23.聖女にとっては知らない話で、
「聖女、まだ起きねぇのか?」
パチ……パチンと、焚き火の音が静かに夜に落とされる。
〝聖女一行〟〝英雄達〟〝勇者一行〟と、その名を各地で語られた一行は、野営の最中だった。聖典を求める旅を何年も続け、その中で多くの人々に手を差し伸べた彼らは強敵や魔物と戦う中で、その力も付けていた。
聖女の結界と天才魔導師の結界の二重張りにより、今では焚き火の番などつけずとも野獣にも魔物にも怯えず眠ることができる。
今もゆっくり食事を作る時間も許される一行は、途中で獲った獣を捌き、焼けるのを待っていた。もともと一日の中で雑談をする時間も少ない一行は沈黙も多く、その中で肉が焼けるのも待てずに眠ってしまったのが聖女だ。
皆と一緒に丸太の上に座っていた彼女だが、途中から座っているのも辛くなり今は地べたに膝をつき両手を枕代わりに丸太へ突っ伏しながら眠っていた。
長年の野宿で野営も慣れ、どこでも眠れるようになった聖女は、今でも体力は一行の中で最弱だ。聖女の頭の上では召喚魔の白梟が彼等を丸い目で見つめ続けていた。
すーすーと眠る聖女を眺めながら、頃合いの肉を料理用のナイフで突くニーロは眉間に皺を寄せて彼女を見る。聖女の眠っている姿にも不満げに睨むその眼光に、丸太の上で足を組むラウナは溜息を吐いてそれを見やった。
「しょうがないでしょ。獣道もない荒地だった上に傾斜も多かったんだし」
「……聖女があんだけ腹鳴らすから、わざわざで獲ってきてやったのに」
「良いじゃない、あとで起きたら食べさせれば」
つんと冷たい口調で言うラウナは、そこに自分の分の肉串を手に取った。昔は文句ばかり言った野営食だが、今さらもう文句はない。
それでもニーロは文句ありげな瑠璃色の眼光を今度はラウナに向けた。「相変わらずそういう言い方」と呆れたように吐き捨て、口を歪める。まだ焼いてやった自分どころか全員に行き渡ってないのに、勝手に食べ進めるラウナに文句を言うのももう数も忘れた。
大体、今晩の夕食を狩ったのも焼いたのも今回は自分一人だ。
せめて手伝ったなら良いものをと文句は浮かびながらも乱暴に自分も串を掴み、かぶりつく。腹立たしさのせいで最初の一口から大口だ。
今日一日だけでも腹立たしいことがまた多すぎる。せっかく肉を用意してやったのに焼けるまで起きていない聖女にも、何もしてないくせに先に食うラウナにも、聖女が起きた後では肉が冷たく固くなっているのにそれで良いと言われることもそれに
「……せっかく久々に焼きたて食わせてやれると思ったのになぁ」
ここまで、相も変わらず段取りの悪い自分自身にも。
ニーロのぽつりと寂しそうな呟きに、ラウナは聞こえるようにわざと大きい溜息を吐いた。だから自分は肉を焼く時に一度に全部焼かないほうが良いと提案してやったのにと思う。
気温のせいで肉が傷みやすいからとある程度先に加熱するのは仕方ないが、もっと様子を見て焼けば良かったのにと思う。もう何年も旅を一緒にやってきて、未だに聖女が眠くなる限界すら気付かない男だ。
どいつもこいつも馬鹿ばっかりだと思いながら、口の中で噛み切れない肉も一度飲み込んだ。
「じゃあ起こせば?だから最初に「全部焼くの?」って言ってやったのに」
「ッそういう意味かよ!お前はいつも嫌味ったらしいんだよラウナ!聖女にもいつもいつもそういう言い方で虐めてよぉ!」
「ハァ?!私がいつ!虐めたって言うの?!アンタ達が何も気付かないから私が一番気にしてやってんじゃない!」
食ってかかるニーロに、それが八つ当たりとわかっていてもラウナは言い返す。
