12.聖女にとっての交渉
「すまないな聖女よ。どうしてもこの両者が、お前の断る理由に納得ができないらしい」
いいえ……、と。皇帝陛下に頭を下げたのは、昨日と同じ謁見の間だった。
今朝、身支度をしてすぐアクセルの元へ向かいたかったけれど、部屋の外で待ち構えていた兵士達に捕まってしまった。昨日皇帝陛下とお約束としたんだと、すっかり忘れていた。
教皇様と合流して馬車で城に訪れれば、謁見の間に通された。
すぐにお断りをして大聖堂に帰ろうと決めていたのに、……入ったところでまさかの展開だった。
護衛を断った筈のニーロとラウナまで謁見の間に来ていた。二人とも眉間がぐっと寄っていて、すごく見慣れた怒っている顔で私に振り返った。そんな顔をされるのは慣れているけれど、嫌な予感がする。
朝食も食べていない空っぽの胃が気持ち悪く揺れるのを感じながら、口の中を飲み込んだ。昨日は二人に嫌われることしかしてないから、もう覚えがありすぎる。
皇帝陛下に許可を下ろされ、最初に口を開いたのはニーロだった。お父さんである皇帝陛下じゃなくて、私に向かって声を張る。
「聖女!陛下の話は本当か?!俺達が足手まといだって?!」
うわあああああああぁやっぱりそれだった。
ニーロの大きい声に思わず背中を反らしてしまう。そうだよね怒るのは当然だ。だって、ニーロは国一番の剣闘士なのに、私なんかに足手まとい扱いされたら怒るに決まっている。
ニーロの険しい表情と声に、両肩が限界まで上がったまま「ごめんなさい」と言いそうになる。
隣に並んでいるラウナも、すごい難しい顔をしてる。ラウナも自分の魔法には絶対的自信があったから、私なんかに足手まといって言われたら傷つくよね。本当に本当にごめんなさい!!
ニーロとラウナを前に、昨日みたいに言葉が出てこない。
「えっと」とか「その」とか、言葉が詰まって意味も無く泣きそうになった。ここで「ごめんなさい」なんて言ったらまた怒らせちゃう。視線を右に左に泳がせても、警備の兵士や教皇様がいるだけで誰も助けてくれない。こうなるから昨日は二人がいないところで話したのに!!
皇帝陛下からも「聖女、申し開きを」と促される中、目まで回ってくる。ああどうしよう、どうしよう、ニーロに怒られると本当に上手く声も出ない。眉がつり上がって本当に本当に怒ってる顔だから目も合わせられない。ええっと何て言えば良いんだっけ……?!
口籠もっている間に、気持ち悪い温もりで身体が跳ねた。教皇様がポンポンと私の肩に腕を回して叩いてきた。それだけでゾワワッと怖じ気が走る。
ちょっと前までは安心したけど、今は嫌悪感しかない。思わず唇を絞る私に、教皇様は「任せなさい」と言ってくる。ああそうだ、きっと今までもこうやって全部教皇様に都合良くされちゃったんだ。
「ニーロ皇子殿下、ご安心ください。聖女とはもう話はついております。彼女にはとある試練を与えました。その試練を乗り越えることができなければ、お二人の護衛も受け入れると納得もしてくれました」
「乗り越えられなかったら、……って!嫌々かよ?!……ッおいヴィー!!」
ひぃっ!と身体が勝手に縮こまる。首を窄め目を瞑ってしまう。途端に今度は「なんで怯えんだよ!!」と怒られて、やっちゃったと気付く。本当にごめんなさいニーロ!!
ニーロが怖いんじゃないんだよ!?ニーロを怒らすのが怖いだけでニーロに怒られるのが嫌いなんじゃないんだけど!ニーロが怒鳴る時って絶対私が悪いことをしちゃった時だから、怒鳴られると反射的に悪いことをした気がしてしまう。
聖典の旅まではニーロが怒鳴るほど怒ることなんて滅多になかったから、多分今の私の反応は過剰なんだと頭ではわかる!わかるのに!!!!
「ニーロ!相手は聖女だ。まだ同行者ではないとはいえ口は慎め。同行の〝条件〟を忘れたか」
「っ……失、礼致しました……。申し訳ありません」
うわあああああ!ごめんなさいニーロ!!!
私のせいで皇帝陛下にニーロが怒られたとわかって慌てて視線を上げる。ニーロが苦い顔をして皇帝陛下に頭を低くしていた。
あのニーロが!!皇帝陛下のことを親父呼びしてたニーロが!!
