佐治の海賊と船
天文18年 9月初旬
戦が、近ずいて、気分的に、ちょっと憂鬱になって来ている天丸です。
お爺から、良い知らせが届きました。
佐治の海賊衆の協力を得られたそうです。
佐治の海賊衆と言うのは、知多半島にある、大野城の城主、佐治為景の率いる海の仕事をしている者たちのことなのです。
海の仕事と言っても、普通に漁師から、船の護衛をする傭兵稼業に、付近を通行する船から、通行税と言う名目で、銭や積み荷をもらい受けたりする、強奪とも言う、ことから、海賊衆という名前が、一般的になっています。
お爺とは、昔からの馴染みで、商売の関係でも、深い繋がりがあったりします。
最近も、佐治氏の領地の常滑から、水瓶を大量購入したり、邪魔なゴミ扱いしていた、アカモクを買ったりして、良好な関係を維持しています。
今回は、戦の協力を頼む為の交渉を、お爺に、お願いしたのですが、交渉の為の材料として、お爺に持って行ってもらった物があります。
それは、船の模型ですね。遥か未来の海賊船をモデルにした、なんちゃって南蛮船と言うか、竜骨を使って、それらしく設計と言うか、書いてみたけれど、木工職人の親方やお爺にも、前評判は、良くないものでした。
まぁ、ちょっと重心が上気味で、バランスは、悪い物なのかも知れないけど、一度実際に作って確かめたかったので、押切ました。
それで、僕は、こんな風にと、頼んで船の模型を作ってもらった訳ですが、さすがに、木工職人の親方も、すぐに倒れては、可哀想だと思ったのか、なかなかにバランスの取れた仕上がりに、なっていました。
そうは言っても、これで完成という訳ではなくて、これから、改造するのですが、後日、お爺と親方に見てもらいました。
近くにある洗濯場に、浮かべます。洗濯場とは、小川に、足場を組んで、堤のように、ある程度、水を貯めて流しておく場所ですね。
ちなみに、僕は、夏の間、行水したり、身体を洗ったりしていました。
そんな場所で、船の模型を浮かべてみたところ、バランス良く船の模型は、浮かんでいます。
お爺たちは、不思議そうに見ています。
確かに外見上には、違いはないのですから、不思議かも知れないですね。
市平に、横からつっついてもらって、船の模型が傾いても、グィンと傾きが、勢い良く戻って行きます。まるで、起き上がり小法師のように、ゆらゆらしながら、引っくり返ることは、ないのです。
だけど、さすがに、お爺たちは、すぐに、吃水が深いことに気づいたようで、中に何か入っていることを見破って来ました。
この模型の船底には、小石や砂を重りとして入れて置いてから、床を張って動かないようにしてあったのです。
例えば、遥か未来では、ヨットのように重り、バラストをサメのヒレのように船底に付けて、どれだけ傾けても、引っくり返らないようにするの船があったり、貨物船なんかは、貨物を乗せるときには、バランスを取る為に、海水をバラストタンクに吸い込んで、航海をしたりします。
ただ、バラストタンクの海水は、貨物によって吸い込んだり、放出したりするので、別の海にいる生物を運んで問題になったりしていたりします。
バラストについて、解りやすいのは、重油を運ぶタンカーですね。
タンカーは、大量の重油を運ぶ為に、砂漠の国々に行くときには、大量の真水を入れて運んでいるのですね。
砂漠の国々では、水を運んで来ないと重油を売ってやらないと言っていたりするのですね。
だけど、そんな砂漠の国々では、真水は、石油やガソリンよりも高く売られている現状があるのですね。
ひょっとしたら、砂漠の国々では、定期的に水を持って行けたら、凄い商売になるかも知れないね。
話しが、明後日の方向に、ズレたけど、重りを入れたことで、船が模型が安定したことは、確かで、あとは、遥か未来のダッシュなテレビ番組で、やっていた梁繋ぎの技術を駆使すれば、竜骨を作り上げることも出来るだろう。
舵を取る為の操舵輪の機構なんかは、歯車による力の伝達の参考になるから、水車動力に応用して行けたら、米や雑穀の脱穀にも、役立って行くんじゃないかな。
マストとかは、お爺たちの方が専門だから、任せて置いて良いね。あんまり的外れなこと言って呆れられても困るからね。
もっとも、完成品が出来るのは、まだまだ先の話しになるのかな。
今川の方からは、米の収穫が終わったのか、兵を集めている話しが聞こえて来た。
三河を中心に、1万を集め始めているらしい。
織田弾正忠信秀父上や織田三郎五郎信広兄上にも、報告は、行っているだろうけど、念のために、こちらからも報告を上げて置こう。