塩作りのその後と贈り物
天文18年 まだ6月
お爺も乗り気で、すぐに塩の生産を始めようとしたんだけど、今、ちょっと困ったことになっている。
天文17年 美濃で起きた「加納口の戦い」で、織田信秀様が出陣して、当時拠点にしていた古渡城を離れている時に、
敵対している織田大和守信友の家臣、坂井大善に、古渡城を攻められて、城は、守り切ったのだけど、城下町が焼き払われてしまったのです。
迷惑な話しだよね。
ちなみに、古渡城は、昨年、天文17年廃城になりました。
何を困っているのかと言うと、塩を作る為の竹棚は、なんとか作ることはできるだろう。
だけど、作業場の砂浜近くに、塩を炊く作業小屋や作業する人足の住む長屋を作る、大工が足りないのだ。
何しろ、城下町ひとつなくなって、織田弾正忠信秀様が、急きょ移った末森城でも、まだ普請をしている場所があるからだ。
実は今、僕も、かか様も末森城に住んでいるし、昨年は、古渡城にいたはずだけど、僕は、当時まだ、物心がついてなくて、全然覚えていない。
だけど、本当に、織田大和守家は迷惑だ。
ということで、大工不足を補って、誰にでも簡単にできる、家作りをしてみよう。
お爺と大工の親方に話しを聞いてもらう。
1年ほどたつ、太めの竹を家の壁くらいの長さに数本用意してもらう。
天丸「お爺、この竹を壁と屋根に使うの。まずナタで、ガンガンするの」
お爺「こうか?」
ガンガンと同じところにナタを降っていく。
天丸「違うの、いろんなところ、上から下まで、裏も表も、えっと、柔らかくなるの」
お爺は、ガンガンと、竹の至るところ、ナタで、キズを付けていく。
良さそうに見えたところで、一ヵ所、縦に裂いてもらう。
節も割っているから、竹の円周幅の板状になる。例えるなら、スノコのようになってくる。
これを家の胴縁に、縛り付けて、壁にする。
そこに、枯れ草や藁を混ぜた泥を、左官のように塗り付けて、外側にも竹板を張り付ければ、冬場でも住んで居られると思う。
根太に敷けば床にもなる。その上にムシロを敷けば住みやすくなるかな。
屋根は、もっと簡単で、縦に半分にした竹の節を取って、垂木に、丸い方を下にして、屋根の傾斜の、高い方から低い方に流して、端から並べながら取り付けて、その2本の間に竹の丸い方を上に被せるように、並べながら、取り付ければ、雨もりもしないようになるかな、隙間を土わ乗せればもっと良くなるね。
説明を終えると、お爺は、嬉しそうに頷いていてい、大工の親方は、驚いているようだった。
お爺たちは、建築現場に戻っていき、僕は、部屋で休んでいると、ガタゴトと、ちょっと騒がしい。
何事かと、見に行ってみたら、葛籠や箱の荷物が積んであった。
そこで、品物の仕分けしていた人に、聞いてみたら、三郎兄上と濃姫様の婚姻の御祝いの品物だという。
あれ?お二人の婚姻したのは、去年のことのはず、遅いのではと思うのだけど?
話しによると、その当時、手に入いらなかったものや、新たに、お薦めの品物を送り、商売に繋がればという思いもあるとか。
品物の仕分けが終わったようで、侍女も出て行ったので、部屋に戻ろうかと思ったら、ふと、本に、目が止まった。
パラパラと本を眺める。随筆、枕草子や源氏物語、漢文の書、そんな中に、ん?と思う本があった。
題名が「淑女のたしなみ」、聞いたことないな。
中を見てみたら、前世の保険体育に、始まり、夜の生活、とくに女性の立ち位置からの男性に対する心得と、対処の仕方等‥‥
「お天、何、してるんだい」
ビクッ!
振り向き、ニッコリ笑って
「お婆、凄い荷物、何これ」
と、お婆に走り寄る。
「あらあら、ダメよ。これは贈り物だから、イタズラしちゃ」
ヤバかった。反射的に笑ってごまかせただろうか。
あっ、お婆が本の方見てる。
「お婆、あれなに」
と、指差した方には、小さい壺がある。適当に、お婆の気を引ければいいから、どうでもいいんだけど。
お婆は、白粉や紅の化粧品だと教えてくれた。
ふ~んと、別に、興味もなかったけど、あれ?白粉って‥‥ヤバイヤバイヤバイ!
白粉って、鉛や水銀を使ってる、身体に悪いヤバイやつじゃないか!
「お婆、白粉って、何て作ってるの?」
お婆は、ちょっと考えて
「お天、この白粉はね。ウチで、木の実から作っているんだよ。油と混ぜて使うんだよ」
と、教えてくれて、正直、ほっとした。かか様やお婆も白粉を使っているから、毒のような白粉を使ってなくて安心した。
お婆は、
「お天、白粉は、京都でも、高級な物が手に入るだろうけど、誰かに贈るときは、ウチの物を贈るのよ。あと、ウチで、白粉を作ってることは、内緒ね。他の店がうるさいから」
と言って笑った。




