9.聖女にとっては好感触
「その恰好教会関係者だろ!いつものジジイはどうした!!」
うわーうわーうわーーー本当にアクセル変わってない!!!すっごい元気!!
地下聖堂に幽閉されていたって聞いたから、どれだけ大変だったかと思ったけれどやっぱりアクセルはもうこの時点でアクセルだった。
ハルティア第一王子アクセル。百年以上前から秘密裏に地下聖堂で魔法陣の中に幽閉されていた半魔のエルフだ。アクセルは事情があって生まれつきの半魔で、〝浄化の国〟として栄華を極めたこのサデュット帝国の大聖堂で身体に蔓延る〝魔の呪い〟を浄化させる為、ハルティアから預かっていた。
でも、当時の神聖魔法でもアクセルの魔を払うことはできなくて、最終手段として残ったのがこの魔法陣だった。
〝浄化魔法〟としては今でも最高位の術式で、魔法陣の上は神域になる。
魔物も魔族も魔法陣の中に入ることはできず、閉じ込められたら出ることも魔法を使うこともできず時間の経過と共に浄化される神聖魔法だ。魔族による呪いや毒それに病気だって、この魔法陣の中に入れば浄化されるから古来から皇族への特別な治療法としても使われていた。アクセルを浄化し終えるまで、地下聖堂に魔法陣を展開して預かる、……のが、その百年以上前のことになる。
それからアクセルは治療中のままで半魔が治ることはなく、ただ封印という形で幽閉されるだけの結果になった。
アクセルの魔が浄化されれば問題なかったけれど、半魔のままだとこの魔法陣から出ることもできない。
まさか百年も教会が治療不可能を認めずに治療中と言い張ってハルティアからお金を貰い続けていたなんて、当時アクセルから聞いた時は信じられなかった。
エルフは時間の感覚が私達人間とは違うし、封印中は空腹も何も感じない。要求すればなんでも差し入れされたから不自由はなかったとアクセルは言ってたけど、……こんながらんと広くて静かなところに百年なんて酷すぎる。
「べそべそしたりニマニマした次は哀れんでんじゃねぇ!気持ち悪ぃんだよ出てけ雑魚!!」
「しっ、失礼しました……。わた、私……教会に聖女を仰せつかっている者で……」
顔に出ちゃったと、アクセルからの二冊目が髪に掠ったけど、それよりも顔を拭いながら答える。
アクセルになら本をぶつけられても別に良い。逆行前はもっと痛いものを私の代わりに受けてくれた。……でも、狙いが良いアクセルだからきっと二冊ともわざと外してくれたんだなぁ。
本当に本当にアクセルは羨ましいくらい優しい。本より本の中身が大事なんだよね。覚えるまで何度も読んでたんだよね。勉強熱心なアクセルが羨ましかったよ。
「聖女だぁ?」と片眉を上げるアクセルは、振りかぶっていた三冊目を下ろした。
思い出すなぁ、初めて会った時もこんなのが聖女かって言われた。あの時よりも今の私はもっと若いし、長命種のアクセルはこんな私じゃ絶対頼れないよね。
「アクセル王子殿下と、存じます。この国の聖女としてお願いがあります。どうか私の話を聞いていただけませんか」
「見返りは?」
アクセルだぁ……と、また嬉しくて顔が緩んじゃいそうなのを口の中を噛んで我慢する。
目までまた濡れかけて何度も息を細かく吸って堪えた。そうだよね、アクセルはすごく合理的だもんね。それなのに、最後まで私の旅に付き合ってくれたんだよね。
声を低めたアクセルに、もう一度深呼吸する。アクセルに旅に同行してもらう。魔法陣にいても、何も良いことなんかないって私は知っている。逆行する前は存在にも気付けなかったけど、今度こそここから助け出してみせる。一歩ずつ歩み寄りながら、決めていた言葉を続ける。
「この魔法陣を解除して、ここから出します。貴方の故郷であるハルティアまでお連れします。ですからどうか、それまでの間だけでも私と共に旅に……」