言葉遣いを怒られることもニーロは昔からあった。皇子の中でもニーロは暫く末っ子で、王族なのに剣闘士を目指すくらい思い切りが良い男の子だ。そのニーロが皇帝陛下に腰が低い姿なんて初めて見る!
まさかこの世界は逆行じゃなくて別世界なんじゃないかと考えてしまう。陛下が言った「条件」だって私全然知らない!
なんでニーロの方が条件つけられてるのか意味がわからない。ニーロは皇帝陛下に言われて仕方なくの同行のはずなのに!
とにかくニーロがこれ以上怒られないようにと、なんとか口を動かす。
「ぁっ……あの……!も、申し訳ありません、図々しいことを申しましたことを謝罪致します……。悪いのは私、です……。ですが、わた、私の気持ちは変わりません。ニーロ皇子殿下も、ラウナ様も同行の必要はありません。私は必ず試練を突破し、一人で聖典の使命に臨みます……」
「ッなんで!!!」
ニーロ、ニーロ本当にごめんね。ラウナもごめんなさい。
二人とも本当は羨ましいくらい強くて頼れて頭も良くて優秀どころか天才なのもわかってる。声を大にしてこの場でどころか世界中に言いたい。
だけどそれを一言でも認めたら途端に「それなら」と言われるから言えない。
ニーロは自分から断るならまだしも私からこんな風に言われるなんて屈辱に違いない。
ニーロが尖らせた瑠璃色の目で私を見るのが視線だけでも痛くて顔ごと逸らす。
ニーロ怒ってる声だな傷ついてるかな嫌いになったよねと考えれば考えるほど泣きたくなる。でもそれをするとまたニーロが皇帝陛下に怒られるから唇を小さく噛んで堪えた。
今回こそ絶対巻き込まないと決めたし嫌われる覚悟もしたけど、できるだけ嫌われずにお別れしたかった。
でも仕方ない。ニーロだって今は屈辱的だと思うけど、また闘技場に帰ればきっとすぐに私のことなんか忘れて自信も回復してくれる。間違ってるのは明らかに私で、ニーロの実力は国中がちゃんと認めてる。
「聖女よそれは時期尚早だぞ?あの試練はいくらお前であろうとも……」
「ッ失礼します!皇帝陛下、発言の許可を頂けますでしょうか……?」
ッラウナ?!
教皇様の言葉に耳を塞ごうかと思った矢先だった。ラウナの言葉に、両手を下ろして目を見開く。
皇子のニーロと違って、皇帝陛下を前に緊張していた様子のラウナは胸の位置に挙手をして、発言許可を求めた。
もともと二人の言い分を私に言わせるためにここに呼んだのだろう皇帝陛下は、一言で認めてくれた。礼儀正しく一礼したラウナは、喉を鳴らした後にゆっくりと口を開く。
「聖女様の言い分も、……無理もないことだと存じます。聖女様と面識のあるご様子のニーロ皇子殿下と違い、私はまだ実力をお見せしておりませんから」
えっ。
恐る恐るといった様子で話すラウナに、やっぱりここは夢か別世界かと思う。
ラウナが?!自分の魔法に羨ましいくらい絶対的自信があるラウナが?!旅の初日にラウナのことを知らなかった私とニーロに「この私を知らない?」って怒ったラウナが!!
まさか皇帝陛下の御前とはいっても、ラウナがこんなに小さくなるなんて思わなかった。背中は伸ばしてるけど、声も小さいし視線も最後は床に落とされた。
旅中は他国の王様相手にも堂々としてたのに!旅が始まったばかりの時だってどんなに不安そうでも自分の魔法にだけは自信が揺らがなかったラウナなのに!!
呆気をとられて開いた口が塞がらない。ニーロまで平然と「まぁ確かになぁ」とか言ってどこか納得してる。
確かにラウナとは初対面だしニーロの試合もこの頃は聖女の務めや神聖魔法の勉強が忙しくて応援にいける頻度は減っていたけれど!!
本当は知ってるよ!ラウナもニーロも羨ましいくらいすごい人だってこの場の誰よりも自信を持てるよ!!!
「どうか、決闘の場にて聖女様に我々の力を示す機会を頂けませんでしょうか……?」
決闘??
ラウナの言葉に思考が止まってしまう中、教皇様が「それは良い」と一番に声を上げた。
皇帝陛下は難しい顔だけれど、ニーロまで「俺も!お願いします」って大きい声で振り返ったらすごく考え出した。ああああ皇帝陛下そうだよねニーロのこと死んじゃった後も部屋そのままにするくらい本当は大事だもんねそんなきちんとお願いされたら悩むよね!!?
