非常事態❹
思えばあの時もそうだった、三輪車の上で、すきっ歯の口をあんぐりと開け、まるで昔話のジャックと豆の木から出て来たかのような異形のタワーを見上げて、まだ声変わりすらもしてない黄色い声で、精一杯に叫んでいたのは、歓声か、それとも恐怖の悲鳴だったのか?
望んでいた世界を前にして、マヌケにも尻込みしてしまう、そして喉元過ぎれば・・・そんな繰り返し、何を学んできたのだろう、いい加減自分が嫌になる。
この三郷村も、あの頃から災難続きだったなあと、ひとしきり感慨に浸った後で、やはりコロナで始まって、ただの一度も回復傾向を見せない令和の時代に、さすがにそろそろ、不幸も打ち止め、これ以上の災難など望めないだろうとたかをくくっていたのだが・・・
待てよ、何だか見覚えの有り過ぎるような場所だな、スカイツリーの隣に建ってるのは・・・そうだ! 怪獣に踏み潰される石油タンクに似ているが、中身は油ではなく米の入っている〈ライスセンター〉、その向かいにある平べったいプレハブの建物は、新しく出来たデイサービスの事業所、ボケ老人という言葉が放送禁止用語になって、口当たりは良いけれど何の問題解決にもならない認知症と改名された頃に出来た建物だ。そして三叉路にポツンと置かれた、いつも生ぬるい缶ジュースしか出て来ない、塗料が剥げてサビだらけの自動販売機、少し向こうには同じく田んぼのただ中に建つ三郷中学校の姿も見える・・・そして何よりもマズい事に、当のスカイツリーが建っている場所というのが、ドンピシャでおれん家の田んぼの中だったのだ!
こうなるともう、引きこもってなんかいられない、やっと、遂におれが、自発的に行動出来る、非日常的な環境が整ったんだ!
太宰治が、戦火の中で特に精力的な仕事をしていたと、何かの本で読んだケド、今のおれなら、その時の太宰の心境も良く分かる、太平洋戦争という、ある意味異世界の出現が、大衆と太宰の立場を逆転させたのだ。
おれも布団から飛び出すと、走って隣の弟の部屋へと駆け込んで行った、おれの部屋からは、北にある田んぼの様子は見えないのだ。裕太は会社か、当たり前か、まだ平日昼間の11時だ、職場でもエラい騒ぎになってんだろうな、ひょっとしたら、早退して昼頃には帰って来るかも知れない、って、おお! マジでスカイツリーじゃんッ!!
窓の向こう、300メートルほど向こうに、ドーンッ!と建っているのは、紛れも無く東京スカイツリーであった、いや、今はむしろ、三郷村スカイツリー、いや、安曇野スカイツリーとでも呼ぶべきか? そういや、ミルキーウエイなんてのもあったな。千葉に在るのに、東京ディズニーランドって呼んでるくらいだし、名前なんて曖昧なモンだ。それよりもこの、罰当たりでバカげたような存在感! 今だったら、バベルの塔を初めて見た時の、神の怒りすらも分かるぐらいだ。周囲が平坦な田園であるだけに、尚さらに強く感じる、こんな建物は、自然界に在ってはならない、むしろ自然に仇なす異物なのだと。
背後に足音が聞こえたので振り返ると、父ちゃんが立っていた、やいやいやい、エレ〜こっちゃねえかい? お、都庁もボンヤリ見えるじゃねえか。おれの横に来て、窓に顔をくっつける。で、どうしてビールを飲んでるの? ジト目で缶ビールと父ちゃんを交互に見ると、こんなん素面で見られる訳ねえだろ!と悪びれもせず、スカイツリーをツマミにグビっと一口。
こりゃ〜、消えちまった東京の方でも、大騒ぎしてるづらな〜、ゲップと共に吐き出された言葉で、おれは東京のおじちゃんの事も思い出した。30年も前に、何の目的もなしに東京に行ってしまった、マザコンでダメダメな、父ちゃんの弟である。そう云えば、おじちゃんは大丈夫かな?
お、そうだな、電話してみるか? 父ちゃんも今気付いたとばかりに、窓枠にビールを置くと、ポケットのスマホを取り出した。あれ、繋がんねえぞ、なんだアイツ、またケータイ止められたか?
だったら、アパートの大家さんの方に掛けてみたら?
おお、そうだな、よし、え〜と、あったあった・・・あ、もしもし〜、はい、はい、そうですか、どうも・・・やっぱ留守みてえだわ、ポストに新聞刺さったままだっつうし、昨日から帰ってねえみてえだぞ。
おじちゃんの行方が分からない? このタイミングで? それに、ウチの田んぼと畑に、スカイツリーと都庁って・・・いやいやいや、幾ら何でも飛躍しすぎだ、落ち着け、おれ! なんぼおじちゃんが子供っぽいからって、こんなバカな事をするはずが・・・