「却下」
言い切る前に断られた。
あれ??と、首を捻りながらもこういうかぶせ方もアクセルらしいなぁと思う。アクセルは羨ましいくらい頭が良く、相手が何を言おうか言い切るまえにわかっちゃうんだよね。
理由を尋ねる前に、アクセルは背中を向けて座り直した。ペンを片手に床に直接置いた紙にカリカリと何かを書いている。回り込まないと私には何を書いているのかもわからない。アクセルはずっと封印されていたことだけで、何を勉強しているのかまでは知らない。
コンコンと結界をノックしようとしたら、手が付き抜けた。背中を向けたアクセルが気付いてないうちに慌てて引っ込める。
神聖魔法の結界だから、魔物じゃない私のことは弾かないんだったと当たり前のことを思い出す。魔法陣で発動し続けているせいでまるで硝子みたいに結界が艶のある光を纏っているから忘れちゃっていた。代わりに魔法陣の眼前まで近付きもう一度呼びかける。
「な、何故ですか……?あの、この魔法陣が貴方の望みを叶えられないのはもう気付いておられます……よね……??」
「……。言うじゃねぇか。教会関係者の分際で」
地を這うような低い声で、アクセルがゆっくりと振り返った。
ぎろりと鋭い眼光が今は元の金色に戻っている。冷たい眼差しは侮蔑も纏ってて、懐かしくてもゾクッと背筋まで冷たくなった。昔はよくこんな目をしてた。
アクセルは、気付いてた。百年も効果がないこの魔法陣が自分の半魔を消してくれないことを、ずっと昔から。だから、今回は外に出しますって言えば協力してくれると思ったのに。
じとりと湿った眼差しは、暗い影を落として私を映した。口を一本に結んだまま睨み続けるアクセルは、ペンをまたすぐ置いてしまって頭を掻く。
「百年以上経って今更話が通じる奴が現れるとはなぁ。……その通りだ。俺はもう、魔法陣も神聖魔法を使うお前らも信用してねぇ」
「!でしたら、どうか私と一緒にきてください!命にかっ、代えても!故郷までお守りしっしぁす!」
うわああああああああああアクセルに褒められた!!!!
話が通じるって言ってくれたのが嬉しくて、思わず声が大きくなってひっくり返った。こんなに最初から褒めてもらえるなんて思わなかった!
やっぱり私達出会い方が悪かったね!最初アクセル私のこと殺そうとしてたもんね!!一回勝ったらその後も私を殺す為に毎日追ってきてくれたよね!最終的にアクセルとも旅ができて私はすっごく嬉しかったよ!命狙われて良かったって本当に思ったよ!!
一緒に来てと言いながら目が回って顔が熱くなる。どうしよう魔法陣を超えてもっと近くに行きたいけどアクセルのお部屋なのに勝手に入ったら失礼だよね!?
口が変に笑っちゃったまま上手く引き締められない。前のめりになっちゃう私に、アクセルは僅かに背中を反らした。顔を顰めて、頭を掻いていた手を今度は顔の前で横に払う。
「帰る気はねぇ。お前も聖女なんて言ってもたかが知れてるだろ。前回の差し入れで寄越された本も読み終えてねぇ」
そう言いながら、一番近い本の山に手を置いた。
でも、納得できない。本が読み終えてないからまだ出たくないってこと??アクセルが本好きなのは知っていたけれど、こんなところに封印されても良いくらい好きなんて知らなかった。
十秒くらい沈黙しちゃうと、またアクセルは暇になっちゃって背中を向けてペンを走らせ出す。どうしようちゃんと会話なんて逆行前もできたこと少なかったから、会話の往復が難しい。
嫌われる覚悟はあるけど、嫌な思いはさせたくないからどうしても話す前に心配になって言葉にするのが不安になってすぐに黙ってしまう。あああ旅中もこれで仲間を何度も苛々させちゃったの思い出す!!
