そして聖女は気付く。
「……………………らうな」
ぱちりと、瞼を開いた拍子に涙粒が目尻から頬へと落ちた。
胸が大きく上下して肩で呼吸する。自分でも息が荒いと思いながら空いた口で茫然とぼやけた視界の向こうを見つめる。私が起きたことに気付いたモイがランプの上から羽ばたいてきてくれる中、濡れた顔を拭うこともできなかった。
今、自分の視界に広がっているのが現実なのか、それともさっきまで見ていたものが現実なのかわからない。それぐらい鮮明で、生々しくて、感情が〝ラウナ〟のまま波打っていた。
今朝のアクセルの夢と一緒だ。今この過去じゃない、逆行する前のラウナだ。完全に私が〝ラウナになって〟いた。
自分の胸をぎゅっと押さえながら毛布の中で背中ごと丸めて膝を縮こめる。
嗚呼……本当にこんなに辛い中、私はラウナの気持ちを何もわかってあげられなかった。元素魔法の為、世界の為だとわかってはいたけれど、あんなに苦しんで、それでも強い覚悟で同行していてくれたのに。…………結局、ちゃんとお礼も言えずに終わってしまった。
ラウナの中にいる間、ずっと胸が痛かった。
心臓が締め付けられているようで、足も鉛でも乗っているように重くって、息をいくら吸っても肺が小さくなっているかのように苦しくて仕方が無かった。ただ山道だったからじゃない、もっと奥の奥が苦しくて窮屈で、それなのに穴がぽっかり空いた感覚だけが気持ち悪いくらいずっと取れなかった。夢から覚めた後も違和感のように残っている。…………そしてラウナにとっては、夢じゃない。
何度も、何度も何度も考えながら、妹さんの顔が頭に浮かんでいた。私は知らなかった筈のラウナの家族の顔が何度も何度も浮かんでその為に喉が詰まるようにこみ上げた。私の身体だったらとっくに涙が出ていた。
今も鼻を鳴らしながら目を毛布に押しつける。こんなに辛いのに、ラウナに私はなんであんなに無神経に話しかけちゃったんだろう。
ふーーっふーーっと、泣き声を殺す為に毛布を噛む。
ラウナ、ずっと強くて格好良い女の人としか思ってなくてごめんね。ラウナだって、あんなに心が折れそうになりながらそれでも使命の為に奮い立ってくれたのに。ラウナが私に話しかけられる為に胸がざわついて締め付けられて、泣くのを堪えようと肺が縮むようになった感覚を思い出そうとすれば簡単に自分の身体にも蘇る。この感覚は私も知っている。…………ラウナ達が死んじゃったのを思い出す度に、私もよくこうなる。
「らうな、…………らうな、……ごめんなさい……」
ピィと心配してくれるモイにもなんか悪いことをしているような気分で、頭まで毛布を被ってしまう。
だけど、やっぱりラウナは強いし優しい。あんなに辛かったのに、誰にも相談せずに自分一人で乗り越えた。
旅を続けていくうちに、当時のラウナから角が取れ始めていたのは私でもわかった。ニーロとも普通に話すようになって、私に苛立たされることはあってもあんな風に激しく声を荒げることも減っていた。きっと、少しずつ自分で立ち直ったんだ。
役立たずだった私のことも守ろうとしてくれた。その上、私に怒鳴ったことを気にして自己嫌悪まで最後に……、…………でも、あれは私が悪いんだから気にしなくて良いのに。
当時、始終ずっとラウナの顔色が悪いのが心配で、ついついラウナの隣から顔色を伺ってしまった。
体調が悪いならとか無理していたらどうしようとかそんなことばかり考えて、結局ラウナの長い足並みに合わせて短い足を回しすぎて、いつも歩けなくなって二人を足止めさせてしまった。ニーロにも怒られたし、ラウナにも呆れられた数も知れない。
結局、ラウナにもあの後も何度も私は歩くのが遅くて待たせたり足並みを合わせてもらったりニーロを呼ばれたりした。…………本当、思い出す度にやっぱり最初から最後まで二人に迷惑ばかりかけて、その上ラウナをもっと苦しませていた自分が嫌になる。
