麦芽飴は甘いが、甘くなかった
天文18年 まだまだ6月
お婆の怖さと頼もしさを知った、今日この頃の、天丸です。
塩作りについては、小量ずつですが、順調に生産出来ているようです。
お爺も、お婆も、相変わらず忙しくしています。
僕については、お爺が周りの人たちに、便宜を図るように話してくれたらしい。
僕は、明るい未来の為に、頑張ってみようと思います。
ということで、塩が、上手くいっているので、甘味を作りたいです。
今日は、金太さんのところに、ものを持って行こう。
金太さんには、事前に話していたので、待っていてくれた。
あいさつも、そこそこに、お付きの人に持って来てもらった麦芽を見せる。
これは、お爺にもらった麦を木の盆に、叩いて柔らかくなった藁わ敷いて、水に浸したところに、麦を撒いて 、日の光と水の管理して、数日後に芽が出て麦芽になった。
麦芽と蒸した米を混ぜると、麦芽の酵母の働きで甘くなるのだ。前世の記憶で、強烈に覚えていたフレーズあった。
それは、ビールは、出来立ての時は、甘いんです。という言葉が頭に浮かんだで、甘味ができるんじゃないかと考えた。
ちなみに、ビールは、糖分を酵母の作用で、分解されてアルコールと炭酸になるらしい。
まぁ、普通は、ビールや酒を作ろうとするところだけど、甘いものは、すぐにできて、儲かったりするから、先に麦芽飴を作ることを試してみる方がいいかと考える。
多分、酒をあと回しにするのは、時間がないことと、肉体年齢に、引っ張られているからかも知れない。
数日たって、金太さんに呼び出される。そこには、お爺とお婆も揃っていた。
いくつかの小さい壺のある所へ案内される。
一つの壺から、木の匙で、木の皿に、とろりとした飴をすくい出して、金太さんは、小指に、ちょんちょんと飴を付けて、ペロリと舐めてみせた。
それを見て、お爺、お婆、僕の順番で、飴を舐めていく。
甘い味が、口に広がっていく。お爺もお婆も笑顔になっている。成功と言っていいだろう。
金太さんの話しだと、いくつかの壺に分けて試してみたそうだ、カビの生えたものもあるが、ほとんどは成功して、甘くなったそうだ。
お爺は、僕に、この水飴を売り出してもいいかと聞いて来たので、二つ返事で、了承した。
お爺は、喜び、金太さんには、高くて美味しいお酒を、褒美として渡すことを約束していた。
金太さんは、喜び、僕は、金太さんに御礼を言われてしまった。
金太さんの手柄なのに。
お爺は、僕にも好きな物を何でも買ってやると言ってくれたので、こっそり書いていた、欲しい物リストを渡す。
お爺とお婆は、苦笑いしながら、リストを見ている。そのリストには、欲しい物のちょっとした特徴と、簡単な絵を描いたもので、全部は、無理でも、あれば役に立つ物を書き記したものだ。
僕は、その中でも、甜菜(砂糖の材料)、カボチャ(そろそろ日本に入っているはず)、レモングラス(虫よけ)の名前を上げた。
本当は、レモングラスよりも、除虫菊の方がいいんだけど、まだまだ日本には、やって来ない。レモングラスは、東南アジア原産だから手に入れそうだ。
お爺と金太さんが、何やら、小声で、ボソボソしている。すると、
「お天、この甜菜とは、大根みたいなあれか?」
と言うので、
「そう、大陸では、馬のエサになってるはずだよ」
と言うと、「あるぞ」と言う予想外の言葉が帰って来た。
金太さんも、「あんなもん、どうするんで?」と言う質問が飛んで来た。
驚いて、固まっていると、金太さんが、馬小屋の方から、甜菜を持って来た。
僕は、それを見て正気を取り戻して、何で甜菜があるのか、慌てて聞いた。
何でも、大陸から馬を仕入れるときに、エサとして持って来ていたらしい。本来なら日本に着いて、いらなくなるものだが、運んできた馬が、飼い葉を食べさせても、ろくに食べないので、困った時に甜菜を混ぜてみたら食べ出したので、甜菜を作るようになったそうだ。
僕は、ガックリと、膝から崩れ落ちた。
なんて間抜けなんだろう。砂糖の材料があるのに、麦芽飴で、ドヤッてた僕‥‥‥