本当は、わかっている。自分が毎日聖女に怯えられていることも。それをどうにかしたいと思ったことは数知れないが、今更どうやってもやり直せない。
そもそも最初の出会いが悪かったと、ラウナは思う。神聖魔法の使い手とはいえ、教会に聖女と祭り上げられていた女の子を最初はただ守ってあげないとと思った。お姉さんらしく優しくしてあげようとも思っていた。
任命直後、故郷を失うことさえなければ。
『あ、あのラウナ、様……、ラウナ様はどのような魔法とか……?』
『話しかけないで。アンタも剣闘士も私のことなんて知らなかったんでしょ……!』
あんなことを言いたかったわけじゃない。
使命の話を受けた時は全く別のことを考えていた。それでも、当時の自分は本当に余裕がなくて、辛くて、気丈に振る舞うだけで精一杯だった。
聖女を見るだけで妹と重なり泣きそうになり、同時に不条理な理由で苛立った。
もう自分のことだけで限界で、他人の気持ちを考えるなんてことはできなかった。
言い返してくれるニーロには、自分も楽な部分があって良かった。
女だからといって自分を舐めないで聖女を守る護衛の一人として常に遠慮無く指示してくれたのも喝をいれてくれたことも、心の底では感謝している。
しかしニーロと違い、自分が言った言葉をそのまま真に受け、しかも言えば言うほど傷つき怯えてしまった聖女に、今更猫なで声で仲良くしましょうなんて言えるわけもない。しかし聖女を虐めたつもりなんて、それこそ一度もない。
ただ、自分の口調がどうしても優しく気の弱い聖女には鋭すぎるのも自覚はあった。
しかし、自分にとってこの話し方が自然体で、普通で、本心だ。聖女に対しては特に、傷付けたくて言ったことは一度もない。
長年の月日で故郷を失った傷は薄く癒えても、どうやれば自然体で聖女と仲良く話せるかがもうわからなくなってしまった。
「いや、今はお前じゃねぇだろ」
一番気に掛けてんのは、と。ラウナの言い分に、困り顔で言うニーロは顎で木の上を指す。
ラウナも促されるまま目を向ければ、すぐに「ああ……」と力の抜けた低い声が出た。肉が焼けたにもかかわらず、未だ手をつけないどころか会話にも入ってこない男をニーロと共にじとりと見上げ、睨む。
「おい、アクセル。お前もさっさと食え。来ねぇなら肉投げんぞ」
途中から自分達と旅を同行することになったエルフ。
しかも輪の中にも入らずに木の上で小さく座り込んでいる彼へ呼びかければ、ゆっくりと顔ごと視線を向けられた。
今ようやく食事の時間だったことを思い出したように空腹感を覚えたアクセルは、音もなく木から飛び降りる。
声を掛けてくれたニーロに何も告げず、焼かれている串を一本掴む。焼きすぎてやや固くなった肉を牙で噛み切った。自分達がブチッブチッと音を立てて食べた肉を、見事殆ど音も立てず綺麗に食すアクセルを眺めながら、ニーロもラウナも言葉が止まる。
正式に同行することになってからもう月日が経ったアクセルだが、彼が入っても殆ど自分達の会話は変わらない。
アクセルはニーロとラウナ二人の雑談に殆ど興味を示さない。しかし、別段人見知りなわけでもなければ、話すのが苦手いうわけでもないということも彼らは知っている。
「…………なぁ、アクセル。お前は聖典の旅が終わったら、どうするつもりだ?」
ふと思い浮かんだ疑問を、ニーロは頬杖を突きながら尋ねる。
その問いかけに、ラウナは食事を再開しながら懐かしい話題だと思い出す。昔も同じ話題をニーロが出したことがある。ちょうどそれこそ、アクセルに初めて出会った夜だ。
当時は聖女に投げかけた問いも結局はアクセルの乱入で中断してしまったが、確かにアクセルに対してもラウナはその答えが気になった。
