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そして聖女にとっては。


「故郷捨てるつもりのやつが言ってくれる」


漆黒と深紅に一縷の光を宿さず私を見るアクセルは、自嘲じみていた。髪を掻き上げながらまた激情を抱いているとその魔眼をみればわかる。

馬鹿にするように見下した口角で、目が今にも泣き出しそうに歪な表情だった。座り込んだ足下には、もう空白のページしかない聖典だったものが開かれたまま残骸になっていた。


「見え透いてんだよ。お前、教会のこと嫌いだろ。世界のことだってどうでも良い。俺に言ったこと全~~部建前で、ただここから出る理由が欲しいだけってとこか?」

気付かれていた。

羨ましいくらい頭が良いアクセルに、全部隠し通せるわけがなかった。全部が全部正解じゃない。でも、殆ど正しいと私が一番よく知っている。


ケラケラと牙を見せながら馬鹿にしたようにせせら笑うアクセルに、私も自分の裾を握ってしまう。それも、以前の旅では言われたことのない指摘は、当てずっぽうなんかじゃ絶対ない。あの時は本気で教会や世界の為にも頑張りたかったけれど、今はもう嫌いなのは本当だから。

教皇様の息がかかった教会も嫌いだし、……仲間が死んだことを偉業にする世界も、仲間を死なせた世界も。


「なにが聖女だ?奇蹟も起こせねぇ教会の雑魚が。故郷が要らねぇのはお前も一緒だろ」

「………………一緒じゃない」

あ、そう。と私の低くなった返事にアクセルはどうでも良さそうに言葉を返した。

一度舞い落ちた聖典だった紙きれを拾ってはビリビリと更に細切れに千切っていく。もう文字も読めないほど細かく細かくちぎっては、またパッと空に散りばめた。一枚終わったらまた一枚同じように千切り出す。


本当に、一緒なんかじゃない。もう一度「一緒じゃありません」と言い直したけど、無視された。

私の顔も見たくないように背中を向けて、また紙を千切っては撒くのを繰り返す。紙の一部が結界を通り抜け、外へと溢れていく。


「俺を受け入れねぇ故郷に興味もクソもねぇ。連れて行く誘いも二度とすんな。………もう、どこにも行きたいところなんかねぇ」

「嘘ですっ……」

冷たくて、抑揚のないアクセルの声。悲しさの感じない、本当に心からどうでも良さそうな突き放す言葉も全部、よく知っている。

自分で否定しながら、たった一言なのに私だけが震えた。

アクセルはそれでもこっちを向いてくれない。雪粉のような紙の破片を作っては頭上に降らせ続けてる。もう聖典も作らないなら、ここに残る必要なんかない筈なのに。

せめて聖典を作り直すと言ってくれた方がずっと良かった。このまま自分一人だけ時間が止まって、同族のエルフとも違う時間を過ごしてしまうこの生活が楽しいわけがないのに。今、ついさっきあんなにも聖典を作り直すのが大変なことだって声を荒げたばかりのくせに。毎日時間全部注いだ研究を微塵にしてしまうくらい辛い筈なのに。

本当に、本当にアクセルはどこの時間でもアクセルだ。


一歩、踏み出した。今までみたいにアクセルの正面に回り込むんじゃなくて、結界の中に踏み入れる。人の気配に敏感な筈のアクセルは、それにも気付かない。

口の中を噛んで、血の味がした。子どもみたいにずっと同じ遊びを繰り返す背中に、胸が捻れるように痛くて堪らない。

もう一歩進めば、とうとう靴先がアクセルの背中にぶつかった。こつんと小さな行き止まりに、今度はアクセルも気付いてこっちに振り返り、…………直後に大きく翻った。慄いたように、身体ごとこっちに向き直ったまま紙の破片ごと後ろ手で床に手を付いた。

ギョロリと溢れそうなくらい丸い目がまた深紅と漆黒二色のまま、呆気をとられたかように口まで大きく開く。奥の牙まではっきりと見下ろせた。私が結界内に入ったことを信じられないように口をパクパクさせる。


魔物や魔族じゃなければ、結界には阻まれない。人間の私が入ることはおかしいことじゃない。そんなこともアクセルは忘れちゃったのかと思うほどの、丸い目で汗が額を濡らしていた。

