半三、焦る
スススススと、音もなく進む、半三。
普段より、冷静で、焦ることの無い男は、珍しく焦っていた。
ちなみに、この頃では、走ることは技能だったのです。
この時代と、言うか、明治になって西洋式軍隊の訓練をするまで、日本人は、同足と言って、右手と右足を同時に、左手と左足を同時に動かして歩いていたのですね。
剣道に、柔道なんかは、同足の動きをしていますが、実は、この動きが日本の武士の強さにつながったという話しもあったりします。
なので、普通の人は、早歩きくらいの速さが、目一杯だったのでは、と言われています。関係無い話しは、ここまでにして、
さて、半三ですが。ある人足用の長屋の前に来て、周りを伺います。
日向ぼっこしながら、縫い物とおしゃすべりする女房たちが、見て取れるが、気にせずに、長屋に入って行く。
中には、筵に横たわる老爺と世話をしているらしい女の姿があった。
半三は、老爺の近くに座り、声をかける。
「大事ないか」 「へぇ、おかげさんで」
半三は、懐から包みを出して、女を呼ぶ、包みを開けて、焼き菓子を1つ口にしてから進める。
その後、ポツリ、ポツリと、当たり障りのない話しをしていく。
そう見せて、小声で、本題を話していく。
『どうした、半三、慌てているようだが?』
『どうしたも、こうしたもない、出羽守が来おったのだ』
『出羽守じゃと、何故あやつが、ここに来るのじゃ』
『喜右衛門殿だ、昔馴染みらしくて、一族が、立ち行か無くなって、頼ってきおったのだ』
『河越か、河東もあるか、随分と無茶をやったのだろうが』
『なるほど、半三、お主程の者が慌てているということはじゃ』
『そうだ、天丸様の臣下に加わったのだ』
『な!こちらは、既に、暇乞いをしてしまったのだぞ』
『安心せい、臣下を増やす話しは通しておる、それに、内々にだが、椎茸の栽培方法を伝授してくださるそうだ』
『椎茸じゃと、馬鹿な、あの様な物が栽培できるというか、勝手に生えてくる松茸とは違うのじゃぞ』
『そのような秘伝を、我らに与えてくださると言うのか』
『そうだ、それだけ、我らは期待されているのだ。それに、風魔には、満足な働きの出来る者は、数人に過ぎぬ』
『まさか、いくら力が落ちたとは言え、そのようなことは無いはずだ』
『そうじゃな、それに、北条も黙ってはいまい』
『そうだな、今川は、雪斎の元に、寺や修験者からも、知らせが入ってくる故、我らが、暇乞いをしても、然したる関心を持たれなかったがな。腹が立つ』
『その通りだ、出羽守め、分派してきおった』
『分派じゃと』
半三は頷いて、
『弟に、働きの出来る者を預け、自分は、ケガ人、女、子供、年寄りを引き連れて来たようだ』
『それは、言っては、何じゃが、捨てられただけじゃろうが』
『そうだな、それなら、そこまで焦ることもあるまい』
『いや、天丸様は、出羽守に問いかけていてな、龍勢、または、龍飛と呼ばれる物がわかるか、とな、出羽守は知っているようでな、わしは、ようわからんのだ、わかるか?』
『ん~、いや、わからん』
『確とは、わからんのじゃが、てつはうの類いかも知れん、風魔は、大陸からの渡来者という話しもあったはずじゃ』
『話しに聞く、焙烙玉のような物か?』
『かも知れんし、そうでは無いかも知れん、そんな物を天丸君は、どこで知ったのじゃろうな』
『天丸様だからな。まぁ良い、仮定の話しよりも、これからだが、出羽守に遅れを取る訳にはいかん、我らも腹を決めねば成るまい』
『そうじゃのぉ、炭団に、茶、紙、それに椎茸じゃ、我らだけでは、銭にするには骨が折れる。天丸君や天文屋殿には、まだまだ倒れて貰う訳には、いかんでな』
『確かにそうだ。我らが売ろうとしても、足元を見られるだけだ、駿河も近江も小狡い奴ばかりだ』
『我らの為にも、伊賀の為にも、天丸様を支えねば、ならんな』
おのおの顔を見合せ頷き合う。
『ところで、たった二ヶ月程で、昨年一年分の影働きの銭を稼ぎ出したのは、本当だろうな』
『何ゆうとるんじゃ、お主の里でも、仕事をしておるじゃろうが、その銭で、米も塩も味噌玉に煮干しや海魚の干物に変えておろうが』
『いや、なかなか信じられんでな、夢でも、見てるようでな』
『また、高い酒でもやれば、信じられよう。だが、飲み過ぎるなよ、明日にも、天丸様へ臣下の許しを得に、あいさつに行くのだからな』
『まったく、過ぎる程に酒を飲める日が来るとは、長生きはするもんじゃて』