「……聖女。其方はどうだ。足手纏いかどうかは、その実力を見てからでも遅くはない。教皇が買うお前の実力を見定めるにもちょうど良い」
「!お待ちください皇帝陛下。まさか聖女とこの者達を戦わせるおつもりでしょうか?!」
教皇様が急に慌てるような声を出す。
寧ろそれ以外何があるのだろう。私にあんな無理な試練を課しておいて、どうしてラウナの意見は嫌がるのかわからない。私に二人を同行させたいのかさせたくないのかわからなくなる。教皇様がどうでも絶対二人は巻き込まないけど。
汗までベタベタ流して目を溢しそうにする教皇様に、皇帝陛下は訝しむように小さく首を傾けた。「何故だ」と質問に質問で返す皇帝陛下は眉間も寄っていた。
「教皇よ。問題ないだろう。其方の話した通りの実力であれば、聖女が剣闘士と魔導師に遅れを取ることもあるまい」
「はっ……。それは、そうでありますが……」
いえ全然遅れしかありませんが?!!!!!?!!
なんかさっきから皇帝陛下の言ってることがちょこちょこわからない!!どうして?!
おかしいのは私なのか世界なのか皇帝陛下なのか。いやでも今回は教皇様が話したことっていうことはやっぱり私について嘘を吐いてた?!
今も私が見つめればあからさまに顔ごと逸らして汗を拭いている。
この頃の私は、本来なら神聖魔法なんて中級が基本の高位もやっとで、相性の良い魔物相手にだってなかなか勝てない。いくら神聖魔法を崇高視している我が国でも、最強の剣闘士と天才魔導師相手に勝てるわけなんかない!!
もしかして皇帝陛下、来たる脅威といい私の実力といい教皇様にものすっごく騙されてるんじゃ!!
「聖女の実力も功績も私が今まで申してきた通りです!皇帝陛下が確かめるまでもありません。彼女の実力は教皇である私が把握しております」
こうせき??
やっぱり教皇様がおかしなこと言い出した。私の初めての聖女らしい仕事なんて聖典を持ち帰ったことくらいだし、それまではずっと大聖堂で神聖魔法の勉強か、たまに大きな礼拝や式典で人前に出るくらいで、聖女の功績なんて言えることは何もやっていなかった。
聖典の旅が決まった時もこれが聖女の使命だからすぐ了承と手続きをして、旅支度も三日で済ませて旅に出たし、こんなふうに教皇様と皇帝陛下のやり取りを聞くこともなかった。
「ニーロ皇子殿下と魔導師ラウナ二名の実力を示すだけならば、聖女が前に出ずとも双方を戦わせれば良いだけの話です!」
「はァ??」
思わず、声が出た。やっぱり教皇様はこの世界でも愚者だった。
「?!せっ聖女、今何を……?」
ニーロとラウナを戦わせる??あり得ない。
二人とも私と違って羨ましいくらい強いからお互いが戦ったらどっちも怪我しちゃうのに。なんで、よりにもよってそんな最悪な組み合わせ考えるの??ああそうだそうだよね。教皇様はずっと、二人の命なんてどうでも良いもんね?ただ聖典を手に入れる手段さえあれば!!!
「わかりました皇帝陛下。私がお二人の相手をします」
一歩前に出て、胸を示す。
私の発言に、教皇様が「なにを」とひっくり返った声を上げた。大きく顎を反らしてそれから私に息がかかるくらい顔を近づける。私が無視して陛下を見つめても耳の横で「やめとけ」「撤回しなさい」と言ってくる。
やっぱり教皇様は私の本当の実力を知ってる。この頃からだめだめだった私の実力を。
そして私を心配なんかしていない。
二人に負けて皇帝陛下に嘘が知られるのと、聖典を手に入れる便利な言いなりが怪我して不良品になったら困るだけ。
私に眼球が溢れそうなほど目を向き眉を上げる教皇様は、潜めた声でごちゃごちゃ言いながらもいつものにやけ顔が今は僅かに歪んで強張っていた。
私の実力も知って、弱いと知っていて、それなのに危険な旅に任命されるように仕組んだ人。お荷物の私を、強くて優しい二人に背負わせた諸悪の根源。
大事な二人を私の為に怪我なんかさせないしこんな人の思い付きで傷つけない。三人とも絶対に今度こそ平和に楽しく過ごしてもらうんだ。
仲間の為ならなんだって頑張れる。
私の合意と皇帝陛下の指示の元、城内の戦技場の準備が命じられた。
20時にも投稿致します