「おまっ……」と僅かにアクセルの声が擦れて聞こえた中、私は息を吸い上げる。今度は無視させないと、肩まで上がるくらいの酸素で喉を張り上げる。


「嘘だよ!!!!」

グアンッとアクセルの頭が揺れたように見えた。

立ち上がれば私よりも大きなアクセルは座り込んだまま、私を見上げて顎を反らす。何か言おうとしてか一度閉じて僅かにまた開こうとするアクセルに、今度は上塗りするようにまた大声を続ける。「嘘」より前に、もっとちゃんと知って欲しかったことをもう一度。


「一緒でもないよ!!!アクセルは本当の本当に故郷が好きで!!ハルティアが好きで!!!エルフ達のことも家族のことも大好きでしょう?!!!」

私とは違う。故郷を嫌って全部捨てていこうとする私と、アクセルは違う。

本当のことをそのまま言い宛てられたからか、アクセルは呆気をとられたように表情が固まった。丸く見開かれた魔眼が私を映す。

いつの間にか私自身の目尻が少し滲んでいるのを、乾いた喉で唾を飲みながら気が付いた。


「家族の為に半魔を解こうとして!聖典まで作ろうとして!!ずっとずっと帰りたかったの知ってるよ!!!私みたいな雑魚聖女に頼るくらい治したかったんだよね?!」

知ってるよ。

子どもみたいな言い方になっていると自覚しながら、感情が言うことをきかない。フーフーッと今度は私の方が動物みたいな息遣いになる。

夢だってみた。アクセルがほんの三十年前にどれだけ苦しくて帰りたくて仕方が無かったかも知っている。こんな、自分を認めない国なら要らないなんて言える程度のものじゃない。アクセルにとってずっとずっと行きたかった場所が故郷だ。

アクセルがどれだけ本気でハルティアを愛しているかも、家族のことを大事に想っているのかも、王子の役割だって権利とか血とかじゃなくて、ただただ期待に応えたかったことも。



滅んだハルティアを想って泣いたアクセルも知っている。



「さっきから帰れない理由だって全部!!アクセルは「帰りたくないから」って言わなかった!」

アクセルは、ずっと故郷に帰りたかった。

逆行する前にアクセルがこの魔法陣から出られた理由は、誰かに出してもらったからじゃない。故郷が滅んだと聞いたアクセルが、魔力を暴走させたからだ。

本人が、そう言っていた。

私達が旅している間にアクセルの故郷であるハルティアが、魔物大量発生で滅んでしまった。それを聞いてこんな最高位魔法陣を破壊してしまうほど、アクセルの感情が乱れた証拠だ。

大聖堂を飛び出したアクセルは滅んだハルティアを見て絶望して、当時英雄視されていた〝聖女一行〟を恨んだ。


『何が英雄だッ……!!』


「帰りたいんでしょう?!じゃあ帰ろうよ!!意地張って一生会えなくなったら後悔するよ?!」

「ッしねぇよ!!俺はただ国王の椅子が欲し」

「また嘘!!!アクセルはそんな人じゃない!!」

ニーロとラウナは「逆恨み」だと言っていた。

いくら他の人達に英雄視されていても、私達がハルティアに居合わせなかったことも魔物の大量発生に駆けつけられなかったことも全部旅の経路で仕方が無いことで、間に合わなかっただけ。私達も、ハルティアが滅ぼされたことは旅の噂で初めて知ったんだからどうにもならなかったと。


だけどそれでも、あの時のアクセルの目は今も忘れられない。

ハルティアを滅ぼされた、何もしなかった、お前らが駆けつけていれば今頃と。アクセルの目が本当は金色だと知ったのも、一度気絶させた後のことだった。最初に私達を殺しにきたアクセルは終始憎しみと激情が込められた魔眼だったから。


国中の魔物を一人で朝も夜も最後の一匹まで殲滅し続けたアクセルがそれでもぶつけようのない感情の矛先を、役立たずな聖女の私にぶつけたのは今だって仕方ないことだと思う。

だって、国を滅ぼしたとされる大型魔物を一人で倒したアクセルが、ニーロとラウナ二人には最終的には敵わなかった。私が足手まといじゃなかったら、もっと旅の足も早く進んで本当にハルティアの悲劇にも駆けつけられたかもしれない。


だから今度こそアクセルは故郷に帰らないといけないし、私は絶対アクセルを故郷に送り届けないといけない。

「王子なのに何もできなかった」と、アクセルがあんな風に何年も後悔し続けることがないように。


「ッ俺の何がわかる?!!?!」

振り返ると共に立ち上がるアクセルの魔眼が煌煌と光る。

ビリリと空気の膜で顔の皮膚が震えるほどの咆吼だった。鼻と鼻がぶつかりそうな距離で、唸り声のようにも聞こえた。まるで魔族を前にしているような殺気の渦に圧倒されかけながら堪える。