なのに、私をあんなに守ろうとしてくれていた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
今度こそ絶対にラウナを巻き込まないからね。
大丈夫。ラウナの気持ちを覗き見しちゃったことには罪悪感があるけれど、お陰で改めて確証も持てた。やっぱりラウナは私の旅についてこない方が良い。
だってラウナには私なんかより、ずっとずっと大事で傍にいるべき家族がいる!!あんなに大好きで、私が仲間を失った時と同じくらい胸を痛めるような相手がいるラウナなんだから、危険な旅についてくる必要はない。ラウナにもう二度とあんな辛い想いをしてほしくない。
今度こそもう私を守るなんて考えなくて良い。ラウナはラウナのやりたいことと自分の幸せだけ考えてくれればそれで良い。私なんかいなくたって、大好きな家族がいるんだから。
ラウナに会えなくなるのも、せっかく仲良くなってくれたのに嫌われるのも、親切を無碍にするのもがっかりさせてしまうことも辛い。だけど、私が嫌われるだけで大好きなラウナがこれから今度こそ正しくなれるならなんでも我慢できる。
コンコンコンッ
「お~い聖女ぉ!!いるんだろうなあ??」
「ッ?!あああああアクセル?!」
突然ノックの音が飛びこんできたと同時の声賭けに、思わず毛布を翻して飛び起きる。
一体今が何時なのかもわからなくて、朝のような感覚で時計を見ればもう午後過ぎだった。一瞬今日が何日なのかどころか寝ちゃう前の記憶も思い出せなかった。そうだ、アクセルが教皇様と出て行っちゃった後に気が抜けて寝ちゃったんだ。
「ちょっちょっと待ってください!」と言いながら、慌てて手で髪を整えて聖衣の皺も伸ばす。今朝も寝坊したのにまさかまた寝ちゃってましたなんて恥ずかしい。私の混乱に影響されてかモイまで部屋中をパタパタと旋回する中、今度こそきちんとベッドも整えて部屋を見回し確認した。
今朝よりもずっとまともになっている部屋を確認してから、駆け足で扉に向かう。すぐにノブを掴んで扉を開ければ、……ガッ!と途端に頭を鷲掴まれた。どうしよう待たせちゃった?!
「お~ま~え~は~こンの雑魚聖女!!鍵かけてなかっただろ今!!!」
「!!ああ!ごめんなさいごめんなさいアクセル!普段鍵なんてかけないからついっついっ……!」
よく今まで無事でいられたな?!とアクセルが声を荒げるのを聞きながら、本当に今さら思い出す。
確かにアクセル、教皇様と出て行く時に鍵もかけるように言ってた!!逆行してからは教皇様が部屋に入ってくるのが嫌で鍵をかけた時もあったけど、習慣的に私は自分の部屋に鍵をかけない。だって、大聖堂は警備もしっかりしているし、屋根裏は私の部屋しかないから私に用事がある人がいないとわざわざ来ることもないから間違われる心配もない。現に今まで私の部屋に訪れたのは食事を運ばれた時を除けば教皇様とアクセルだけだ。…………けど、それがアクセルに言われたことを聞かなかった言い訳にはならない。
「ついじゃねぇよ」と牙を剥いて怒るアクセルは金色の目をギラリと光らせる。魔眼じゃないことにほっとすれば、……ふいに、むにゅむにゅ鷲掴みの手から頬を掴まれた。
「…………。聖女、泣いたか?」
「ふぇ?!あ……あぁいえ……これはそのこれはですね……眠くて…………、…………欠伸しちゃっただけです……」
最後はつい嘘をつく。まさか寝ちゃったなんて言えない。
アクセルが来てくれたことに驚いて髪を整えるまでは考えが及んだけれど、うっかり目を拭うのを忘れていた。横着せずにちゃんと鏡を確認すべきだったと後悔してももう襲い。顔が掴まれたままどうやっても動かせないから目を背ける。
アクセルから「ふーーーーん」と気のないように聞こえる音だけ返されるけど、絶対目はまっすぐこっちに疑いの色で向けられているとわかる。知ってるよ!?羨ましいくらい頭の良いアクセルが私なんかの誤魔化しで欺されてくれるような人じゃないって!!
