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聖女にとっての真実


「サデュット帝国第十七代皇帝アーノルド・ヘンリ・エルヴァスティの名の下に〝来たる脅威〟から世界を救うべく聖典の捜索に任ず!」


…………あれ?

瞬きをしたような感覚で気が付けば、皇帝陛下が玉座から立ち上がった瞬間を見た。……いつの間に私、皇帝陛下に会いに??

とても怖い表情で言葉を続ける皇帝陛下なのに、あまり内容が頭に入ってこない。どうしよう、私とうとう夢遊病とかになっちゃったのかなと足先が冷たくなる。最近は特に眠れない日も続いていたしお医者様にも薬を処方されてふた月経ってる。

目の前で言われている高らかな声が耳の中で反響して上手く聞こえない。

しかも頭までおかしくなっちゃったのかそれとも目が悪くなったのか、皇帝陛下が若返ったような気までする。皺とかだけじゃなく、顔つきも以前お会いした時はもっと


「……ジェラ、…………エンジェラ!陛下に返事を」

耳のすぐ近くで囁かれ、思わず肩が揺れる。

振り返れば教皇様が私に困った表情を向けていた。…………教皇様?

考えるよりもいつもの癖で慌てて頭を皇帝陛下に下げる。「承知致しました!」とわからなくてもとにかく返事をすれば、いつもよりちょっと高い声が出た。


頭を下げたまま大理石の床を見つめて考える。

本当に何があったか思い出せない。直前のような気がする記憶が、夢なのか現実なのかも霧に覆われているようでぼやついている。

でも今、教皇様の顔にイラッとしてしまった。今までどれだけ厳しい言葉を言われてもそんなことなかったのに。嗚呼、やっぱりもう私は心に余裕がないんだ。私にとって数少ない家族のような人なのに。聖女に相応しいこの立派な名前をくれたのだって


「聖典は〝光の湖を渡った氷結の壁に囲まれし神殿〟に封印されていると伝承にはある。各地にも似たような伝承は山のようにある。そこから調査を……」

そうそう伝承が多すぎて何度か国外にも調査に行きました。年月をかけて最終的には我が国のミハナスタの地の亡都神殿にありましたけれども。

湖を伝承通りの光の湖に変化させるのにも神聖魔法以外に伝説の指輪と水晶を捧げないといけなくて大変でした。指輪は近くの神殿に安置されていたから良かったけど水晶の方は三百年前にオークが盗んだとかでまずはそのオークの足跡を辿ることに何ヶ月もかけて本当に大変で。

それにしてもどうしていきなりこんな今更な話をするんだろう。

聖典を手に入れた経緯は教皇様にも皇帝陛下にも書記官達にも何度も何度もお話したのに。


「出発は三日後。しかし安心せよ聖女よ。神聖魔法の使い手であるお前を守る英雄となるに相応しい同行者をこちらで用意した」

ああこんな言葉も言われた気がするなと、そう思った矢先に背後の大扉が開かれる音がした。なんだか既視感を覚えながら振り返った瞬間、……夢を見ているんだと確信した。


宝石のような瑠璃色の瞳に自慢の剣闘士鎧を着熟す屈強な身体をした金髪の青年。しかも凄く顔色が良い!!

ああそうだニーロはもともとこれくらい血色も良いし元気が自慢みたいな男の子だったよね?!それに、ああすごく懐かしい!

黒を基調にした魔導師服に身を包んだ女の人!そうだよねラウナは城に呼び出されたのも久々で緊張してとっておきの衣装を着てきてくれたんだよね覚えてる!!!ラウナのこの礼服!ラウナは機能的じゃないから好きじゃないとか言ってたけど私はすっごくすごく大人っぽくて大好きだったよ!!紫色の髪にも吸い込まれそうな緑色の瞳にもすごく合ってるよ!魔力も天才過ぎるのに美しすぎて女神様も裸足で逃げ出すよ!!?紫色の髪がまるで光のシャワーみたいに輝いてるよ!!!


ニーロにラウナ。聖典の旅で死んでしまった筈の大事な人が二人もこちらに歩み寄ってくる。信じられなくて瞬きも忘れて思わず呼吸が止まったまま口を両手で覆った。

視界が滲んで見えなくなる中で、こっちを見たニーロが笑って手を振ってくれた。うわあああああ!!ニーロが!ニーロだ!!旅が始まってからはなかなか笑いかけてもくれなかったのに懐かしい!!!

ただの幼なじみだった時はこんな風に手も振ってくれてすごく嬉しかったよ!!昔からの強くて優しくてすごく真面目で責任感あって格好良いニーロだね?!男が惚れる男のニーロだね?!!その佇まいだけで百億人が雄叫び上げるよ!!!