私に振るおうとしたのだろう高く上げた手が、それでも私の顔に届くよりも先に留まった。直後に歯軋りを鳴らしながら、それでも留めた手を震わせて私にはぶつけない。

アクセルは、理由もなく女性に手を上げる人じゃない。いくら粗暴に振る舞っても、誇り高いエルフの王子様だから。


わかるよ。と、考えるよりも先に口に出た。何年も一緒に旅をして助けてもらったのに仲間のことをちゃんと知らなかった私だけど、それでも仲間の良いところならいくらだって知っている。

殺気を至近距離でぶつけてくるアクセルを、今は私の方が見上げながら目を合わす。


「王位継承権はあと三百年もすれば国王がきっと諦めて別の継承者にすると思っていて、だからその前に早く浄化したかった。でも今自分が混血児だとわかって国王に隠し通したいと思ってるでしょ?いっそさっさと自分を王位継承権から外してくれたら気楽なのにと思ったことも何度もある。エルフ族代来得意な自然魔法がとても優秀で最高位魔法も使える。神聖魔法の素質も持っているけれどそれは不得意。多分それは魔物の血が邪魔しているせいだと思います。あと故郷の神樹が好きですよね?お母様が何度もアクセルの姿が元に戻るように祈ってくれた神樹だから。自分の姿を皆怖がるけどそれでも自分が人前で堂々とできないのはもっと嫌なんだよね?王位継承権なんかどうでも良いから、なによりもエルフ達の中で暮らせる姿になりたいって!エルフ達に同情されることよりも怯えられることよりも嫌われることよりも!王妃様と国王が怖いのを隠して無理をしてそれでも笑ってくれる顔を見るのが一番嫌いで!!!だから会いにこないでくれて良かったとか何度も結界の中で思って!!!家族に迷惑かける自分の姿が誰よりも悍ましくて吐き気がして鏡に目を向けられないくらい反吐が出るほど嫌いなんだよね?!!」


言いながら熱が回って、視界が滲みながら自分でも段々何を言っているかわからなくなってきた。

だけど、アクセルが旅の中で話してくれたことだけならちゃんと覚えている。アクセルは故郷のことを話す時はいつだって穏やかで寂しそうで、私にできるのはそんな大事な故郷を知ることだけだった。

百年以上も前のことなのに、アクセルの語る故郷はいつだって鮮明で詳細で目に浮かぶようで、それだけ彼にとってハルティアが大切なんだっていつもわかった。

アクセルにとっての一番の幸せは、家族や同胞と同じエルフとしての姿で国に溶け込めることなんだと、聞く度に思い知らされた。アクセルが何度も何度も嫌いだと言っていた自分はその魔力や血より、何よりもその姿のことばかりで。


こんなに、こんなにアクセルは素敵なのに。


「アクセルが優しいのも強くて頭が良いのも知ってるよ!!家族想いで仲間想いで国民想いで子どもにちょっと弱いところも好きだよ!!何十年も聖典を書き続けた努力家で頭も良くてそれに諦めないところも尊敬するし弓矢も上手いのに腕っ節も強いし力持ちで魔力も強くて自然魔法使えて闇魔法も使えて両方強いのだって羨ましいよ!!?」

私なんて神聖魔法しか取り柄もないのに、半魔のアクセルは魔物並みの腕力と丈夫さがあってニーロだって認めていた。なのに魔法の知識はいっぱいだからラウナが羨むくらいで悔しがってる姿もあった。状況によってはあのラウナが「私よりもアクセルの方がこういうのは専門でしょ」って言ってたくらい。

闇魔法だって使えるのに国を滅ぼした魔物の力と同じだからって理由だけで使うのを嫌ってた。私はこんなに教皇様のことも嫌いで人も世界も憎んだのに、旅の間アクセルは一度だって自分のことを受け入れられないエルフ達を悪く言わなかった。


「アクセルの眼だって金色も綺麗だけど魔眼だって格好良くて宝石みたいにキラキラで!!!魔物のことは大嫌いなのにアクセルと出会ってから眼だけは好きになったよ!!髪の毛も手入れ雑でもいつだってサラサラで夜空みたいな色がうっとりするし月に照らされている姿なんでどきどきしたよ!!牙も鋭いの格好良いしギザッとなっているのちょっと可愛いしむしろその性格に合ってるよ!!猫背なのも並んで話すと背が高いアクセルの顔が近くなるから私は嬉しかったし全部好きで全部格好良いよ!!!私はアクセルに出会えて死ぬほど嬉しかったし今も好きだよ大好きだよ!!!」

