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天の子  作者: 夢樹明
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吉良家のこと

 天文18年 9月初め


 これから、今川家による最後の三河安城合戦の序盤戦が始まります。


 遥か未来の知識では、これから今川方に、安祥城を攻略されて、庶兄の織田信広殿を人質に、織田家に人質としている、松平竹千代君との人質交換が、成される訳ですね。


 安城合戦を有利に進める為にも、織田家寄りの東条吉良家を助けて、今川家寄りの西条吉良家を攻略する方向で行こうと、思っています。


 その為の、お話し合いをする天丸です。


 まずは、吉良家について教えてもらいます。


 吉良家とは、足利が絶えれば、吉良か継ぎ、吉良が絶えれば、今川か継ぎと言われた程の名家な訳ですね。


 僕が、聞いたところでは、所領の混乱を正す為に、下降して力を尽くして来たそうだ。


 だが、やがて、東西、2つの吉良家に別れて、権力争いを続ける中、遠江の領地を失い、今川家の勢力の拡大もあり、東条吉良持広と、西条吉良義尭の和睦により、東条吉良家では、吉良持広の嫡男、義次を織田家に人質に出して、西条吉良家の次男、吉良義安を当主として、まとまるはずでした。


 ですが、なんと言うことでしょう。西条吉良家を継いだ、嫡男、吉良義郷が、戦により討ち死に、急遽、吉良義安が、西条吉良家を継ぐが、今度は、吉良持広が討ち死にして、吉良義安は、東条吉良家に戻り、西条吉良家は、三男の吉良義昭が継いだのだが、なぜか、東西吉良家は、今も仲が悪い。



 何でなのか、兄弟で、争う愚は、知らないはすは無いと思うのだけど、半三が、東条吉良持広の嫡男、吉良義次に話しを聞いて来たそうだけど、良くわからないそうです。


 吉良義次は、現在、20前後で、西尾吉次と名乗り、三郎信長兄上のオラオラ系の家臣とは、別の真面目な家臣として、経理や交渉等を行っているそうです。


 そもそも父、吉良持広は、西条家の吉良義郷よりも先に亡くなったそうで、父、持広の葬儀に突然、、足利公方の奉公衆を名乗る、後藤三太夫が現れて、東条吉良家は、西条吉良家、次男、吉良義安が継ぐことで話しがついていると、足利公方の署名入りの書状を出して、場を納めようとした。


 家臣の幾人かは、不満の声を上げたが、その者たちは、後藤の連れて来た兵によって部屋から連れ出されたそうだ。


 今、思えば、家臣の中には、調略を受けていた者たちが、いたのだろう。


 やがて、自分や近しい者たちは、織田家に人質として、送られたが、ほとんど追放同然だった為に、織田家では、真面目に過ごして、三郎信長兄上の家臣として、働いているらしい。


 半三は、後藤某を調べ上げたところ、本当に公方様の奉公衆だそうで、更には、吉良義安の祖父であることがわかった。


 実のところ、西条吉良家の吉良義尭の正室は、今川家から輿入れした、今川義元とは、姉弟らしく、今川としては、吉良家を取り込む目算を立てていたのだろうと、見ている。


 嫡男、義郷の後、男子に恵まれなかった吉良義尭に、公方様から側室の斡旋があって、後藤の娘を側室に入れて、次男、義安が産まれて、すぐに、三男、義昭が出来たのなら、正室の権威を守る為に、義昭を次男にしても、おかしくない。


 そこに、公方様や後藤の思惑が絡んで来ると、恐ろしいことになる。


 何しろ、吉良義次が人質に出された理由の1つが、年少に寄り、当主足り得ないから、というのがあるけど、当時、義次、数え10、それに比べて、義安は、数え4つ、今でさえ、数え14なのだ、どう考えてもおかしくない?


 幕府や公方様を侮ってた気がする。大した力も無いだろうと、思ってました。考えを改めないといけない。


 東条吉良家との協力関係については、良く調べてから考えよう。


 それから、半三より、気になる話しを聞いた。


 半三の元配下の、今は、秘密の酒蔵で、杜氏頭をして働いてもらっている、男から、取るに足らない情報として、上がったものなのだが、本証寺に置いて、門徒連判状という書状を認めたらしい。


 連判状なんて、裏切り防止する、ヤバい書状な気がするけど、実のところ、玄海和尚が、本証寺の跡目を誰某にするから、賛成してね。


 と言うことを、賛成しますと、確約する為の署名した物らしい。


 物が、物だけに、然程、重要視されてなかったので、書状を写し取ることに成功したらしいのだが、実に100名以上の武士も署名していたそうだ。


 写しを見せてもらったところ、書状には、石川清兼という人物が、最初に署名していた。


 半三の話しでも、この人物が、本証寺門徒の筆頭に、なるのだろう。


 これは、上手く調略する、糸口くらいにはなるだろう。


 本証寺の玄海和尚には、ある書状を書いてもらっている。


 簡単に言うと、義理があるから、話しくらい聞いて上げてね。


 という内容を、難しく書いてあるだけなんだけどね。


 

 あとは、信秀父上に、お伺いを立てよう。







 吉良義安については、もっと年上に見ている人もいるかもしれませんが、父親の義尭の元服が、1519年で、今川家の姫を正室に迎えている関係上、こう成りました。

 東条吉良家の御家騒動は、創作です。


 

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[気になる点] 文章として読点(、)が多過ぎるように思えますが、これは意図的にやってるのでしょうか? そうでなければ、切れ目が多過ぎて読みづらいです。読点の使い方は人それぞれだとは思いますが、音読して…
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