15.国にとっては幸いなこと
「一体どういうことだ……?!」
顎が外れたかのように口を開けてしまった教皇がそう言葉を漏らしたのは、勝敗が宣言されてからのことだった。
聖女が護衛候補二人と決闘すると決まった時点で嫌な予感しかしなかった教皇だが、結果は想定を遙かに超えていた。てっきり勝負にもならず聖女が逃げ惑い、最悪の場合は怪我を負わされるのではないかとばかり身体を汗で湿らせたというのに、結果として勝利した。
昨日から言動がおかしい聖女だが、それも聖典の旅という重責を突きつけられたから程度にしか思っていなかった。
自分も聖女に旅を命じる側である以上、いくら誉れ高い使命であっても反感を向けられるのは仕方がない。それでも最終的に聖典を持ちかえってくれさえすれば他は求めないと結論づけていた。
しかし、今の聖女の魔法はどう見ても心境の変化だけでは片付けられない。聖女にあの二人へ対抗できる力などないことは、彼女を育ててきた自分が誰よりも知っているのだから。
聖女は神聖魔法の才能こそあるが、その能力はまだ未発達だ。
立場上聖女に祭り上げたものの、実際の能力は今自分の傍に控えている神官に匹敵するか程度である。それでも彼女を聖女に選んだのは、幼くして神聖魔法に目覚めた才能と「聖女」という肩書きが欲しかったからだ。
実際、聖女の誕生に教会の権威は跳ね上がった。ここ長らく神聖魔法の使い手である神官が減り、神官の能力も低下している中、数十年ぶりの快挙だった。
そして何より名高き〝聖女〟であれば、聖典の旅の護衛に国の力を求めることもできる。
神聖魔法だけでは、伝説の聖典探しの旅など生きて達成できるわけがないとわかっていた。大聖堂に務める神官でさえ、神聖魔法以外の魔法はできても中級魔法だ。
だからこそ〝来たる脅威〟を作り、皇帝の権力をもって最強の護衛を駆り出す必要があった。
神聖魔法しか能のない幼子を、純粋で従順な聖女に育てた。
〝来たる脅威〟も、その使命を押しつける自分のことも純粋に信じ、どんな苦しい旅であろうとも従順に使命を全うする少女に育てた。聖典を手に入れた暁には、自分の右腕にしてやる未来まできちんと考えた。しかし、こんなに急速に成長することなど想定していない。
どういうことだと、教皇は神官へと見開いた目を向ける。
神聖魔法に全てを注ぎ、真面目に学んできた神官だからこそ聖女の行ったことがどれだけおかしいかも理解する。
「信じられません……〝あの〟結界を、たった一人で……。しかも規模から考えて最高位の結界かと……」
「?!最高位?!そんなわけはっ!神官ですら使えぬ魔法を、まさか聖女が……!」
「聖女様だからこそではありませんでしょうか……!?素晴らしい、流石は教皇様のお認めになられた聖女様です!」
ぎょっと目玉が溢れそうなほど見開く教皇に、寧ろ神官達は目が輝かせる。
自分達より遙かに若い幼女が聖女に祭り上げられた時から教皇に少なからず疑念を抱いていた神官達だが、今はその考えも改められた。聖女はたった一人で高位魔法の結界の更に上位の広範囲結界を披露して見せたのだから。
それだけで、教会所属のどの神官よりも彼女の実力が上回っていることは証明された。やはり教皇の目は正しかったのだと、彼女の才能を最も早く知り今回の任務にも任命をした教皇の心眼に、指を結び尊敬の眼差しを注ぐ。
魔物も魔力も害する全ての魔を拒絶する結界は、それだけでも高位魔法に値する。そして規模は数人を守る程度の範囲が限界だ。
しかし聖女は戦技場を包む規模を見せつけた。つまり最高位はある魔法であり、それだけでも彼女が神に選ばれた聖女であるとこの場にいる誰もに示された。
しかも、最後の魔法もまた神官達の目には神神しく映った。
「聖女様の使われたのは恐らくただの安眠魔法かと思われます。ニーロ皇子とラウナ魔導師を〝味方〟と上手く判断した上で使用されたのかと……」
その言葉に、今度は教皇も丸く息を吐いた。
聖女に神聖魔導書を課した自分でも知っている、神聖魔法とはいえたかが中級魔法だ。不眠や身体の痛みに苦しむ者に救いを与えるという面で、教会でも民へ慈悲に振るうことの多い魔法である。
なんだそうだったかと、そう呟く教皇は一度聖女を見下ろした。倒れたニーロの頭を受け止め寝かせる彼女は、遠目ではただただ呑気に寝顔を眺めているようにしか見えない。
聖女が慕っているニーロなら、慣れ慣れしさが鼻につくものの護衛にも都合が良いと思って皇帝からの推薦に幸いと思った教皇は、未だに彼女が何故ニーロを連れて行きたくないのかわからない。
まさか手を出されたか、喧嘩でもしたかとも考えたが、倒れるニーロを身を挺して庇った彼女を見ると、やはりそうとも思えない。そんな事を考えたところで、……ふと違和感に気付く。
一度こそ混乱から落ち着いた頭が、中級魔法という言葉を思い返したところで弾ける。待て、おかしいと、もう一度視線を神官へと向けた。
