21.聖女にとってはこじつけ。
「…………なんと、仰られましたでしょうか……」
ヒクッ、と教皇様の顔がここまでわかりやすく引き攣るのを見るのは初めてかもしれない。私が思わず殴った後もこんな表情筋全部が引き攣ったような顔はしなかった。
今、私は大聖堂にある特別室にいた。客間の中でも特別な来賓しか通されない部屋で、皇帝陛下が訪れた時しか使われるのを見たことがない。ただ話し合いする為だけとは思えないくらい豪華で広い部屋のフカフカのソファーの端っこで、私は肩を狭めて口を閉じている。
教皇様は、この大聖堂どころか教会組織で一番偉い人だ。
この国では皇族と教会は同権威を持っているとされているから、国でも偉い人だ。その、誰に対しても物腰柔らかに対応する教皇様が今は肩も不自然に上がってみえるし笑顔も強ばったまま座っていた。
皇帝陛下に匹敵する権力を持つ教皇様が、私に殴られても言いかえされても狼狽することなく平然と図々しく話しかけてきた教皇様が、今は思い切り緊張している。それもその筈で、相手が悪いとしか言いようがなかった。だって、教皇様を相対しているのは。
「もう一度仰っていただけますでしょうか、アクセル第一王子殿下」
アクセル。エルフの国の王子様、しかも第一王子。
今もソファーでどっしりと足組んでふんぞり返っているけれど、紅茶の飲み方もばっちり音も立てずに味わうアクセルは正真正銘の王族だ。
エルフの国は規模こそ大きくなくても世界有数の強国で、過去には人間族の国全土と戦争してそれでも痛み分けになった。エルフは寿命も長いし魔力も人より高いし知識も経験も人間より上だからすごい賢いし強い。人間族には真似できない自然魔法があるし、私を含めて一部の人にしか使えず崇高視されている神聖魔法も使える割合の多い種族だ。
とにかく、つまりはすごい強くて稀少な種族の王子様で、この国の教皇でも見下ろせるような相手じゃない。
そのアクセルはつい今朝方、百年封印され続けていた地下聖堂から姿を現した。
私は教皇様の隣じゃなくて、アクセルの隣にお座りさせられている。教皇様はともかく、私は一応教会側の人間なのに良いのかな。アクセルが隣座れとか言ってくれたのが嬉しくてついついそのまま隣におじゃましちゃったけれど。
教皇様の言葉にアクセルは「聞こえなかったか?」と面倒そうに言葉を返すと、音も無くカップを置いてから首を気怠そうに傾けた。
「聖女の神聖魔法により浄化は終わった。この恩義を返すべく今日この時をもって聖女の〝聖典の旅〟に俺は同行する。以上」
「ッその姿のどこがっ……!!」
「アァ???」
思わずといった様子で声を荒げた教皇様に、アクセルがギロリと睨む。途端に教皇様は口を結んで呼吸まで止めてしまった。
アクセルは相手が権力者でもそうじゃなくても、敬意を見せる相手と見せない相手への差が激しい。
教皇様のプルプルとまだ微弱に震えている口と、そして若干血走ったまま溢れそうなほど見開いた目は何を言いたいか物語っていた。うん、ちょこっと無理があるよアクセル!!
