稲刈りと内政のこと
天文18年 9月初旬
今、季節柄、みんな稲刈りに、忙しく慌ただしく働いています。
まだ、小さいので、おとなしく手習いをしている天丸です。
稲刈りといえば、千歯漕ぎですね。本来なら、鉄の串が、いいのだけど、金銭的に高くつくし、作るのが大変なので、竹の串で作ります。
あまり長いと、串が折れる心配があるので、割った竹をなるべく太い四角の串にして、稲籾を漕ぎ取る串は、3寸(10㎝)くらい出した、千歯漕ぎの制作を頼みました。
注意した点は、串と串の隙間ですね。丁度良く、稲藁から、籾が外れるくらいにするには、木工職人も苦労したようです。
もっとも、竹串だから、一度に漕ぎ取れる稲籾は、壊れないように加減してもらうように、あらかじめ話しておきます。
もともと、村の後家さんたちが、漕ぎ棒という道具を使って少しずつ、漕ぎ取っていく、なかなかに大変で、重要な仕事なのだ。
だけど、熱田近隣や古渡城近辺では、悪いけど、仕事は、いっぱいあるから、良い道具を使って、早く効率良く仕事をしてもらった方が、仕事を出している側からしたら都合か、良かったりする。
どちらにしても、籾は、良く乾かしてから、木摺臼で、籾摺りすることになるから、この先は、水車なんかを使って、効率化を図ることも考えないといけないと、思っています。
この時代の稲刈りを見に行ってみました。
ちょっとした興味本位で、見に行っただけなんだけど、驚いたことがありました。
この時代では、普通の鎌を使っているのです。というか、鎌を使っている者は、良い方で、小さい刀のような刃物で稲を刈っている者もいます。
更には、刃物も無く、稲藁を引っこ抜いてる者もすらいる状態は、なんとかしないといけないと思いました。
古渡城の普請の為に、円匙を作りましたが、三股鍬やノコギリ鎌も必要だと、確信しました。
道具といえば、縄も大事ですね。藁縄も良く使われるのですが、藁も、以外と使い道が、多くて、俵で、米や雑穀の袋代わり、筵では、敷物や寝具代わり、簡易な建物だと、壁や入口に代わりに、それだけではなくて、草鞋に簑、頭に被る笠も作れる。
土壁の繋ぎ材としても需要があるし、もちろん藁縄も至るところで使われている。
まさに藁は、この時代の万能資材だね!
そこから、考えて、縄や強い綱を作る為に、麻を使うことにしました。
実は、大麻は、本当に至るところに、あったりします。
青苧よりも、メジャーでなくとも、皮から繊維が取れるし、1年である程度、収穫できるだけ育つのはもちろん、実から、油を取ることもできる。
という、以外にも、優秀な植物なのですね。
遥か未来では、栽培するだけでも、犯罪になる植物だけど、この時代、神の儀式なんかにも、使われていたようなのです。
もちろん、乾燥させた葉っぱを燃やしたりしません。
なぜなら、この時代、タバコは、まだ、伝来してないからですね。
時代的に、戦国の終わり頃、伝わる物なので、火を着けて煙を楽しむようなことは、誰も知りません。
葉っぱは、肥やしに、木は、焚き付けにするように、天文屋で管理して、麻の繊維を生産しようと思って仕事を作り出しています。
また、実からは、油も取れたので、早速、石鹸の試作を試してみています。
アカモクの採取で、他の海藻も手に入いるので、灰にして、油との配合や海藻の種類での試作を続けてもらっています。
それから、海の近い場所を生かして、貝を探してもらいました。
もちろん阿古屋貝、黒蝶貝、などの、所謂真珠貝です。
貝の中に、異物が入いると、防衛本能なのか、防御の為なのか、異物を核として、貝の内側の真珠質で、何重にも、コーティングした物が、真珠になるのです。
ただ、真珠は、薬としても珍重されていて、古代エジプトの女王クレオパトラが、真珠をお酢に溶かして、毎日飲んでいた、なんて話しも伝わっています。
クレオパトラは、美容の為に飲んでいたようだけど、カルシウムくらいなら取れでいたのかな。
そこら辺を考えると、変な物を核には、出来ない、いろいろ考えてみた。
また、簡単に真ん丸に出来るような、都合のいい素材はないかと思って、閃いたのは、貝を砕いて、粉にしてから、膠と混ぜて丸くして乾燥させる方法なんです。
この方法なら、同じような大きさの玉を幾つでも、簡単に作ることができる。
それに、普通に天然の素材だから、身体に入っても、なんとかなるんじゃないかな。
とりあえず、幾つかの貝の中に入れて、様子を見よう。
どの道、少なくとも3年は、時間がかかるのだから、出来たらいいなくらいの気持ちでいればいいか。
そう言えば、稲刈りが終われば、本格的に戦の準備に掛からなければならない。
お爺に、頼んだアレは、上手くいったかな。




