天丸の野望 服装編
天文18年 9月中旬
めっきり秋めいて来た、今日この頃、布団の恋しい天丸です。
真面目に、布団が欲しい。
これから、嫌でも寒くなるのは、わかっているのだから、早急に何とかしたい。
9月と言っても、旧歴なので、10月半ばの寒さなので、数え4つには、厳しいものがある。
もちろん、周りの人達も、ちゃんと考えてくれているようで、四つ葉が添い寝してくれるようになった。
誰だ、うらやましいと言った奴、普通に考えて、数え4つの幼児に、中学生くらいの女子が、添い寝したとしても何ら問題は無いのである。
同世代の女性が、親子ほど、年の離れた男に嫁いで、子供を作ることが、当たり前の時代、かえって、微笑ましく思われることだろう。
もっとも、僕にとっては、もっと切実な、問題があったりするので、四つ葉が添い寝をしているのだ。
何が、問題かというと、ズバリおねしょだったりします。
そんな事?などと軽く考えないで欲しい、戦国時代では、小氷河期と言われる程に寒かったと言われている。
遥か未来では、考えられないかも知れないが、小さな子供がおねしょして、そのまま朝に、冷たくなっていることも、珍しくない時代である。
ただでさえ栄養状態の悪い戦国時代、5歳までに、半数も生き残れれば良いと言われた時に、おねしょをして、寒くて病気になったり、凍死なんて馬鹿馬鹿しい限りなので、四つ葉には、夜中に、起こしてもらい、オマルを使用することにしている。
そんな時に、ふと思う。
この時代の服装って、ヤバくない?
僕は、幼児なので、腰巻きをして、着物、袴を着けている。
とはいえ、武士の子供で、お爺が商人で、お金を持っているから、着物を着て居られるけれど、普通は、幼児の内は、着物があるだけでも、上等な部類になる。
下半身丸出しは、当たり前になったりする。
農民の着ている物は、家族で、着まわすか、勝ち戦のときに、剥ぎ取って持って帰ったり、近くで、戦があったときに、落ち武者狩りをして、手に入れた物が、ほとんどらしい。
血生臭い話だけど、その方が、余程、良い着物を手にすることが出来るという、現実があるのだから、仕方がないことなのだろうな。
まぁ、それは、それとして、お爺と相談して、下着を売り出そうと思います。
上は、二枚の布を肩と脇を少し縫って、お腹と腰に、余裕を持って着れるような感じが良いと思う。
男性用の下着として、T字形のふんどし、越中ふんどしを作ることにして、女性用として、長四角の布の両側に紐を付けて、Hの形にして作って、着けるときは、股に挟んで、腰のところで、両側で紐を結んで固定する、要するに、遥か未来のビキニのような下着ってことで、考えてもらえれば解りやすいかな。
なんで、いきなり下着かというと、冬に向かって、炭団を作っているけれど、それだけでは、足りないんじゃないかと思ったから何だよね。
下級の武士だとしても、袴の下に何も着けていなかつたり、足軽だと袴すらなくて、代わりに、ふんどしだけだったりするから恐ろしい。
水仕事にしても、火の気の無いところだと、やっぱり辛いだろう、少しでも、温かく仕事をして、もらいたいという優しさと、寒さで、体調を崩して、仕事に支障が出ないようにしたいという、冷徹な計算もあったりする。
とりあえず洗濯に関しては、古渡城の城下町の廃材を使って、幅の広くない洗濯板を作ってもらって、店の下働きの者に使ってもらったところ、なかなか好評ではある。
ちなみに、洗濯板を売るつもりは無い、廃材とはいえ、木材資源は、こんな時代だから大事にしないといけない。
一部で、石鹸の試作品を使ってもらったりするけど、ムクロジの実使って洗濯するのは、相変わらずなのですね。
ちなみに、ムクロジの実とは、羽根つきの羽についている黒い玉だったりします。
ムクロジの実が、生活の中に溶けこんていることも解りますね。
まぁ、とにかく、下着すぐに売れる訳も無いだろうから、天文屋の者や臣下の者に使わせて様子を見てから、本格的に考えようと思う。
そもそも服装には、文句がある。
袴には、用を足すとき、つまり立ちションするときに、片方の裾を捲り上げなければ、用を足すことも出来ない。
社会の窓とは、言わないけど、前で合わせを作ることは出来なかったのかと、思ってしまう。
幼児だと、袴を脱いで用を足すこともしばしば、その度に、四つ葉には、微笑ましげに見られているので、僕のHPは、恥ずかしさで、ゴリゴリ削り取られていく。
だいたい袴は、前から紐を後ろで縛って、更に後ろから前に縛って固定する、前後式なのだけど、左右式なら、上手く合わせを作れば、用を足すときに便利ではないだろうか。
このとき、天丸には、本当に、つまらない野望が芽生えたのでした。