アクセルと大聖堂に戻るまで一時間もかからなかったのに、その間にかなりの大ごとになっていた。……というか、市場の端にも広がるほどの騒ぎになってきたから急いで大聖堂に戻った。
ただ、騒ぎのわりに事件は「聖女がエルフに攫われた」だけで、アクセルが地下から出てきたことどころか、アクセルの名前すら一度も出てこなかった。……逆行する前もきっと教皇様、アクセルの逃亡隠したんだろうなぁと、そこで私も一気に冷静になった。
アクセルの自然魔法のお陰で誰にも見つからないで済んだけど、兵士まで大聖堂に駆けつけて集まっていて、いっそこのまま逃亡しようかなと一瞬本気で思った。
でもそれをすると私は誘拐された扱いになって〝聖典の旅〟にラウナやニーロや他の人が任命されちゃったら困るから、結局出て行くしかなかった。
私の通過魔法も単身でしか使えないしアクセルをこのままにしておけないから、結局二人でこそこそと大聖堂の内部にまで戻ってから魔法を解いて貰った。それからあっという間に修道女に見つかって教皇様に見つかって、アクセルの存在に焦った教皇様が大急ぎで特別室の応接間にアクセルを呼んでアクセルが私を引き摺って………現在に至る。
アクセルの「浄化は終わった」に教皇様が異議を唱えたくなるのも流石にわかる。だって、アクセルの容姿は全く変わっていない。
黒に近い青色の髪色はエルフにはあり得ない色だし、エルフにはない牙だってそのままだ。怒ってはいないから目の色は金色のままだけど、この姿のアクセルを見て浄化が終わったと思う人はまずいない。
教皇様から私が受けた無茶振り条件を話した時は、アクセルが自信満々だったから安心したけど、あまりに力業だ。アクセルってもっと知能犯というかこういう屁理屈は、……してたなぁ……。
少なくともアクセルの今の言い分に、教皇様は何も言えずに固まっている。それも当然で、王子様に向かって「どうみても呪われているだろう」なんて悪口言ったら大問題だから。
何も言えずに肩にぐぐぐと力が入った様子で膠着する教皇様に、アクセルはさらに冷ややかな声で続ける。
「……それとも。百年間第一王子の半魔を放置し、浄化もできねぇのをわかっていながら封印監禁を続けたと。そう、教会は認めるか?」
……あれ?事実の方がすごい大変なことになってる。
すらすらと言うアクセルの低い声を聞きながら、思わず一人首を小さく傾ける。でも、教会がやっていたことはそうだ。ただ、アクセルもその生活を望んで封じられていただけで、浄化が進まないこと以外は不満がなかった。
だけど、私だって過去に戻る前はアクセルが百年も無理矢理監禁されていたと思っていたし、国という規模でみればこれが事実なのは変わらない。
「とッとんでもないことでございます!!」
教皇様も途端に顔が蒼ざめた。少しどもりながら大きな声を上げる教皇様に、アクセルは表情をぴくりとも変えない。じとりと金色の眼差しで睨みつけたままだった。
無言のその反応に、教皇様は吹き出す脂汗をハンカチで何度も拭き取りながら、困り顔を私にもチラチラ向けてくる。
何か言え、味方になれと言いたいんだろうなと、これまでの経験でわかるけど、無視をする。私達は聖典の旅中にもっと長くて最悪の選択に何度も迫られた。
私から助ける気がないと理解したからか、教皇様はごくりと喉を鳴らしてから口を開いた。
「ッ誤解です。何度もお伝えした通り、アクセル王子殿下の浄化はまだ進行中でした。あの結界はアクセル王子殿下の御身を魔物から守る為と、そして全身に蔓延る魔の呪いの進行を止め少しずつ年月をかけて浄化する為のものです」
役立たず。その言葉が頭に浮かぶ。
あの魔法陣の結界は確かに神聖魔法の中では最高位に入る術式だけど、アクセルの身体と魔力の結びつきを確認する鑑定は高位魔法だ。この百年間、本当に一人も鑑定を使える神官がいなかったのか。一度習得すれば魔力消費もそこまで負荷にならない便利な魔法なのに。
それに結局、アクセルの半魔にあの結界は浄化の効果は皆無だった。
「この百年間我々は皇帝陛下にすら秘匿し、貴方様を御守りし最善を尽くしてきました。今回も、聖女に貴方様の浄化を命じたのはこの私です。今まで大勢の神官を遣わせたのと同じように……」
「で、ハイ治った。結界から出てこれたのはその証拠。だから俺は聖女の旅に同行する。お前も聖女にそう約束した。我が父上には聖女と共に教会の功績も間違いなく伝えよう。……何の問題がある?」
やっぱりアクセルはアクセルだった。教皇様の我が身可愛さの建前を逆手に取る。相変わらず羨ましいくらいに口喧嘩強いね!大好き!!
教皇様も自分で言っていてこんがらがったように顔を歪めだした。
「いえですからっ」とアクセルの顔を見たところで、むぐぐっと歯を食い縛る。また話の始めに戻った。
教会はアクセルの結界に効果があると思って閉じ込めて、聖女の私にも無理難題と思わないでアクセルの浄化を命じたなら、あと残す問題はアクセルが半魔が戻ったかどうかだ。でも、本人が治ったと言っていれば、もうどうしようもない。みかけがどうであろうと、明らかに半魔であろうとも、だって。
「第一王子の俺がもう浄化は必要ない、帰ると言って何の文句がある?俺を地下に封じたい理由でもあるならこの場で喧嘩でも戦争でもやってやる」
怖い!怖い!!!
アクセルからの尋常じゃない殺気が隣にいる私の肩までするりと撫でる。待ってここに居たら私も巻き添えで挽肉だよ?!!アクセルに殺されるのは嫌じゃないけどまだ死ねない!!!