暇にさせちゃったことにごめんなさいを心の中で繰り返しながら、なんとか頭を回す。
「じゃ、じゃあ!その山を読み終えた後は……」
「無理」
「そっ、そっそれはどぅしてです……か?」
「……………………書いてる」
胸を手で抑えながら言えば、バクバクと心臓の音が手のひらに伝わった。ああ緊張する。ぼそりと呟くようにお返事くれたアクセルの言葉も、心臓が少し落ち着いてから意味を考えた。書いてるって、さっきから走らせているペンのこと?
こんなにたくさん会話してくれるんだなぁって、また余計なことも考えちゃう。前は私が話しても途中でそっぽ向いたりどっか離れちゃったり寝ちゃったりも多くて寂しかった。
カリカリと書き続けているものが気になって、アクセルの正面に回り込む。魔法陣の中に入りたいけど勝手には駄目だし。
「何を書いているんですか?」と尋ねながら魔法陣を伝い正面に回り込めば、今度は避けずにそのまま書いているところを見させてくれた。
本を読んでるって言ってたのに、今は書くことに集中しているアクセルはペンを走らせるのもすごく速かった。
エルフの文字かな?と、最初に思う。アクセルの字は相変わらず殴り書きに見えてすっごい綺麗なのに、それでも読めなかった。魔法陣の外から目を凝らしても、やっぱりわからない。
私は神聖魔法で手いっぱいで、ラウナもエルフ族の字は読めなかった。でも、文字の感じからエルフ文字でも無いように見える。もうちょっと古めかしいというか、なんかちょっと見覚えがある……
「古代文字……?」
「知ってんのか。凡族でも聖女か」
「!読っ………読めないですけど!し、しし知ってます!」
褒められたぁあああ!!なんだろう、このアクセルやっぱりちょっと優し過ぎないかな??まだ初対面だからかな。
不意打ち二回目にまた表情に出ちゃったら、ちょうど顔を上げたアクセルに嫌そうに顰められた。慌てて両手で顔を隠して意識的に顔に力を込める。あとアクセル、〝凡族〟って人間族への差別用語、今は古くて異種族も使わないよ。
今度は舌打ちが聞こえて、ガリガリガリとペンを走らせる音がちょっと大きくなった。苛々させちゃったんだなってわかって、顔がきちんと引き締まるまでずっと手で覆って隠す。
でも、アクセルに二回も褒められるなんて滅多になかったから嬉しくて嬉しくて……今度はちょっと泣きそうになってなかなか顔から手を下ろせない。
「……。聖典書いてる」
「ッ聖典!!?」
え!!と、今日一番の声が出た。
大きな声を出しすぎたせいで、呼んだと思われたのかモイまで「ピィ!」と返事をしてしまった。
梟の姿のままだけど、連続で二度びっくりする。違う違う!と両手を振って断る。もうモイの中じゃ自分は聖典の認識らしい。
私の大声がうるさくて片耳を押さえたまま眉をつり上げたアクセルは、魔族由来のギザリとした牙を剥いてこっちを睨んだ。モイを怪しまれないで済んだことにほっとしながら、大声を出したことを慌てて謝る。「ごめんなさい!」と繰り返しながら、何度も頭を下げたら目までは染まらず許してくれた。魔物も魔族も大嫌いだけど、…………やっぱりアクセルの目は好きだなぁ。
本気で怒ってるかどうかわかるのも、私には顔色よりも読みやすくて良かった。
「せっ聖典を、書けるのですか?」
「当たり前だろ何年生きてると思ってんだブッ殺すぞ」
ごめんなさい!と頭を下げながら、頭がぐるぐる回る。
ああでも、今思うと確かにアクセルは聖典を探す旅をしていた私達と同じくらい聖典に詳しかったところもある。旅に同行してくれることになった理由も、伝説の聖典が興味あるから見てみたいっていうのが理由だった。そっか、もうこの時からアクセルは聖典のことをよく知ってて……書ける?えっでもそれって
