下の話し
どうも、天丸です。
この前に、山へ行ったところ、肥やしの問題で、喧嘩や殺し合いに発展することが珍しくないこの時代、
なんとかしたいと思って、始めたことがあります。
肥やし作りをしたいと思います。
まず、熱田の町で、公衆トイレを作りました。
天文屋で使っていた、土地の一画に囲いを作って、それ用の壺を置いただけなんだけど。
ちなみに、遠い未来の昔のフランスでも、こんなものだったそうです。有名な、ヴェルサイユ宮殿に、トイレがなかった話しは、結構知られたお話しですね。ウォーク・イン・クローゼットに、オマルや壺を置いて用を足していたので、WCをトイレ表記するのは、その名残なのだそうです。
貴族のふわりとしたスカートも、壺に座っても、わからないようにする為に、ハイヒールなんかは、道の汚物を踏まないように作られた靴で、香水は、それこそ、ごまかす為に発達したそうです。
日本も、平安時代には、風呂に入る習慣のなかった貴族は、匂い袋を使っていたのだから、何とも言えない。
ヨーロッパでは、衛生環境の不備の為に、ペストのような病気が何度も流行するのを経験して、環境を大切にする考えが広まったのだろう。
日本は、水が豊富で身体を洗うことも容易だったことは、幸いだったと思う。
天文屋で作ったトイレで、工夫したことは、大と小を分けて、処理を祭りのようにしました。
御不浄払いとして、白い袋に、頭と手を出すようにして、目のところに穴を開けた袋を被り、見た目、遠い未来の昔のオバQのような姿で、大と小を処理するのです。
わざわざ、見た目を同じようにして、顔を隠すようにしたのは、変な差別をされないように配慮した為です。
運ぶときは、なんちゃってリアカーを作りました。箱の横に車輪を付けて、車輪の上、両方に、丈夫な棒を付けました。この時代の道は、狭いし、デコボコで、車輪が嵌まったりしたときに、持ち上げることもできるようにしました。
他にも、円匙(えんし、と書いて、えんぴとなぜか読む)シャベル、スコップを持たせている。
処理場は、即ち、肥やしの制作現場、田畑に向かない、日の当たらない、水源からも遠い所に使った。
穴を広く掘って大を入れて、土や枯れ葉、藁なんかを被せる。
小は、穴にヨモギを大量に入れた上からかける。更に小の方には、回りを囲い、簡単な屋根を掛けて、水が入らないようにする。
戦国チートの硝石を作る為の仕掛だ。上手くすれば、3~4年のうちに成果が出たらいいなと思う。
ちょっとした、戦国チートを試してみただけ何だが、最近、なぜか御不浄払いが、流行りはじめている。
「御不浄払い、不浄払い」と、かけ声をかけながら、道の真ん中を練り歩き、処理して行く姿を見に、わざわざ人が集まるようになって来たのだ。
しかも、悪いけど、人気のない仕事だし、預かり場出身の孤児や河原者に仕事を頼んでいたのだが、天文屋の方に、御不浄払いをやりたいと、押し掛けてくる者まで、出てきた。
実は、ちょっとした理由もあったりする。
いつものように、町を練り歩いていたら、ボヤ騒ぎがあった。
この時代の火事なんて、消すことは難しい、燃え出したら直ぐに、燃え広がる。建物が近い場所は尚更だ。
だが、火事とわかったとたん、御不浄払いの者たちは、商店の前の水瓶から水を汲んで、見事に火を消して延焼を抑えたのである。
町の衆は喜び称えた。惰性で、水瓶を置いていただけの商店も、称賛を受けることになってまんざらでもない顔をしていた。
火を消した者たちには、お爺から、酒と肴を振る舞わられ、皆と共に宴会をしたそうだ。
そんなわけで、噂になり御不浄払いは、一躍人気になる。
天文屋に、御不浄払いの衣装を買いにくる者たちもいるらしい。
三郎信長兄上は、なんちゃってリアカーを気に入って、購入を決めたらしい。戦で、荷物を運ぶ為らしい。流石に目の付けどころが違う。
古渡城の普請場でも、同じことをしていたので、最近、御不浄払いの威勢がいいらしい。
世の中何が、流行るかわからない、それだけ娯楽がないのだろう。
実は、城下町があったならと、ねずみ土法を試してみたけど、上手くいかなかった。やっぱり、2年近く風雨に晒されたからかな。
後日、御不浄払いは、だんだん広まって行く。
面白がる者もいるが、一番の理由が、大と小を分けたことらしい。
運ぶとき、混ざったのが跳ねることが嫌らしい。
ちなみに、各村の肥やし場では、たまに天文屋で、人を出して、管理の手伝いをしている。
顔繋ぎして、正条植えの普及につながればいいな。