天丸の決意
天文18年 9月
本日は、熱田の宮にて、豊穣に感謝の舞いを奉納する予定の天丸です。
収穫は、既に終わっていたのですが、秋の長雨の為に伸びていた神事を、秋晴れの日を選んで行います。
この頃では、占いとかで、祭りや神事をする日を選んでいるのかと思っていたところ、熱田の宮では、熱田の神の主神は、天照大御神、ということなので、太陽が出ていることも重要なのですね。
ちなみに、御神体は、草薙剣に、なります。
僕こと、天丸は、ちょくちょく、熱田の宮にて、神事に、お呼ばれされています。
前にあった、天の子発言のときの噂があったり、熱田の宮の不思議な瓶なんかも、良い宣伝になったのかも知れませんね。
何より、かわいい幼児が懸命に、舞い踊る姿には、微笑ましいものがありますからね。
まぁ、なかには、武家の子息が、その様なことを、と、言われる方もおりますが。
実は、ガッツリ、前例と言うものがありまして、何を隠そう、三郎信長兄上も、良く舞い踊っていたのだそうです。
前例があると、以外と話しが通りやすいのですね。
遥か未来でも、村の祭りに参加したり、餅を配っていたりと、逸話が、残っておりますが、概ね正しかったりいたします。
なかには、お婆に化粧を頼んで、美しい女装姿を披露したこともあるそうですね。
ついでに言うと、この時代の美形としては、鼻筋とおって切れ長の目、そして瓜実顔、といったところが定番になっています。
不思議と織田弾正忠家の面々は、そこに当てはまっているのですね。
さすがに、三郎信長兄上も、元服のあとは、多少は、自重して、自ら女装して、舞うことは、なくなったそうですが、定かではないようです。
さて、この頃、実際には、舞いと言いながら、能に近い感じで、腕の振りに足裁きに、体裁きと顔の向き、何より大事なのは、腰を落として身体の芯を通すことを心がけて、緩急をつけて動く、つまり難しくて疲れる訳ですね。
とはいえ、教わった通り完璧に出来ているわけではないので、そこは流れにそって間違っていても、正しく舞えているような顔をして、あえて堂々とやりきる方が傷は少なくなるし、気にし過ぎよりも、余程良くなると思うんだよね。
まだまだ、猿楽の様な、滑稽な仕草や動きの解りやすいものが主流で、能楽や狂言なんかに分かれる前だと思うし、あんまり詳しく無いので、確かなことは言えません。
ちなみに、三郎信長兄上の好きな、敦盛については、源平合戦の頃の武将の逸話を舞いにしたもののようです。
僕の出番も終わって、一息ついています。まだ、舞台では、出し物が続いていますね。ちょうど、白拍子のお姉さんが、ちょっと色っぽい舞いを披露しています。
そして、三郎信長兄上が、普通に、観覧しています。
仕事は、良いのか?と言いたいところだけど、三郎信長兄上は、とても金払いの良いし、騒ぎを起こす輩を自主的に、取り締まってくれるしで、全体的には、とても助かっていたりします。
ただ、その歌舞いた姿には、一言いいたい。
色取り取りの紐で、髷を結い上げ、派手な色合いの着物を着て、膝丈の半袴、刀の柄には、荒縄を巻いて、腰には、瓢箪を吊るしている。
ちょっと待って欲しいと。
いくら、本人としては、将来、敵対しそうな者達に、油断を誘うつもりで、うつけを演じて見せているとしても、その事を誰にも明かさないのは、ただ、誤解を招くだけで、あまり上手くないと思うのは、僕だけでは無い気がする。
半袴は、用を足すときには、便利だから、僕としては、まだ解るけれど、いや、でも、数え4つの幼児と、元服して、更に、織田弾正忠家の嫡男にして、那古屋城を任されている三郎信長兄上では、そもそもの立場からして違うのではないか?
それに、周りに侍る、お付きの者達についても言いたい、多少、着崩すのは良いとしても、何で、青アザやコブを作って、着物に埃や泥汚れを付けているのか、大方、三郎信長兄上の思い付きで、相撲でも、取ってきたのだろうけど、熱田まで祭りに来るのなら、後のことをもう少し考えて欲しい。
熱田の宮の収穫を祝う祭りのような、人の集まる場所には、他国の間者も多く侵入しているはずなのに、三郎信長兄上達が、今、熱心に見上げている、白拍子の女なんて怪しさMAXだろうに、後で軽業の出し物に出る、三矢あたりに、探らせてみるか。
そういえば、武田信玄が、歩き巫女をつくるのは、いつの頃だったか、気になるところだね。
三郎信長兄上については、早々に歌舞者スタイルを卒業してもらわないと、土田御前の後押しで、織田勘十郎信勝兄上と争うことになっても面倒臭い、もちろん、織田弾正忠信秀父上には、長生きしてもらった方がいいのだけど、先の事は、わからない。
なので、出来ることをするために暗躍してみようと思います。
僕の優雅な、スローライフの為に。