「伝説の聖典の中身をご存じということですか?!そんなっ、そんなことどうやって!!」
「そっちじゃねぇよ雑魚。〝聖典〟はもともと最古魔導具だ。魔道金属も魔道鉱石もねぇ時代に紙とペンだけで魔力発動できるようにした魔導具の中で今も昔も究極形態だぞ」
コレの仲間、と。アクセルがトントンと足の先で突いて魔法陣を示す。
でもそんな難しい歴史なんて知らない私には「へぇぇ…」しか出ない。アクセルは本当に羨ましいくらい博識ですごい。
アクセルが長く話してくれることが嬉しいのもあって、しゃがんだまま聞く体勢になる。確かに魔法陣も古い魔導方法なのは知ってたけど、てっきり聖典って魔導書に近いものだと思ってた。以前のアクセルもそんな語源までは教えてくれなかった。
昔は魔導具って言っても金属や魔法樹の杖じゃなくて紙とインクで魔力を発動してたと思うとすごい。もしかしてエルフの中には今もそういうやり方で魔法を使っている人とかもいたのかな。
そんなことを考えていれば、アクセルのペンを走らせる音が少し小さくなった。チラッチラッって二回私の方を目だけで睨んで、溜息を吐くとまた口を開いた。もしかして、見られてると書くのに集中できないのかな。
「だから、……〝俺に都合良い〟聖典を作ってんだよ。理論上はこれで半魔も浄化できる」
「えっ」
ぼそぼそと説明してくれるアクセルを見つめながら、思わず声が漏れた。半魔を?浄化できる????
アクセルが話していることは、ちゃんとわかったつもりだ。聖典は魔道具の一種で、書き込まれた魔道計算式や呪文が〝本〟として一つになると完成する。
魔導計算式や呪文を組み合わせれば術式として新しい魔法を作れるのも、ラウナが話していたのを聞いたから覚えてる。
だから最新の魔導術式を作って、それを発動できる魔道具を作ってる。その魔法がアクセルの半魔を浄化できる、つまり解呪か浄化系統の術式。
アクセルは羨ましいくらい頭が良いし、きっと完成したら本当に歴代最高の浄化魔法だって作れちゃうだろう。だけど……
「教会の連中も誰も使えねぇ以上俺が作るのが一番早い。封印中は腹も減らねぇし永遠に集中できる。もう二百年くらいはこのままで良い」
淡々と言いながらペンを走らせたアクセルは、途中でまた詰まると本の山からがさごそと探って開いては書き出した。
本の山はエルフの文字もあれば、私も読める共通文字の本もある。でも多分この全部が神聖魔法の魔導書や聖典に関する本だ。
私より、聖典を探していた私よりもずっと多くの本をアクセルは読み続けていた。伝説の聖典以外もきっと、ハルティアとサデュット帝国の書物全部を。
「わかったら帰れ」とまたペンを走らせ始めるアクセルから目が離せない。
会えてうれしい筈なのに、今は胸が痛いくらい締め付けられた。自分の反対の腕を掴んで、爪を立てても我慢できなくて。口の中も血の味がするまで噛んで、堪える。頭に蘇るのは逆行前のアクセルと、ここに来る前に条件を突きつけてきた教皇様の言葉だ。
『ただし条件がある。もしできなければ旅にはニーロ皇子達を連れて行け』
どちらにせよ私一人での旅は許さないように言い負かされた。
ニーロもラウナも巻き込まない為にもアクセルを連れ出さないといけなくなった。でも、最初からアクセルのことも諦めるつもりもなかったから頷いた。……だけど。
『聖女として、アクセル王子の半魔を浄化してみせよ』
そんな方法は、存在しないのに。




