11.半魔にとっての理由
ガリガリガリと、ペンの振動が腕まで響いて麻痺に近い甘い痛みを覚えるようになった。
─ 帰りてぇ。
紙を広げながら、ペンを走らせる。字が乱れても手が汚れても染みがついても床にインクが広がっても構わずひたすらに。
振動は腕から耳にも響いて聴覚も埋める。閉じ込められてまだ七十年なのに、それ以上に長くてうんざりする時間だ。
もう聖典しか、手段がない。
最近また代替わりした教皇も結局役立たずだった。
俺の半魔は浄化されない。神聖魔法はここ数十年なかなか良い神官が現れないと宣った。知るか知るかそんなこと俺はもう七十年も待ってんのになんで見つからない??
神聖神聖神聖神聖と。神聖魔法を特別視し信仰するこの国は、一握りの神官にしか神聖魔法の公的使用を認めないからきっと衰退した。人間族は短命の分際で相も変わらず愚かだ。
七十年前の教皇は言った。これからこの魔法陣は呪いの進行を食い止め浄化も進める。数十年も経てば神聖魔法も発展する、新たな才能も生まれる。神聖魔法の新たな浄化を使える神官が現れたら必ず試みる、いつかはきっと浄化されると言った絶対言った。なんで、なんでなんでまだ現れない??
もう七十年、神聖魔法は、まともな浄化魔法を使える奴はいつ現れる????
─ 帰りてぇ。
「……戻れねぇ」
インクが滲んだ。もう一度、行の最初から書き直さないといけなくなった。何度も何度もやり直しだ。
なんで俺は王子なのに、一体いつまでこんなところでペンを握っていれば良い?
半魔を消さないと、国に帰れない。父上にも母上にも弟達にも妹達にも、七十年会っていない。俺の知らない弟妹もきっと生まれてる。
この呪いをただ浄化できれば済むだけの話なのに、何故俺だけが。なんで、こんなに難しい?なんで俺だけ解けない??
浄化の事例は無数にあった。ハルティアでも何人もエルフは浄化で呪いを解いた。半魔なんて、魔物の影響を受けるだけの疾患みたいなもんだろ??
神聖魔法だってその質はハルティアもこのサデュットも変わらない。神聖魔法の権威でも俺だけは浄化されない。
何故だ、俺が何をした??生まれる前に俺だけが何をした?なんでよりによって俺がこんな呪いを受ける??
魔物に呪い侵されたこの俺を、誰が受け入れる?
死んでも帰れねぇ。半魔の王子なんか誰も認めねぇし信用されねぇ。知られたら俺だけじゃない王家全員が後ろ指を指される。
エルフにとってどれだけこの身が悍ましいか。聖域を愛するエルフ族が、その王子が!なんでこんな呪いを受ける?!
「頼む、頼む……これで、これで今度こそ、…………今度こそ」
誰に頼んでいるのかもわからねぇ。
言いながら、またインクが滲んだ。視界がぼやけたのと殆ど同時だった。ああまた溢れた。
ぼたり、ぼたりと書けば書くほどに目から落ちた水がインクを滲ませ紙を染みにする。腕で擦っても、歯を食い縛ってもまたすぐに滲む。あああ駄目だまた暫く書けなくなった。
ペンを握ったまま拳を床に叩きつける。ペンからインクが跳ね、拳の骨にまで痛みが走る。ガン、ガン、と魔法陣の上じゃなかったら床を砕いてた。
エルフなのにエルフにはあり得ない身体能力も、魔力も、いくら臣下に突出していると煽てられても笑えたことがない。
こんなの、エルフじゃない。
「いい加減にしろっ……」
ペンを走らせられなくなった拳を叩きつけ、空虚に乞う。
聖典ができるまであと何百年かかる?こんなことなら七十年前から取り掛かるんだった。お陰で今から七十年またさらに無駄にする。
父上と母上は健在なのか。俺なんかに見切りをつけて弟達から継承者を選んだか。
「何年でも待つ」と、言わねぇで欲しかった。もう諦めたの言葉をくれ。半魔の王子を公表だけはやめてくれ。王家全ての歴史が終わる権威が終わる。もう帰ってくるなでもなんでも良いから
─ 帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りてぇ帰りたい!!!
「なんでっ……なんで俺が!この俺が!!!エルフの、よりによって王族の俺がこんな目にっ!!……っ。俺じゃなくて良いだろっ……」
慟哭し、最後は結界に拳を叩きつける。
エルフじゃなかったら王族じゃなかったら責任なんかなかった。ふざけるなふざけんなお陰で国を!何十年も待たせてる!!!
どうすりゃあ良い?どうすりゃ消えてくれる許してくれる?聖典さえ、聖典さえできりゃあ終わるのか?終わるんだ決まってるそうじゃねぇと俺は何処に行けば良い??!
濡れた手で頭を掻きむしり、ぶちぶちと抜けた髪が絡まった。エルフの金でも銀でもない、濁った青黒の髪を床に叩きつける。俺の髪はこんなんじゃねぇ。髪も目も、魔力も全て!!!
「元に戻してくれよっ……」
首を絞められた鶏のような声が反響した。きっと鶏だ。俺の声じゃない。……俺の言葉じゃない。
今泣いてる自分の姿も醜いと、頭で浮かべば誰も見てないのに顔を覆い疼くまる。
こんな姿じゃあ誰も俺を〝俺〟だと認めない。
………
……
…
「………………あくせる……?」
目を開いた先は、私の部屋だった。
窓から朝日が漏れていた。消えたランプの上でモイが眠ってるのを見つめながら、今は癒されない。
暫くは瞬きもできなかった。代わりにじわりと涙が溢れてきて、わけもわからず鼻を啜る。
いま、アクセルがいた。アクセルの姿は見えなかったけど、あれは間違いなくアクセルの手で、視界で、声で
で
〝心〟だった。
「アクセル……今の、アクセルの……七十……七十年経ってからのっ」
私の声でモイが起きて、ランプから落ちかかる。
わかった瞬間、どくどくどくと心臓が一気に鳴り出した。夢、じゃない。あんなの絶対に。完全に、封印されてから七十年、今からでも三十年は前のアクセルだった。
私が、私がアクセルになっていた。ああ自分で考えてもおかしい!!時間が戻っただけじゃなくなんでアクセルに?!!
「でもあれを、本当に思ってたなら……」
ずびっと鼻を啜りながら、目を拭う。
気づいたら夢の中のアクセルと同じように腕ごと使って拭いていた。さっきまで、……やっぱりアクセルだったんだ。
ごめんね。ごめんなさいアクセル。アクセルが半魔を治したいと思っていたのは知ってたのに、あんな風に思ってたなんて知らなかった。三十年も前から、ううんきっともっと長い間辛かった。
ごめんなさい、ごめんなさい。勝手にアクセルの気持ち知っちゃってごめんなさい。
ちゃんと、その分の責任はとるからね。
「……言おう」
拭いた後からまた涙が滲んで、今度は指で拭う。今のが夢か、神託か神聖魔法なのかわからないけど、あれがアクセルだったのは間違いないとわかる。
アクセルにとって望まない事実でも、ちゃんと言わないといけない。信じてもらうのがどんなに大変でも、絶対。
アクセルをもう傷つけたくも悲しませたくも苦しませたくもないけれど、今は何よりも……
終わらせて、あげたい。
明日11時にも投稿致します