第1話.少女との出会い
窓側の、教壇から遠い席。ちょうど中庭の枝垂れ桜が見えるこの席が私の席。この季節には枝が青々とした葉に埋もれ、暑さに項垂れているようにも見える。
「おーい」
後ろから、肩をつつかれた。
「ナギ、プリント来てるぞ」
「ん...」
「ごめん。ぼーっとしてた、ありがとう」
「ううん。瀬田さん、今日もノート写す?」
「あー...」
「いいよー、今日も朝からげっそりしてたし。大丈夫?」
「うーん...なんとか。いつも助かります」
「いいえー」
私は昔からよく体調を崩す。体調が悪いと、昼夜問わず急激に眠気に襲われる。厄介なことに、その眠気の中無理して起きようとすれば何をしている最中であっても、倒れるか、気絶して倒れる。井上さんは面倒見が良く、周りもよく見えていて、私のことも気にかけてくれるようになった。入学当初から、たとえ席が離れていてもこうやって授業ノートを見せてくれる優しい人だ。
いつものようにノートを写真に撮らせてもらう。
「井上さん、ありがとう」
「全然!」
「じゃあ、また明日」
「あの...」
「え、どうかした?」
「瀬田さんにちょっと聞いて欲しい話があって...」
私に?井上さんが?いったいどういう...
「ナギ、いこ」
「あー...ごめん、今日はちょっと約束してて」
「そっか...ううん。私こそごめんね、引き留めちゃった」
「うん、ごめん...じゃあ、また」
「うん!また明日...」
急いで教室を出る。井上さんのことが少し気がかりだけど、今日は約束があった。
「ナギ、今日はみつかる?」
わからない。けど、探すしかない。まだ下校する生徒や部室に向かう生徒が多くいるなか、階段を駆け降り足早に中庭に向かった。中庭には他の生徒はおらず、たまに先生が通るだけだった。これなら多分大丈夫。
「ナギー、また中庭ー?」
「ねぇ、もう一回覚えることを話してみて」
「えー...、昨日も同じ話したってー...」
「いいから、ここならなにか思い出すかも知れないし」
私が彼女と初めて会ったのは、1週間前のことだった。授業中は不思議と眠くなる。多分学校という場所だから。常に人が集まり、常に活動が絶えない、そういう場所は私には疲れる。その日もいつものように窓からぼんやりと外を眺めていた。一瞬、桜の木の下に女の子がいるような気がした。綺麗な茶髪...あの子、授業を抜け出したのかな......
「......さん...、....たさん...、もう昼休みだよ?」
え...
「ん...寝過ぎ、た...?」
「うん、1限から4限まで」
井上さんがふわふわと笑う。多分こういう人が人に好かれるのだと思う。
「大丈夫?昨日も寝れなかった?」
「うん、まぁ...」
あれ...あの子まだ...
中庭まで走った。急に立ち上がったからか、井上さんは驚いた顔をしていたけど、今それを考える余裕はない。朝に見たあの子がまだ居たような気がした。何時間もあそこに居たのだろうか。真夏の外で何時間も...
やっぱりいた。見間違いじゃなかった。私と同じ制服を着た女の子が、木の影に隠れて蹲っている。
「ねぇ、大丈夫?」
「え...?」
女の子が驚いた顔でこちらを見上げる。ずっと、泣いていたのだろうか、目は赤く腫れていた。
「なにか、あったの?」
「...えっと...」
「ごめん、初めましてだよね。私、瀬田凪沙」
「凪沙...あの...私落とし物を探してて...」
「それでずっとここに?」
「うん。すごく大切な物だから」
彼女の手は土で汚れ、切り傷や擦り傷までできていた。見ていて痛々しいほどに。
「手伝うよ」
「...え?ほんとに!!」
「うん。でも、その前に...」
彼女の手を引き、1番近い手洗い場まで向かう。
「待って待って、私大丈夫だから!」
「だめ。土には雑菌も細菌も多いの。そんな手で...」
「でも、私は...」
「瀬田?」
...中川先生だ。良い先生だけど、私は口煩くてちょっと苦手なんだよな...
「瀬田、お前、今日は1限から4限まで寝てたらしいじゃないか」
「はい...すみません、課題はちゃんと出すので...」
「そういう問題じゃない。お前の体質は知っているし、できるときにしっかり勉強もしているようだが、もっと意欲的にだな...」
「すみません先生、今は急いでいるので...」
ごめんなさい先生。今はタイミングが悪すぎる。
「あ、おい!急いでるって何を...」
「すみません、今はこの子の落とし物を一緒に探してるんです」
立ち止まる彼女の手を引き、その場を離れようとする。
「瀬田!」
捕まってしまった...この人話し始めると長いんだよな...
「瀬田、話くらいちゃんと聞け。落とし物なら職員室に届いているかもしれない。それに...」
確かに、それは一理ある。彼女の手を洗って、保健室に行ったら、まずは職員室を当たってみよう。
「それに、この子って誰のことだ?知っている生徒なら先生も...」
「だから、私の隣に...」
彼女は申し訳なさそうに俯いていた。
「隣?なんだ、お前先生をからかっているのか?」
そうかこの子...
「すみません。多分トイレに行ったか、別のところに探しに行ったみたいです」
「そうか、まぁ気をつけろよ。じゃあ先生、先に職員室に行ってるからな」
横目で彼女をみる。私と同じ制服を着ていて、私より少し身長が低い、綺麗な茶髪で、落とし物を探している普通の女の子。でも、彼女は他の人には見えていない。
私にしか見えない、そういう類いの者だ。
少しずつ投稿して行きます。読んでいただきありがとうございました。