傍で教皇様が何か言っている気がするけれど今はニーロとラウナのことで頭がいっぱいになる。目元を拭っても鼻を啜っても、どうしようもなく溢れてくる。心臓が熱いくらいで、苦しい。



ずっと、ずっと会いたかった。



喉がしゃくり上げてヒクつく中、ラウナがいつもみたいに眉間に皺を寄せて、ニーロはぎょっと目を丸くした。

もうここが夢なんだと受け入れると、ようやく今の状況も思い出す。これは、聖典の旅へ出るように初めて皇帝陛下に命じられた日だ。……いっそ、天国だったら良かったのに。


「おいおいヴィ……ッ聖女!どうした?!俺だぞ?!この俺だぞ?!それともこの女か?!この女じゃ弱そうで不安か?!ちょっとわかるけど!!」

「ッな!!私は元素魔法の第一人者で……」

鼻が痛いくらい啜りながら涙が覆った指の間から零れる。

ニーロが駆け寄ってきてくれたのが本当の任命式とは違って、ああやっぱり夢なんだなと思って余計悲しくなる。でも、あの時のニーロなら私がこんな風に泣いたら来てくれたんだろうなと思う。私より四つも上のニーロは、幼なじみで、まるでお兄ちゃんみたいな存在だった。…………旅が始まるまでは。


『〝来たる脅威〟なんて存在しないから安心しなさい』


「…………きたる……脅威」

ピキンッと記憶が響く。口から零れると同時に、不思議と涙も止まった。ついさっき、本当にちょっと前に聞いた言葉だ。

いつの間にか私の両肩を掴んで立っていたニーロが「ああ!話は親父から聞いてる!」と声を張り上げる中、ぼやんぼやんとした記憶に輪郭がついていく。

こんな優しい友達が、来たる脅威を按じながら死んでしまった。来たる脅威なんて最初からなかったのに。

………………なかった??


ドクンッと、心臓が気持ち悪く脈打った。

そうだ、なかった。来たる脅威なんて最初から存在しないんだから。旅に出ても存在したのは聖典だけで、脅威なんかどこにもない。私達はずっと、平和になった世界でわざと危険な場所を選んで旅をしていたようなものだった。

封印された聖典を手にする必要なんかなかった。ただ新たな火種を持ち帰っただけで、そこに平和なんかない。


この日に、私は初めて聞いた。

皇帝陛下に呼ばれて教皇様から説明してもらった。「来たる脅威が近付いている」「聖典を探せ」と神託を授かったと仰っていた。神託は毎年回数を増していて、きっと来たる脅威はすぐそこまで来ているのだと言われた。

だから伝説の聖典を急ぎ手に入れないといけないと言われ、聖女の私は何も神託を授からなかったから凄く怖くなった。

私はやっぱり聖女に向いていないんだと思って、そんな大事な神託を一度も授からなかったことに申し訳なくなって足が震えたのを今でも覚えている。聖典の旅にも、行くとすぐに答えた。神託すら受けられなかった私が挽回するには聖典を持ってくるしかないと思った。


全部、嘘だっただけなのに。


「安心しろ聖女よ。陛下がご用意くださった精鋭達が、きっとお前を無事に守り抜いてくれる」

私の視線に合わせて腰を曲げた教皇様に優しく頭を撫でられる。……その感覚が、今は鳥肌が立つほど気持ち悪い。あれ、教皇様に撫でられるのってこんな気持ちだったっけ。もっと嬉しくて擽ったい筈だったのに。気持ち悪い。

遠慮なく私の両肩を揺さぶって「泣くなって!」と言うニーロの両手の方がずっと暖かいし心地良い。ああずっとその暖かい手でいて欲しかった。

ニーロの暖かさを感じるのに教皇様の手が邪魔で、気付いたらしわくちゃの手を叩いてた。すぐに引っ込められたけれど、びっくりしたのかニーロにも手を引っ込められる。

もっと、もうちょっとで良いからニーロの手の大きさを思い出していたかったのに。また教皇様のせいで。


「………エンジェラ、どうした緊張しているのか?手が出るなどお前らしくもない」

「……………………らわしい」


今度、こそ。

教皇様からのねっちょりとした呼びかけに、考えるよりも先に口が動いた。

ここが現実じゃなくても良い。せっかく元気な二人に会えた夢なのに、邪魔しないで欲しい。こういう時ばっかり、私に言うことを聞いて欲しい時ばっかり機嫌を取りたい時ばっかりその名で呼ばないで。聖女にだって祭り上げたのは教皇様で、私は一度だって聖女になりたいなんて言ったこともなかった。神聖魔法だって使えるようになりたくてなったわけじゃないのに、その所為で大事な人達を犠牲にしないといけなくなった。私じゃなくて魔法の天才のラウナが使えれば良かったのに。