むにゅりむにゅりと頬で遊ばれながら、十秒近くは唇を絞り堪えれば、今度はぞわりっと寒い気配がアクセルの方から襲いかかってきた。
「性懲りも無くまたクソジジイが来やがったか?やっぱ今すぐぶち殺」
「ッ違います教皇様じゃありません!ちょっとうたた寝で昔のこと思い出しちゃいました!!」
アクセルを罪人にはさせられない!!!
もう来たる脅威と伝説の聖典目的の教皇様の大嘘を知ったアクセルは、そうじゃなくても封印の関係で教皇様を殺したくなる動機がありすぎる!!教皇様どころか教会や私も恨まれて仕方ないほどの恨みだ。実際、逆行する前では何度も命を狙われた理由の一端でもある。一番の原動力はハルティアを救えなかったことだけど!
うたた寝??と、疑わしそうに声を捻らせるアクセルだけど、私が今度こそ真っ直ぐ目を合わせて頷こうと顎に力を込めればそこで納得してくれた。手を離し、ハァと溜息と一緒に部屋に入って後ろ手に扉と鍵を閉める。
「……昔、って……つまりはお前の知る未来の話か?」
「え……ああそうなりますね……。今だと旅を始めてから間も無くの頃だったかなと思いますけど……」
腕を組んで訝しむような表情をするアクセルに、妙な響きだなと思いながら私も首を傾ける。確かに私にとっては体感として昔だけど、アクセル達にとってはこの後のことだ。これからアクセルに話す時にこんがらがりそうだなと思いながら裾で目や頬を擦る。泣いた痕ってどれくらいで消えるんだっけ。
まさかこんなことでアクセルにも心配をかけちゃうなんて思わなかった。聖典の旅中もアクセルの前で泣いてばかりだったけど、ただでさえ今はアクセルと知り合ったのもつい最近だもんね。アクセルとは故郷までは一緒に旅することは間違いないんだから、あんまり心配かけないようにしないと。
「でも……絶対こない未来だから大丈夫です。ラウナを連れて行かなければ良いだけの話ですから」
「今度はラウナか……」
「勿論、ニーロもです。ニーロも剣闘士としての立場と闘技場がありますし、絶対旅になんて巻き込んだりしません!」
元気です!とアクセルに示すために、ここで力強く拳を握って見せる。
途端に「あー」とアクセルがうわ返事をして視線を浮かせた。宵闇色の髪ごと頭がガシガシ掻いてから窓を見る。「ずっと部屋にいたのか」と聞かれたから私も窓の外を振り返りながら肯定で返す。アクセルがいなくなっちゃってからずっと寝てたし、一歩も部屋を出ていない。もともと神聖魔法の魔導書を読むことが一日の殆どだった私は、部屋に一日中いるのも珍しくなかった。
「その剣闘士だが、いまちょうど話題になってるぞ」
「?ニーロがですか??闘技場絡みでしょうか」
きょとんと私は眉を上げる。ニーロが話題の渦中になることは珍しくない。国一番の剣闘士なんだから。今までも闘技場で勝利や優勝を得る度に話題になった。ただ、屋根裏に住む私は、部屋にいる限りはまったく届かない。
そう、と。軽く答えるアクセルはそこで私に視線を戻し、再び口を動かした。
「剣闘士を引退すると大々的に公表したらしい」
「ニーロが引退?!!!!!!」
さらりと言われた言葉に、思わず絶叫する。
アクセルが顔を顰めて両耳を押さえる中、私は私で頭の中が真っ白になった。