思わずアクセルから身体を少し離れるように引けば、すぐに気付かれて腕を回され反対の肩から掴み引き寄せられた。逃げるなと、言いたいのがばっちりわかる。
ずるるっとまたアクセルに肩がくっつくほど隣に座りながら、唇を結び大人しくする。もしかして人質かな私。
アクセルの言い分は、もっともだ。もともと、アクセルが出たいと言えば本来結界から出すのが正しい。それをアクセルが文句を言わないのを良いことに、百年も封印してハルティア王国から謝礼金という名の治療費を貰い続けていた。
でもアクセルが帰ると言ってて、今は百年も経っている。浄化の有無関係なく、ここで引き留めれば今度こそ監禁だ。ハルティアとも本当に戦争になるかもしれない。
息を詰まらせすぎて窒息するのかと思うほど教皇様の顔が青く、そして顔の部位全部が中央に寄っていく。
眉もつり上がってこんなに悔しそうな教皇様も初めて見るかもしれない。
「まさか、俺の半魔が治らないものだと知った上で 教会全体が隠蔽し、浄化費用を我らが国王から百年に渡り不当に奪い続けていたとは言わないだろ??」
「ッッも!ちろんでございます……!!そんな、そのような誤解まで受けるのは我々としても心外でしかありませんっ……」
くわりと一度大きく見開かれた教皇様の顔が、直後に今度はしおらしく眉まで下げられた。
哀しそうな声で俯く教皇様に、本当に教皇様は教皇様なりにただ一生懸命アクセルを治そうとしていたんだなと。………………そう、何度この顔に今まで欺されてきたんだろう私。
今までも、私や信者、教会員や皇帝陛下の前でこんな風に心から哀しそうにする教皇様に、毎回可哀想とか慌てたりしちゃったけれど、絶対もう欺されない。
むしろ、アクセルの僅かにだけ片方の口角を上げた怪しい笑い方に、これはアクセルが確信を持っている証拠だなと思って、こっちの方が真実だとわかる。アクセルがわかった上で悪い人を追い詰める時の楽しみ方だ。……ということは、もしかして百年間に鑑定が使える神官もいてアクセルが混血児の可能性をわかった上で隠蔽した??
そうだよね?!高位魔法とはいえたかが鑑定使えないのおかしいし使えるなら普通絶対一度は試すよね?!!
王子が混血判明なんて言ったら逆にハルティアから反感買って宣戦布告されるかもしれないし!!
うわぁ……と、まさか人生二週目になって、教会の駄目なところも教皇様の汚いところもどんどん浮き彫りになっていく。
やっぱりアクセルは羨ましいくらい頭良い。いつからそれに気付いたんだろう。もしかしたら私が鑑定した時点でかな?こんな私なんかが鑑定できたんだから今までの神官だってできて当たり前って普通思うもんね?!
「なら俺は帰る。そして聖女に同行する。俺を百年以上の戒めから解放してくれた大恩人たる聖女は一億年に一人の逸材。聖典捜索にも協力は惜しまない。国にも報告は不要だ。問題ないな?」
すらすらと、もう決まりと言わんばかりのアクセルの言葉に、教皇様は背中を丸めて俯いたままか細い声での肯定しか返さなかった。
私は私でアクセルに建前でもなんか褒められて、すごいくすぐったい。掴まれた肩もぴくぴく震えるし、口の中を噛まないとうっかりにやけてしまいそうになる。
わかってるよこの場凌ぎだって!!でもなんかまるで恩人みたいに言われるのも褒められるのも嬉しいのは嬉しいからそれだけは許して!!!
少なくとも今この時にアクセルが地上に出てこれたことを一番はしゃいでいるのは私だっていう自信だけはある。
アクセルが故郷に帰ってくれる可能性だって昨日よりずっと高いし、こんなに堂々と教皇様に渡り合ってくれるの嬉しいし心強い!!私じゃずっと教皇様に言い返すとか子どもみたいな反抗しかできなかったから。
教皇様が言い返せなくなったところで、アクセルはするりと立ち上がった。
「行くぞ」と私の手を引っぱってくれるアクセルに、胸が高鳴りながら頷き立ち上がる。
「!待て聖女!!本気なのか?!ニーロ皇子と魔導師ラウナは!?皇帝陛下の心遣いにどのようにお詫びするつもりだ!?」
「んなもんテメェで考えろぶわーーか」
クソジジイと、私が返事するまでもなくアクセルの切り返しが早かった。
教皇様を置いて部屋を出るアクセルに連れられるまま、回廊を進んだ。