ラウナだったら、どうしただろう。来たる脅威は全部嘘で、私達も皇帝陛下も皆欺されていて、中身のないことの為に仲間が犠牲になったんだと知ったら。

私と違って、羨ましいくらいに芯があって自分の意見を言える強い女性だったラウナならきっと私なんかと違って悪い口だって言えるだろう。自分の意思を持って、悪い人には毅然とした態度で




「穢らわしいッ……!」




ガン、と甲に響いた。皇帝陛下と同権力を有する教皇様にとんでもない発言をしたのは誰だろう。すごく、すごく私の声に似ていたけれど。

いつの間に拳を握っていたのだろう。涙の止んだ視界で教皇様の顔をきちんと見たら、そうせずにいられなかった。今まで人を殴ったこともない自分の弱い拳が、教皇様の頬に当たったのを誰よりも間近で見た。

ギリリと食い縛った奥歯が慣れてないせいでちょっと顎に響く。私の弱い腕でも、おじさんの教皇様には痛いんだと、真っ赤に晴れた頬を押さえて大理石に転んだ教皇様を見て今知った。あと、殴った後の手ってすごく痛くて、胸の奥がすっとする。


だけどニーロやアクセルみたいに強くない拳は気絶させるまではできなくって、教皇様は頬を押さえたままこぼれ落ちそうなほどまん丸にした目で私を見た。

「エンジェラ……?」とまたその名前で私を呼ぶ。もうその名前で呼んで欲しくないのに。欲しくないのに!!!


膝を付き、教皇様の襟を掴む。引き寄せ、汚いその口にめがけ拳を振う。ぐぁッと教皇様が顔を背けるから、二度目に振るえば頬にぶつかった。

ガン、ゴン、ゴンゴンと鈍い音と感触が拳に響く。当たりやすい頬が良いなと思ったら次は鼻で、今度は目に当たりかけて手で阻まれて、代わりに髪を掴んで引っ張る。


「〜ゔぃ……!聖……聖〜〜〜女ッ!!!落ち着け!!おい!!」

ぶちぶちりと毛髪がちぎれたところで背後から掴まれた。

反対の手で皺だらけのくせに艶のある顔に爪を立て引っ掻いたら、そちらも掴み上げられる。

止めるのが教皇様ではなくてニーロの声で、振り返ればいつのまにか兵士も大勢集まっていた。頭に入らなかったけど、そういえば耳の近くでざわざわ聞こえたような教皇様も何か言ってた気がする。見れば、……ニーロが私を羽交い締めにしてて頭が真っ白になった。

うわー!うわああああ!ニーロ近い!!近くでみると本当顔色良い!!!ニーロ元気!!懐かしいなぁ昔はこうやって落ちたり倒れそうな私を支えてくれたよね?!


「エ゛ンッ…!!ゴホッ……!聖女よまさか魔物に操られ……!」

うるっさい。

せっかくニーロで懐かしくて嬉しかったのに、教皇様の声でまた台無しになる。私のことも多分兵士は止めたかったけど聖女だから手が出せなかった。今は教皇様も鼻血を流しながら兵士達に守られたり支えられたりしてる。私の弱さじゃ鼻血を出させるのが精一杯だった。

こんな人に付けられた名前を名乗るくらいなら、私を捨てた親に付けられた名前の方がずっと良い。


「二度と、その名で呼ばないでください教皇様」


茫然としたのは教皇様だけじゃない。ニーロもラウナも、皇帝陛下も兵士達も皆茫然としている。教皇様に手を上げるなんて考えたこともなかったのに、今はこの手がちょっと誇らしくてそして触れた部分が穢らわしい。

聖衣からハンカチを取り出し、名残を拭き取る。べったりとした皮膚の脂を拭い去る。

〝エンジェラ〟と、その名は十六歳の成人になった日に付けられた。

元の名前よりも聖女に相応しい名をと、天の使いに倣い〝エンジェラ〟と教皇様に名を塗り替えられた。

だけど私は神聖魔法が使えるだけで天使にも聖女にも相応しくない。何よりこんな人に、これ以上たった一つも貰いたくはない。たとえここが夢だろうと絶対に。




もう、思い通りになんかならない。




「私は、エンヴィーです」

嘘偽りない本来の名を掲げ、教皇様に胸を示した。

明日昼11時にも投稿致します

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