ニーロからの投げかけに、アクセルは「あーー……」と一音を溢しながら一度視線を宙に上げた。今夜は月が丸いということだけ確認し、聖女に振り返る。まだすーすーと眠っている聖女は起きる気配もなく眠りも深かった。
そして最後にまた正面に向き直したアクセルは、ようやくニーロに上目で視線を合わす。
「……知らね。帰る国もねぇからな。その時考える。取りあえず今の興味は伝説の聖典がどういうのかっていうことだけだ」
「何度も言うけど、聖典はうちのサデュット帝国に持ちかえるからな?来たる脅威を防ぐにはそれしかねぇんだから」
「そうよ。聖女は甘いから「見せるくらいなら」とか言ったけど、アンタに使用までは許してないからね。うちの教皇、本当ねちっこいんだから」
伝説の聖典に興味がある。聖典を見せてくれるならそれまで手も貸してやると、その言葉を聖女は今も信じている。しかし、……二人はアクセルが自分達の旅に付いてくる本当の狙いがそんな「見たいだけ」という可愛いものではないとわかっていた。
ニーロとラウナからの念押しに「はいはい」といつものように適当に返すアクセルは、そこでまた肉に齧り付いた。
食事音だけは静かなアクセルを見ながら、ニーロは先に自分の肉を冷める前に食べきる。食べ終えた串をぽいっと焚き火に投げ込みながら、改めて口を開いた。
「俺はさ、聖女には自由に生きて欲しいんだよ。俺みたいな血筋とか、ラウナみたいな野望とか、あいつには何もない。でもこのまま聖典持ち帰ったら、…………あいつ、また教会に良いように使い続けられる気しかしねぇんだよ」
確かにと、ラウナも食べながらそれには深く頷いた。
聖女はただ言われた通りに使命を真っ当しようとするだけで、そこに自分の望みはなにもない。
聖典を持ちかえった聖女ともなれば、一生どころか死んだ後にも永遠に教会のお飾りにされるだろうとラウナも容易に想像できた。そして、聖女はそれを一度も嫌だと言わず、思わず、疑問どころか全部「良いですよ」で済ませてしまうと思う。
ニーロのように幼なじみではないラウナだが、それでも長い旅の間に聖女の人となりはわかったつもりだ。
ニーロの言葉に、アクセルは食事の手を止めない。しかし目は肉ではなく、金色のまま真っ直ぐとニーロに向いていた。
「いっそさ、聖典の封印さえ解いたら、聖女は死んだことにしてどっかで暮らすのも悪くねぇと思う。神聖魔法が特別視されるのはうちの国ぐらいだから、国外とかさ。クラーロ王国とか、結構聖女も気に入ってたし」
「!良いかもね。聖女、亜人にも抵抗ないし。シエルのとこなら安心して任せられそう」
珍しくいいこと言うじゃないと言わんばかりにラウナは眉を上げ、これには賛同する。
聖典の手がかりを探す為、国外にも足を伸ばせば当然平和で過ごしやすいのは自国だけではないことも知れた。旅の中で知り合った青年とその故郷を思い出せば、きっと聖女も静かに穏やかに過ごせるだろうと思う。聖女を縛るべきものは本来なにもないのだから。
もう一生分、彼女は使命を全うすることで国に尽くしている。
十六歳という若い年齢からずっとこんな泥汚い旅を余儀なくされた彼女が、平和に綺麗な場所で特別視されることもなく一日を過ごして欲しい。彼女は、もともと聖女という称号に興味もなければ、むしろ重荷に感じているのも二人はわかっていた。
ラウナが賛成してくれたことでニーロも「だろ?!」と僅かに笑顔になった。聖女についてこういう話だけは気が合うと思う。
しかし、意気投合しだす二人を前にアクセルは
─ 過保護過ぎんだよなあ……聖女に。
呆れたまま言葉も出ない。
