熱田の宮の水瓶
天文18年 1549年 7月
今日は、朝方から、大忙しです。
朝食の後、祭りで、舞台で舞いをした装束を身に付けています。
先日、素焼きの壺、大きさ的に 、瓶になるのか、が、10個程届いたので、今日は、その瓶を持って、熱田神宮に向かいたいと思います。
お爺に、お願いして、熱田神宮を領している千秋家の季忠様に立ち会っていただき、神職の森部殿に、ご祈祷をしていただくのです。
ただ、素焼きの瓶を持って行くのではなくて、ちょっとした宣伝を兼ねて行こうと思います。
「では、行くぞ!」
「「「おおー!」」」
お爺を先頭に、お供えの酒や御供物を持った者、素焼きの瓶を、材木で組んだ輿に乗せて、屈強な男衆に担いでもらって、町を練り歩きながら、熱田神宮に向かって行く。
僕は、輿の瓶の前に、ちょこんと座って、町の人たちに、手をふりながら、愛想を振り撒いて行く。
町をあちこちと、練り歩いて、熱田神宮に着いたときには、気分が悪くなって、ふらふらになってしまった。
残念ながら、ご祈祷の間中、僕は、お爺に抱っこされて、ぐったりとしていた。
帰りは、瓶に、熱田神宮の御札を張り付けて、練り歩きながら天文屋まで戻った。
さすがに、帰りは輿には乗らずに、お爺と帰った。
本番は、これからで、店の前に瓶を設置して、水を入れたら、柄杓と竹を切ったコップを載せた台を隣に置く。そして、立て札を立てた。ご自由に、と。更に店の者には、水を飲むように声かけをさせる。
流行り好きな者は、すぐに水を飲んだ。次々と水を飲む人たちが行列ができる程だった。
次の日も、もの珍しさで、水を飲みにくる人は結構いた。
何日かたっても、水を飲みにくる人たちがいる。それに釣られるように、天文屋で買い物する客も増えてきた。
近くの店の主も、天文屋が、栄えているようなので、同じように、店の前に水瓶を置いて、客よせした。最初は、もの珍しさから飲みにきたが、やがて来なくなった。
そして、なぜか、天文屋の水瓶だけが、水を飲みにくる人がいた。近くの店の者は、不思議に思って、水を飲みにくる人たちに聞いてみた。
「何で、天文屋さんに、水を飲みにくるんだ」
列に並んでる人たちは、
「ここのは、冷たくてうまいからだ」
と言う答えが帰ってきた。
それならと、並んで水を飲んでみたら、確かに冷たくてうまい、自分の店の水瓶の水は、ぬるい?何でこんなことがと、不思議に思った。自分の店の水瓶は、明らかに天文屋の水瓶より上等な物なのに、ご祈祷だってした、御札だって張ってあるのに、
やがて、人々は噂する、天文屋の水瓶は、熱田の宮の加護があるから、いつでも水が冷えているんだと。
「お天、また、客が水瓶が欲しいと言ってきたぞ」
「買ったことを、秘密にしてくれるなら売っていいんじゃない」
「素焼きの安い水瓶が、何倍にも売れるんだから、すごいな」
お爺も、何で、水が冷たくなるのかは、良くわかってない。この水瓶の商売も100個なくなったら終わりだな。
素焼きの瓶の水が、冷たくなるのは、気化冷凍‥‥じゃなくて、気化熱が影響しているからなんだけど、素焼きだと、少しずつ水が漏れて、蒸発するを繰り返して中の水が冷えるだけなんて、戦国時代の人たちは、誰も理解できない。
本当は、そこまで冷たくなった訳では、無いんだけど、今、旧歴7月、令和なら8月だから、周りが暑くなれば、水瓶の水が冷たく感じる。丁度、井戸水の温度は変わらないのに、夏と冬で、冷たかったり、温かかったりするのと同じ理由になったりします。
他の店は、ウチより良く見せようと、釉薬を使ってる水瓶だから、水漏れもなくて気化熱で冷たくならなかっただけです。
ちょっとだけ、熱田の神の加護とかがあるんじゃないかと、噂に慣ればいいと、思っただけなんだよね。
熱田の御札の横に、僕の手形をスタンプして張り付けたのは、やりすぎだったかな?
気化熱を利用して、安い瓶を高値で売って、更に熱田神宮の不思議な水瓶って、ちょっと評判になったから、もういいかな。
でも、なぜか、伊賀から来た3人は、僕をめっちゃ、敬ってくるんだよね。
こういう、水瓶は、エジプトとかの方にあったはずです。




