光の柱
歴史ものですが、ちょっとファンタジックでご都合主義な展開を楽しんで下さい。
天文18年 6月
田植えも終わり、夏の香りが風に乗って来そうな季節。
祭りの舞台上に、白い装束を纏う童子が、お囃子の笛や太鼓に合わせて拙いながらも懸命に舞うように踊り、その様子を祭りに集まった多くの人々も優しい目で見つめている。
やがて曇天の空が割れ、一筋の光の柱舞台の上を照らし出した。
光の柱の中心に童子が舞い、人々は静かにその姿を見つめている。
お囃子が止み踊りが終わる。童子は人々に向かって幼児特有の高い声で宣言するように叫ぶ。
「我は、天の子なり!」
人々の歓声に拍手が重なり祭りで一番の盛り上がりになった。
なんだこれ、なんだこれって、どこかで聞いたようなフレーズだけど、何言ってんの?とりあえず、落ち着いて状況を考えてみると、突然、記憶と言うか知識、考え方が湧いてきているけど、今言えるのは、現在地がわからない状態で地図を眺めているようなもので、オレ自身や周囲の状況を確認するまでは、迂闊なことはしないようにしよう。でも、迂闊なんてこと幼児は考えもしないよね。
さて、オレ、いや、僕の覚えているのは、ここが熱田神社で、お祭りの舞台で踊ってたのはわかっていた。お爺に頼まれたから喜んで舞い踊っていたが、どういう経緯なのかわからない。
お付きらしい女御や護衛らしい男衆と見物しながら、いろんな話を聞いていった。宴会しながら酒を飲む連中は、あることないこと好きに話すので、お付きの男衆に殴られる奴もいた。
途中で、お爺と会い、宴会の席で、お爺の胡座の上に、ちょこんと座って焼いたイワシを噛りながら考える。
どうやら僕は、織田信長の弟らしい。正式には、織田弾正忠信秀の十男と言われている織田信照だと思う。
ぶっちゃけ大したことは知らない、まぁ歴史通りに生きる必要もないし、信照について覚えていることは、魯鈍な人(現在で言うと自宅警備員な感じ)で、同じ馬を何度も洗わせて、所有する馬の数を多く見せていたという、とても情けない話
が伝わっている。
正直、それって仕事もしないで、貧乏暮らししていたということなのか、そんな未来は、是非とも回避することを目標に生きて行きたいと思います。