もう自分が正式に同行することになる前から勘付いていたことだが、本格的に共に行動するようになれば余計にわかりやすかった。
聖典を手にした後の聖女の今後など、それこそ本人に聞けば良いだろと思う。少なくとも自分の見立ての聖女は、過ごしやすい異国よりも「ニーロとラウナが一緒なら」と言ってどれだけの苦境にもピヨピヨ付いてくるような人間だと思う。今までだってそうである。
そして恐らく彼ら彼女らの関係は旅を始めた時から今も殆ど進歩していないのだろうとも予想できた。
「……そんなに聖女が心配なら、聖典なんか放ってお前らで亡命すりゃあ良いだろ」
「世界の危機ッつってんだろ!!……そりゃあ聖女と昔みたいに過ごせりゃあ良いと思うぜ?けどいい加減剣闘士しか稼ぎ方ねぇんだよ俺は」
使命を終えたら国に帰るつもりだと言うニーロに、実際は理由がそれだけではないことはラウナもアクセルも想像できた。
聖女を本当に死んだことにしてでも自由にするなら、代わりに国で〝聖女〟の代わりになって聖典を持ち帰らなければいけない。その後に国からどういう仕事や公務、民への安心装置として先導をする立場を押しつけられるのに〝聖女〟の次に適任なのは第四王子であるニーロだ。
剣闘士という職種もまた、不敗を誇り一度は名を馳せた彼を誰もが「英雄」「勇者」と呼びやすい。
ニーロ自身、それを望むまではいかずとも別に嫌でもない。聖女がどこかで自由に生き、自分は故郷でまた剣闘士として生きて良いのならそれくらいの面倒ごとは引き受けて良いと思う。
なら、と。アクセルは次にラウナに目を向ける。
しかし彼女もまた、言葉で投げられるより前に手を横に振って断った。自分もまた聖女と亡命する予定はない。
「こんな嫌な継姉みたいなのが傍じゃ可哀想でしょ。今だってなんで聖女が私に愛想尽かせないでいてくれるのかわからないのに……。そもそも元素魔法の第一人者である私は、国に帰ったら元素魔法と研究結果を広めるという使命があるの!そりゃあ、聖女と一緒に過ごすとか、…………悪くはないと思うけど」
ぼそりと呟き、視線を眠る聖女に向ける。
そんな日々があれば、きっと楽しいと思う。妹の面影を何度も重ねてしまった聖女と家族のように暮らせれば。
しかし、今でさえ聖女を怖がらせてしまう自分が、突然素直になれる日はもう想像できない。
もともと使命を受けたのも、元素魔法の権威を守り、人々に広めその使用と歴史を護る為だ。
こうして旅を共にしてみても、やはり神聖魔法だけでは不便なことの方が多い。元素魔法も聖典の旅に役立ったと示し、そして広めることこそが故郷を失った今の自分の生きる理由でもある。
自分なりの理由を告げる二人に、アクセルは鼻で息を吐ききった。めんどくせぇ、と。その言葉を噛み切った肉と一緒に飲み込みながら二人を見比べる。結局聖女と一緒に亡命しない理由は聖女が嫌なのではなく〝聖女の為〟だ。
「聖女か聖典ならお前らどっち選ぶんだ」
「そりゃあ聖女だろ」
「聖女に決まってるでしょ」
「…………………………………………」
何故、名高い聖女一行がこんな面倒な関係になっているのかとまた思う。
即答どころか若干前のめりに言う二人に、頬杖を突きながらアクセルは足を組む。
人間という種族がこういう生き物なのか、この三人が特殊なのかも自分には判断がまだつかない。しかし、旅の中で出会ったどんな人間よりもこの三人が善人で、そして面倒なのは間違いなかった。
続けて付け足すように「そりゃあ世界の危機は大事だけど」「だからって聖女が犠牲になって良いわけねぇだろ」と言う二人のその口が滑るのも、聖女が寝ているからだというのがまた面倒の三乗だと思う。