アクセルが嫌いだって言っても私は大好きで、でも口にするとアクセルが嫌がるから言えなかった。

でも本当に大好きで、それに一緒に旅をしたニーロだって「格好良い」って言ってたことあるの知ってるし、ラウナだって「便利でいいじゃない」って言ってた。

アクセルは自分の容姿を口に出されるのも嫌がって、それでもできる限り自分を偽ったり隠したりしたがらない気高さも羨ましかった。


「誰がなんて言っても世界で一番私が好きだってくらい私はアクセルが好きだもん!!!」


ゼェ、ハァ、ハァと、言い切ってからようやく気持ちが収まったけど、呼吸は落ち着かなかった。

ぎゃあぎゃあ途中から自分でも何言ってるかわからなくなるくらい喚き散らした私に、アクセルも動物が喚いているようにしか聞こえなかったのかもしれない。ぽかんと口が開いたまま、いつの間にか眼の色も金色に戻っていた。

ああどうしよう、アクセルに話を聞いてもらうどころかあの顔は頭のおかしい人を見る目だ。

そう思ったら泣きたくなって、既に滲んでいた視界から本当に涙が零れた。鼻を二度啜って、息を止める。その間も何も返事をくれないアクセルは、いつの間にかさっきまでの至近距離から今は三歩以上離れてた。

離れちゃったのが悲しくて寂しくて、何かを言わないとと浮かんだ言葉に、…………最初からこれを言えば良かったと、また涙が出た。

アクセルが希望を持てる、唯一の可能性。


「それに!たとえ本当に王様にはなれなくても、英雄にはなれます……!」

「は…………?」

私と来てくれるなら。その、続けた言葉にようやく返された一音は殆ど息の音だった。

顔ごと裾で拭って、鼻をまた啜って、下を向く。逆行したとか、そんなこと信じてもらえるわけもない。だけどもしアクセルがこのまま私と一緒に故郷に帰ってくれれば、きっと間に合う。国を救える。王様になることはできなくても、国を救ったアクセルをきっと皆認めてくれる。

魔族とエルフの力強さを持って生まれたアクセルなら、きっとできる。


どういうことだと言われた返事の代わりに、指を組む。

神聖魔法で作られた結界の解除は簡単だった。結界の光がなくなったことに、すぐに気付いたアクセルが周囲を見回しては手を伸ばして弾かれないことを確かめる。アクセルにとっては自分を無意味に閉じ込めていた結界で、………同時にこの結界のお陰で、時間の流れからも隔絶されて老いも飢えもなく生きられた。浄化の効果がない結界は、それでもアクセルにとって完全に悪いものじゃなかったと今は知っている。


「二日後に、結界は張り直します」

結界さえ解けば、アクセルなら素手で扉も壊せるし、見張りなんて敵じゃない。

このまま故郷に行きたくないアクセルを、真実を話せない私は無理強いできないし、無理矢理引っ張っていくような力も知恵もない。アクセルがもう一度最初から聖典を作り始めたいと思うかもしれない。

もともと逆行する前も私の命を狙い続けたアクセルは、もしかするとサデュット帝国の聖女である私と一緒の旅自体が嫌なのかもしれない。だから、………………せめて、ここから逃げてくれたら。


私はずっとはここにいられない。たとえ一人でもアクセルの故郷は今度こそ助けに行くし、他にも助けた方が良い人達が大勢いる。もしアクセルがここから逃げてさえくれたら、ハルティアを救った後に手柄をアクセルのものにできるようにがんばれる。

仲間を失った後はそれを受け入れた人達が皆嫌いだったけど、旅の最中で仲間達が守ろうとした人達を簡単には見捨てられない。アクセルも、ニーロも、ラウナも皆が生きて、仲間達が守り抜きたかったものもできる限りは助けたい。


「また明日も来ます。けど、アクセルはいつでもここから出て良いですからね」

消えた結界と魔法陣を見比べるアクセルに告げ、指を組む。大聖堂内の聖堂へと返事は待たずに転移した。


明日、誰もいない空っぽの地下聖堂であることを心の底から祈ってから、自室へと戻った。


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