「たかが安眠魔法で何故、あの距離にいたラウナ魔導師まで倒れた??」
「そうなのです……!私も、いえ我々もそれが未だに信じられず……!!」
とっくに気付いていた神官は、顔が僅かに引き攣るように笑んでいた。今、自分達はまさに肩書きではなく真性の聖女を目撃しているのだと興奮がふつふつと足下から沸き上がる。
中級魔法は、適正と技術さえあれば誰でも扱えるとされる魔法の総称である。最高位の結界すら扱った聖女が使えることは何も不思議ではない。問題はその範囲と威力だ。
初級と中級魔法は純粋に本人の魔力が反映されやすい。魔力の出力が高ければ高いほど、その効果範囲も段違いに上がる。
そして聖女の安眠魔法は、単なる睡眠導入魔法だ。一般的な催眠魔法のように、標的を状況場所問わず強制的に眠らせるほどの威力はない。あくまで〝安眠〟への導入だ。眠る意思のある者に使用し、安らかに睡眠へと招くだけの魔法である。
それを、寝る意思の欠片もない臨戦態勢かつ緊張状態である人間を眠らせるともなると、尋常ではない魔力が出力されたということになる。遠距離にいるラウナまで眠らせたことからも、その出力の甚大さは証明された。
単なる出力だけではない最高位の結界と、そしてたかが中級魔法で強制的に眠りに誘うほどの効果を放つ威力を生み出した。つまりはたかが才能だけではない。
出力を為し得るだけの、甚大な魔力が存在する証明だ。
「其方の言う通りだったな。教皇よ」
突然駆けられた声に、周囲にいた神官だけでなく教皇も思わず息を飲む。先ほどまで席の離れていた皇帝が、わざわざ自らの足で歩み寄ってきた。
皇帝と立場上は近しい権威を持つ教皇だが、教会を統べる教皇と国そのものを統べる皇帝では権利の差があることが実情だった。特にこの百年近くは〝聖女〟以外の功績も教会は残せていない。
教皇に投げかけながら、その視線は真っ直ぐ目下にいる聖女へと注ぎ、皇帝は言葉を続ける。その口元は穏やかに笑んでいた。
「正直其方から六年前に神託を聞いた時には、あの少女が世界を救う聖女になるのかと疑問だった。不敗の剣闘士とあの元素魔導師が同行するならばと、其方の推薦通り聖女に使命を託すことも頷いたが、……其方が語る以上の実力者だった」
まさに聖女の名にふさわしい。と、そう称賛の言葉を掛けられ、深々と感謝を示し頭を下げる教皇だが、未だ冷や汗が止まらない。
自分に都合が良い展開の筈にもかかわらず全くの想定外の状況の数々に、胸が弾むどころか背筋が冷たく息が浅くなる。
聖女の能力を、実際の能力以上に膨らませて話したのは自分だ。
まさに聖女の名にふさわしい神聖魔法に愛された才能ある少女だと、話を誇張するどころか虚偽も含めていくつも語った。実際はまだ高位魔法もせいぜいな聖女に、高位魔法どころか最高位魔法にも習得に進んでいるとも嘯いた。あくまで「聖女がそう語っていた」という形で告げ、自分の責任は回避しつつ、神官ではなく自分が最も御せる彼女に聖典を握らせる為に奮闘し続けた。
無限の魔力を与えると言われる〝聖典〟を、自分以外の教会関係者に握らせるなどできるわけがない。自分の手元に来る前に、自分の立場を奪われるかもしれない。
だからこそ育てた。誰よりも純粋で従順で聖典を手にしても問題ない、封印を解く神聖魔法の素質を持ちながら決して傲らず、自分の都合良く生きて死ぬ純粋培養の聖女を。
「…………身に余るお言葉、痛み入ります」
しかし今、戦技場に立つ聖女は何なのか。
この世界に、目に見えない魔力を計測する手段など宮廷魔導師でも、神官でも、最新の魔道具でも存在しない。
聖女に神聖魔法の才能はあるとはわかっていた教皇だが、そんな魔力があると期待もしていなかった。その実力を知られないように披露することも滅多になかった。神官を超えない少女を、自信満々にお披露目できるわけがない。
旅に出せば、身体の成長と共に聖女の魔力も上がってくれるとは思った。
古来より魔力を上げる修行といえば、身体的負荷や過酷な経験そして魔力の使用密度だとされている。各魔法の適性と違い、努力で成長できるのが〝魔力〟であり、そして魔力を基盤として更に特別な知識技術が必要になるのが〝高位〟〝最高位〟そして更なる才能が〝神域〟である。
「教皇よ。其方も随分と心配しているようだったが、これならば本当に聖女単身でも充分に聖典の使命を……来たる脅威を払い除けることができるのではないか?」
まだたった十六でありながら、最高位魔法を操る聖女がどれほどの域に行くのか想像を絶することは間違いないと、教皇は身震いを覚えた。
聖女の魔力や能力が想定を超えることは喜ばしい。しかし、彼女自身がこれほどに力がある以上本当に手元から離して良いのかと。
教皇は当たり障りのない言葉を返しつつ、一人思考し続けた。
20時にも更新致します。




