣闘士の更新記録を止めてしまった私に、今できることはニーロを巻き込まないこととこの地に残るニーロの幸せな日々を一つでも確保することだけなんだから。
ただの口約束。そんなの今の私だってわかっている。だけど、アクセルを前に、大事な仲間を前に嘘をつくなんてできないと私自身が知っている。
嘘にならないように今の今までハルティア以降のことはあまり触れないようにしてきたのに!!
「大好きな剣闘士の為。……軽いもんだろ?聖女様」
ニヤリと、子どもがイタズラに成功したような、でもちょっと怒っているような邪悪な笑顔。それも大好きだったけれど、今だけは滝のような汗が止まらない。
苛々とおじさんがさっさと書くのか書かないのか決めろと怒るのを合図に、……カラカラの声で続きを復唱した。
途端にさらりと一瞬で偽名を書いたアクセルに、手足に力が入らない理由が安堵なのか打ちひしがれたいのか自分でもわからない。
「詳しく説明してもらうぞ」と、そのまま選手控え室に向けて引き摺られながら、とにかく今はもうニーロの幸せと優勝のことだけを考えることにする。
伝説の聖典を得る為、私の人生が狙われるなんて。……うん、逆行前とあまり変わりないね。命狙われたもん。
アクセルになら、別にいいかな。




