非常事態❸
いっぽう肝心な仕事の方はと云えば、これがまあ、嘘のように順調で、命綱もヘルメットも無しに、まるでだるま落としを逆再生するような驚異的で稚拙な建築は、ドーナツ状に形成された木製のパーツを、ダイソーで100円で買った、中華製の瞬間接着剤でひたすらに繋げてゆくという、まるで夏休みの自由工作のような大らかなものであって、歴史の重みすら無い建設当初から、それはピサの斜塔のように危うげに傾いていたのだけれど、稀に素面の状態である親方が、途中でその歪みに気が付くと、今度は少し逆にずらして貼り付けてゆくといった、工賃以上にどんぶり勘定なものであったが、しかしそこは70年の経験から来る職人技とでも云うべきか、それでも100メートルまでは無事に進んでいったので、区切りだしお祝いしようと、村長は奮発していつもの〈ダイアナ〉ではなく、豊科町のスナック〈ペレストロイカ〉へと皆を連れて行ったところ、親方はそこの雇われママである、ロシア国籍のライサの、紅く燃えるようなブロンドを見るなり、既に〈ダイアナ〉の記憶も今は昔、うっぷるるるるぅ〜、と謎の言葉で時間も空間も飛び越えると、たちまち北国のおふくろの味噌汁も思い出し、すると出兵前夜に牛小屋で操を捧げてくれた、お下げともんぺ姿も可愛い、今は亡き婆さんの若い吐息が、フッと甘く額に触れたかと思うと、途端にムクムクとゴルバチョフ親方の額のシミも熱くなり、するとたちまち見つめ合う二人の内で革命の炎が燃え上がり、擦り切れたレコードに合わせて有袋類のような濃密なチークを演じた後で、そのまま社名を書いたハイエースに乗って愛の逃避行へと消えてしまったので、当時まだ学生で、小遣い稼ぎでこの店にバイトに来ていた韓国人のジョンヒョ青年は、ここから『愛の不時着』のインスピレーションを得たに違い無いのだが、さて、そんな訳で絶対的な柱を失った〈村瀬組〉は、すぐに座礁して自然解体となり、煽りで農協タワーの建設も頓挫してしまったという訳なのだが、二人の最後の目撃情報が、知床半島の羅臼で、野生のシャチを仕込んで、自身を飲ませてから吐き出させるといった、正に命懸けの素晴らしいショーだったので、暫くはその見世物で荒っぽいボロ儲けをしていたところ、たまたまそのショーに来ていた動物愛護団体の職員が、親方のシミ頭がシャチの口からバァ〜と飛び出すのを見て、拍手喝采も忘れて卒倒するという事件が起きてしまい、数日後にはシーシェパードとグリーンピースの人間が、自分らの乗った黄色いビートルに、それぞれ1トンのダイナマイトを積んで苫小牧のフェリー乗り場に現れたというラジオニュースが流れると、たまたま海沿いの小屋で、日本アパッチ族のような見事な赤銅色の身体を、タワシでゴシゴシと拭きながら聴いていた親方は、『引っ込み思案は敵、積極果敢は味方』と扉の向こう、シャチに餌をあげていたライサに向かって叫ぶと、すぐに全財産を掻き集めて、今では家族同然に懐いてるシャチの背中に飛び乗ると、今度こそ完全に消息を断ってしまったのだ。
農協タワーは翌年の台風21号で呆気なく崩れてしまうと、おむすびころりん本舗の社屋と一日市場の駅舎を半壊させて、クビとなった村長はそのまま恥ずべき村の黒歴史となり、その後は東京のホストクラブで、それでも忘れ難しふる里といったところか、〈雲山〉などという見るからに甘口の源氏名を名のって、売れないホストとして活動していたらしいが、逼迫した三郷村の財政の損害賠償を恐れて、やはり店の売り上げと数本のドンペリを持ち逃げすると、まるで親方の航路を辿るように、日本から姿を消したのである・・・




