非常事態❷
ヤンキー上がりの金髪の村長は、村おこしの起爆剤として、一日市場の駅前にランドマークとなる塔の建設を宣言したのだけれど、最初こそランドセルを背負った子供にすらバカにされたそのマニュフェストは、しかし地元のテレビ信州が面白がって特集を組んだ事により俄に現実味を帯びて来ると、タワーの名前も、親しみ易い〈農協タワー〉に決定し、当時まだ始まったばかりだった、ふるさと納税やらクラウドファンディングを活用してみたところ、たったの数日で2億8千万円という大金が集まったので、とりあえず現金化して自宅の風呂桶にぶち撒けると、自身も裸になってその〈札束風呂〉の中で未だ毛も生えず声変わりもしてない優しい声で、しみじみと『二億四千万の瞳』を歌った村長は、やはりその時点で正気を失っていたのだろうと、嵐が去った今であれば、誰もが納得出来るのだが、さて、そんな欲に目が眩んだ村長は、まず公用車にベンツを購入したのを手始めに、毎晩松本のスナックに出掛けては、昔の同級生らを呼んでアラブの大富豪のような饗宴を繰り広げていたのだけれど、そうこうする内に村では、これまで見た事も無い種類の人間が出入りするようになり、入札も談合も、ましてやロマンス詐欺の言葉すら知らぬ無知な村長を丸め込むと、口八丁手八丁、更には耳元への甘い吐息という見え透いた手口を使って搾り取れるだけの金を巻き上げてしまい、約束にはかたち程度にと〈村瀬組〉と云う、70代の職人が数名在席するといった趣味の寄り合いのような土建屋だけを紹介すると、松本駅のキオスクでお土産のお焼きとご当地キティのキーホルダーを買って、サヨナラも云わずに8時ちょうどのあずさ2号で彼方へと旅立ってしまったので、仕方が無いから残ったカネでどれほどのモノが作れるかと見積もりをして貰ったところ、広い額にゴルバチョフのようなシミのある親方は、曲がった人差し指を村長の目の前に突き付けて、1メートルで1万、と男らしい声で約束してくれたので、それならば本家を超えるタワーが出来ると村長もホッと胸を撫で下ろしたのだが、インチキ業者からの連日の接待ですっかり堕落していた村長は、本丸の東京タワーに勝てるだけの334万円だけを先払いで支払うと(小学生の息子の教科書を読んで、東京タワーの高さが333メートルというのも知っていたのだ)、急いで松本のキャバクラへ行こうとしたのだが、ゴルバチョフ親方は村長のアルマーニの首根っこを万力のような指で引っ掴むと、良い仕事には、「良い酒」と「良い女」が必要不可欠なのだという時代錯誤な大工の悪習を、殆ど口移しといった距離で説いて訊かせたものだから、その余りの勢いと、更には煙草のヤニで、削ればアンモナイトの化石でも出て来るに違い無い、象牙か琥珀かと見紛うばかりの立派な歯牙の並ぶ、しかし嗅覚と云うよりはむしろ涙腺に訴え掛けてくるといった凄まじい口臭に当てられて、半ば自我を失くした村長は云われるがままに了承してしまうと、しかし既に懐具合もだいぶ寂しくなっていたので、いつもの松本へと出掛ける無茶はせず、地元の団地の中にこじんまりとある、年齢も国籍も分からない、無口で無愛想なママが営む、村に一軒しかないスナック〈ダイアナ〉へと向かったのだが、カウンターの奥に佇む、低くて横に広いトーテム・ポールのようなママを見た瞬間、職人たちには戦地で原住民から逃げ回ったルバング島の記憶が蘇り、奇しくも奥の扉が開いて若いフィリピーナの一団が現れると、それを塹壕から飛び出した敵兵と勘違いした職人の一人は、もはやこれまでかと、それこそ腰に下げたペースメーカーが止まるほどに驚いたものだが、脈も落ち着いた頃によくよく見れば、何を馬鹿な、心配そうに覗き込んで来たのは、素朴な化粧をした、なかなかに愛嬌のある娘らである事が分かったので、それから閉店まではまるで学徒出陣のあの日に帰ったみたいに、失われた青春を酒と言葉も分からぬ孫のような少女らから貪欲に吸収した挙げ句、仕舞にはリウマチやヘルニア、更には老眼に頻尿、膝関節の痛みまでが改善されているのに驚き、帰りしなのハイエースの中では、あの人相の良くない〈ダイアナ〉のママは、きっと奴隷売買の元締めも兼ねた遣手婆で、魔法でどこからか王女だか聖女だかを攫って来ちゃあ、自分の店でこき使っているに違い無いとの意見に落ち着いたのだが、確かにそうとでも考えない限り、あの〈ダイアナ〉で過ごした不思議な夜は、説明の付けようが無いのであった。




