水汲み器と大市
天文18年 暑い8月
ちょっとしたイタズラ心で、始めたことで、思わぬ苦労をする人がいたことを反省する天丸です。
まだまだ、暑い日の続いている熱田の町、今、熱田の町には、至るところに水瓶がある。
ほとんどが、水が冷える摩訶不思議熱田の宮の水瓶、熱田の宮にも3つ置いてある。
100個ほど作ってもらったはずだけど、どのくらい売れたのかは聞いてないよな。
暑い日が続いているので、冷たい水を飲みにくる人は、減る気配は無いなようだ。
だが、先日、見てしまったのだ。水瓶の水を継ぎ足すために、若い女中さんが、井戸の釣瓶を重そうに引き上げている姿を。
考えてみれば、夏の暑い時期に、余計な仕事を増やしただけのような気がして来た。
そんなつもりは、なかったんだけど、なんとかしないといけないと思った僕は、ある物を作ってもらうことにした。
そんな訳で、お爺にお婆、半三や皆を呼んで、井戸にある物を設置してもらう。
木工職人の親方に、無理を言って作ってもらった、水汲み器、つまりは、手漕ぎポンプであります。
手濃きポンプの構造事態は、そう難しくない。材料は、竹と木材でも、ほとんど作ることができる。
構造は、木製の水鉄砲のような感じの物を大きくしただけで、難しいのは、真空状態を作りだすパッキンをどうするかになる。
しかし、チートな料理人、金太さんが作ったコンニャクがあったりする。
実は、遥か未来の昔、日本では、太平洋で戦争をしていて、物資が不足していた時に、ゴムの不足を補うために、コンニャクの研究をしていたそうで、耐久力は落ちるけど、十分、コンニャクでもゴムの代わりができるそうです。
更に、皮を使って補強するときに、コンニャクは接着剤代わりにもできるので、上手く使えるんじゃないかな。
設置が終わって、皆が興味深げに見ている。
親方が、釣瓶で、汲んだ水を水汲み器に入れて、手漕ぎ棒を上下に動かしていく、カシュカシュと、だんだん滑らかになって、ジャボと水口から水が、出てきた。
親方が、手漕ぎ棒を動かすほどに、水がジャボジャボ出てくる。皆、目を丸くしながら、出てくる水を見ている。コンニャクは上手くいったようだ。
でも、親方まで驚いてるのは何でだ?
その後、皆が順番に水汲み器で水を汲んでいく、お爺は、親方と何やら話し込んでいる。
皆、楽しそうに水を汲んでいく、汲んだ水は、順番に、どこかに持っていっている。きちんと水を無駄にしないで使うようで、良かった。
しばらく見ていたが、飽きて来たので、縁側で寝むってしまった。
朝、井戸の前を通ったら、彦九郎が楽しそうに水を汲んでいた。
今日は、お爺に呼ばれています。お話しがあるそうです。
お爺と半三、お付きの皆とお話しです。僕は、用意された椅子に座ります。
まずは、お爺から、水汲み器について、任せて欲しいと言われました。悪いようには、しないからと、悪い顔をして笑っていた。僕としては、問題もないので、お任せました。
さて、お話しの本題なんですが、美濃国の斎藤山城守道三公から、お手紙が来たそうです。
実は、先日のお爺の出張では、美濃にも行っていたりしたのですね、理由としては、美濃で、大きな市を開きたいからです。
別に、ただ市を開きたいだけではなく、計略でもあるのです。
美濃との関係改善は、もちろんのこと、織田弾正忠家と関係の悪いところへの牽制になればと思っています。
織田大和守家とか、いまだに、織田弾正忠家との和睦に応じないとは、三郎信長兄上のところの平手政秀殿が、交渉しているそうだけど、良い成果は、出ていないそうです。
いざとなれば、三郎信長兄上に、お願いするしかない。兵量と物資はこちらで用意は、しているけれど、古渡城も一部しか完成していないので、美濃からの牽制は、大事になってきます。
そのために、いろいろと手を回して、美濃の大市を開催する運びと成りました。
熱田天文屋だけでなく、他の熱田衆や今回は、津島衆にも声をかけ、津島は、叔母の嫁いでいる、大橋殿に、まとめてもらう為に、丸投げしている。
もちろん、織田弾正忠信秀父上や織田三郎信長兄上にも、話しを通して、許可をもらってます。
濃姫様からも、口添えの手紙を書いてもらったのだから、失敗する訳にはいけないですね。
場所は、墨俣に決まったそうです。何で墨俣?と思われるかも知れないけれど、墨俣は、たびたび木曽川の氾濫で、水没する土地で、拠点として砦を作ってても、半年もしない内に、流されてしまうことも、本当に頻繁にあるところなので、決まったと言えます。
さすがに、刈り入れが済んだ後とはいえ、作物の取れる土地では、市を開かせてはもらえないよね。
人が、集まるということは、土地が踏み固められてしまうからね。




